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第45回定期演奏会

みなさんこんにちは。嶺葉です。
長かった定期演奏会がやっっっと終わりました…。
実は知ってる方は知ってると思うんですけど昨日、
クリスマス・イブより。
私の所属している合唱団のクリスマスコンサートがありました。

もしかしたら長かったのは本番より、それまでの練習期間だったのかもな~と思う今です。
練習をサイレントブッチしたりしそうになったりするのは定期で。
強化合宿ももちろん、サイレントブッチ。先生にステージ降ろされる覚悟で挑んだ舞台練。
いや、どっちもいけないんですけど、いけないことと自分だけ置いていかれるのは重々承知の上で。
ちゃんとした覚悟を持って練習を休んだのは確かです。
そもそも休むなよっていう話ですね。

12/23
前日最終練習。
1日フルタイムで全てのステージを通して、衣装をつけて練習できるのは今日が最後。
まだまだ頑張れると思った、ちゃんと並びとか、音と歌詞の最終確認。自分にできることを最後まで探し続けた。
照明もその他の機材も、カゲアナも、本番さながらだった。
その日はじめて最終ステージのシアターピースのために計画された赤青黄色の光を浴びたし、日本の調べの入場もその日はじめて本番の場所を使って練習することができた。

12/24
本番。
8:30、楽屋入り。
そこから4時間に渡るゲネプロ。(=ゲネラルプローベ、通し稽古のこと)そこからお昼を食べ、本番衣装に着替え、舞台裏スタンバイ。
ステージの間の早着替えのとき、備え付けのテレビから聞こえるジュニアたちの声。
15分休憩の終わりを告げる鐘の音に一気に大騒ぎになる楽屋。
地下足袋、ローファー。またはバレエシューズのまま全速力で10階のステージへ続く階段を駆け上がるのを3ステージ分繰り返し。舞台に足音が響かないように細心の注意を払いながら、静かに全力で。
息を切らせながら走り回った楽屋や廊下、舞台裏はなぜか例年より輝いて見えて。
私の中で何かが変わったのか、それとも周りが変わったのか。分からないけど。
最初のステージ。
2階フロアから降りてくるその時に振られた手を振り返しながら、お客様の数に圧倒された。
1000を超えるであるう客席を埋め尽くす、空席を見つけることすら難しいほどに。
お客様の数に心拍が跳ね上がるのを感じた。
でもそれと同時に体温が上がる感覚、頭の芯だけ冴え渡る感覚を憶えたのもまた事実。

時は飛んで最終ステージ、シアターピース。
今年の演出は今まで歌い続けてきた中でも特に派手で豪華絢爛、煌びやかの限りだった。
作曲者の先生が私たちのためだけに書き下ろしてくださった楽譜と、NY、めちゃめちゃ本場の演出家の先生の振り付けで歌って踊ったステージ。
仲間たちは皆、村人やその世界の住人になりきっていた。
赤、青、緑、黄色、白、オレンジ。
色とりどりの強い光たちを浴びて音を奏でました。
ステージ上での記憶は驚くほどないです。
全ステージ、本当にあっという間でした。
ただひとつ、大歓声と鳴り止まない煩いぐらいの大きな拍手に包まれながら、より強い白い光を浴びながら笑顔でカーテンコールを迎えられたことは覚えてます。
最前列で聴いてくださっていた方、遠いところから来てくれた学校の友達も涙を流しながら聴いていたこと。後から仲間から聴き、胸がいっぱいなりました。
自分の声がピアニストの弾くピアノと仲間と合わさる声の中に溶け、指揮者に導かれひとつの「音」としてホールに響いていくことが嬉しかった、誇らしかった。
ここにいてよかった、過去の自分が最高に輝ける場所に合唱を選んでくれて本当によかった。

カーテンコールが終わって、舞台裏にはけたその瞬間にバレエシューズでロビー目指して全力ダッシュ。
ロビーコンサートのためです。
走りながらみねはサンタを召喚、みんな息が上がったまま歌い始めた。
ロビーに響く私たちの歌声はホールが連れていく響きとはまた違っていて。とても新鮮だった。
たくさんのお客様に聴いていただけて楽しかった。

ここでちょっと、身内…というか内側、私自身の話。
私はこの演奏会が終わったら新年度までの3ヶ月は休することも考えていました。
さっき言ったこととは全く逆のこと。
辞めようと、止めようとしてるこの場所で、歌い続けていることが怖かったです。
混乱したままステージに立つこともあった、私なんでここで歌ってるの?って。
自分に問いながら、ぐちゃぐちゃになりながら、心だけ泣きながら歌ったこともありました。強化合宿を遁走したのもぐちゃぐちゃのまま歌いたくなかったから。
だけどまた知ってしまった。
『知ることができてしまった』ことが今年も多くある。

合唱をはじめて1年目の演奏会でお客様の入ったホールに響く音のひとつひとつがゲネの時とは全く違うこと、
笑顔で、時に感動の涙を流される方がいること、
カーテンコールで受ける大歓声と拍手に迎えられながら礼をすることの、感動。爽快感、やりきった感。
深々と礼をさせていただけること、私たちの歌声を届けられたこと。それらを誇れてしまうこと。
初めた当初に受けたそれは私にとって中毒性そのものだったから。初めての体験だった。
幼いながらに悟った、
『この綺麗な中毒性は忘れることはできない、このハイを忘れないために私はここに立ち続けるんだ』って。
だから今年もこれらを感じてしまう自分がいた、辞めようと思い続けているその場所で。
きらきらを受け取れてしまう単純な自分に嫌気がしました。

だけど、私は今年の演奏会でもその『幸せ」を受けてしまったので来年も行われる「幸せ』を得るためにこれからも走り続けます。
年末の、聖なる夜の前夜に響く大歓声と拍手を受けないと私は新年を迎えることができないので
ここまで読んでくださりありがとうございます。
よいクリスマスを🎄

作曲者先生の直筆名前入りサインです…🫶

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