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ゴミと美学

彼氏だったひととの思い出をゴミの日に吐き出して、いくぶんか部屋で息がしやすくなった。
それでもひとりでいるのは心細く苦しく、昼過ぎに起き出してから夜中まで下北沢で過ごした。客同士あれやこれや話せる店に、ずいぶん長居してしまった。

居合わせたFさんという男性と、美学の話をした。
美学の始まりは、嫌いなもの・許せないものがあることで、それを削ぎ落とした先にその人にとっての美しいものが残るという。
わたしには美学なんてない気がして、それにこだわるあまり人生のバランスを崩したこともあると笑うFさんが眩しく見えた。

話題はあちこち移った。ふいに、店に来る途中になくしものをした話をした。

昨日たくさん出したごみのなかに、箸があった。彼氏だったひととの幸せな食卓にいつもあった箸だ。家具屋さんの日用品売り場で選んだ夫婦箸。
男性ものは別れてすぐに彼の家に送りつけた。きっととっくに広島市で燃やされているだろう。

勢い捨てたはいいけれど、予備なんてなくて当座困るのは目に見えていた。
家の近所にセンスの良い器屋さんがあるので、駅に行く道すがらシックな漆塗りの箸を買った。とても軽くて使いやすそうだった。

箸がぎりぎり収まる小さなビニール袋を提げて下北沢に向かった。下北沢駅から行きつけの店に行く途中、ふと袋の中を覗くと箸がなかった。
払ったばかりの700円を惜しく思わないでもなかったけれど、これは失くすべくして失くしたのだと直感して探さないままにした。

この顛末をFさんに話した。
Fさんも、探さなくてよかったんじゃないかと言った。
どんなにいい思い出でも自分を縛ってしまうからと捨てたのに、「彼を思い出すから捨てた箸の代わりに買った箸」は彼との思い出との連続性がある。それを持っていたら、結局縛られてしまう。だから失くしてしまってよかったのだと。

私の直感をFさんが言葉にしてくれて、700円はどうでもよくなった。お賽銭のような、価値と意味のある700円だった気さえした。

そしてFさんは、君にもちゃんと美学があるじゃない、と言った。

彼と使ったから捨てるもの。彼と使ったけど残すもの。その線引きのなかに、ちゃんと美学があるのだそうだ。

持っていたくないものは捨てた。それが美学だったみたいだ。

美しいものだけに囲まれて、新しい一歩を踏み出そうとしているんだね、と言われた。

捨ててしまった物たちも、みな美しい思い出を湛えていた。だからこそ持っていることが耐え難かった。その理由を、残したものとの違いをうまく言葉にできなかったけれど、わたしの美学なのだと思ったら少し納得できた。

捨てたために困るものはいくつかあるけれど、すぐに代わりを買っては結局美学に反してしまう。

しばらくは割り箸や紙皿やそんなものと仲良く過ごして、本当に気に入ったものを見つけたときや、道具としての必要性を涙が出るほど痛感したときに新しいものを揃えたいと思う。

美しいものに囲まれて、新たな一歩を踏み出すために。



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