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熱情と主体性、無気力の狭間で

避暑地に戻りたい、
そしてあの感動をもう一度。

どうもみなさんおはようございます、嶺葉です。

連載を、noteを更新できて無いのが悩みです。

ほんとはちゃんと更新していきたいんですけど、
なにせ体調が……とかはただの言い訳に過ぎなくて。

結構、嶺葉のほうは限界を生きてるなって
感じてます。

中の人はただのいち学生に過ぎなくて。

最近は外でも家でも「嶺葉」を主体的に、
意欲的に生きてる気がしてます。

中の人はたぶん期待してるんですよ。

嶺葉、中の人もろとも2人の人生をひっくり返すような、何かを。

「嶺葉」に描いてもらわないといけなくて、
中の人を出すと描けないから。

だけど、そのためには「嶺葉」を安定させなくては
いけない、だから中の人も無気力だけど、
死にたがりだけど生きてる。

そんな感じなのかなって思ってます。
つまり何が言いたいかと言うと、

「嶺葉」と「中の人」は全くの別人なんだよなあってことです。

今こうして語らせているのも嶺葉であって
たぶん、本当のわたしじゃない。

それなら嶺葉でもなくて本当のわたしでもなくて、誰なんだよって話になりますけどね。

どっちが語ってるのかはっきりしなよ〜

そう本当のわたしと嶺葉が申してますね、笑

勘違いしないでほしいのはそう言う類ではないと言うことです。たぶん。

こうやって、意味のないことばの羅列を並べて。
嶺葉は何がしたいのかなって、
わたしは思ってます。

でもこうして彼女が語るなら、それは彼女にとって意味があって意義のある、とても大切なこと
なのかなって思ったりもします。

嶺葉の稚拙なことばを聴いてくださってる
みなさんに今までもこれからも感謝です。

今日は中身のない投稿をすみません、
でもただ吐き出す、ことばを並べてみる。

単純な作業も大切なのかな、こういう日があってもいいのかなって嶺葉自身思います。

急に意味不明で中身のない嶺葉のことばを受け取ってくださったみなさん、本当にありがとうございます。

また次の記事でお会いしましょう!


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