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人生ビンゴの結果と今年の振り返り

今年もあと残すところあと二日。世間では本日が仕事納めのようだが、フリーランスなので納める瞬間が分からない(というか前職も仕事納めとかなかったけど)。今年最後の写真レタッチ終わったし、年明け最初の写真撮影の仕事資料作って締めようかな。
(今回のヘッダーは今年最後の静岡出張でホテルから見えた美しい富士山)
今年は私にとって大変革の年だった。これからや生き方や自分の価値観をしっかり見つめなければいけなくて、でもそれが怖くて怖くて見て見ぬふりをするようにわざと慌ただしく過ごしてきた。それがこのnote記入に手をつけなくなっていた原因だと思う。自分を見つめ直すことが恐ろしかった。
でも殻に籠るのではなく溜め込む気持ちを少しずつ近しい相手に発信し(というかぶつけてた)、自己嫌悪に潰されそうな私から手を離さないでいてくれた人たちがいてくれたおかげで今無事にここに記しに戻って来れた。
シリーズとして書き綴ろうと思っていることとかたくさんあったのだけれど、それはまたいつか書くとして(書かないかもしれないけど)、まずは今年の出来事を軽くまとめて今年のnoteを締めようと思う。

【1月:人生ビンゴ開始】

記事は以下から↓ ↓
去年の12月末に勤めていた会社を退職した。生活は転勤先の富山から実家の東京へ、仕事は映像関係からプラススキルとしてフォトグラファーを目指すという私にとって大きな転機となるこの年に目標を束ねた人生ビンゴを始めないでどうする!・・と、隣でそれを書き出しているパートナーを見て始めることに。辞めたらやりたかったことリストから引用した理想を並べた人生ビンゴ。その結果は・・・・この記事の最後にとっておくとして次行こうかな。

【2月:不測の事態で開業届提出】

退職したとはいえ会社の仕事が心底嫌とか、勤務形態が嫌とかそういうのが根本的な理由ではなく(それで体重激減と生理不順が起きてはおりますが・・)、その会社ではできない新たに挑戦したいことへの気持ちが高まったから。前述に述べたフォトグラファーという仕事への挑戦です(これについてはもう少し後で)。
素直にそれを伝えたところ、会社の人たちからは応援の言葉をいただけた。仕事で第一に尊敬する大先輩にも退職の意を伝えると、応援と共に細やかな送別会を開いてくれた。その時である。
「しばらくは勉強?」と聞かれ退職金を片手にバイトしつつ目当てのフォトグラファー契約会社の勉強会に参加することを伝えると、
「バイトするくらいならこれまでのスキル活かしてウチと同系統の会社とフリー契約しなよ」
・・なんと。
そう、一から仕事を探すくらいならとフリー契約で会社を斡旋してくれることに。これには本当にびっくり。辞めたというのにまた同じ仕事にお世話になるなんて。
さらにはインスタで退職報告をした際に連絡をくれた友人は仕事を手伝って欲しいと案件を定期的にくれることに。
・・これはもしや、バイトでなくても仕事それなりにもらえるのでは。そしてこれは、所謂フリーランスという形態になるのでは?
全く考えていなった個人事業主という選択肢に気持ちがついていけず、しかし早く挑戦への第一歩に踏み出したい私は悩んでる暇などないと言わんばかりに確定申告が過ぎた3月末に開業届を提出し、晴れてフリーランスを名乗ることになった。

【3月:憧れへの第一歩】

それは開業届を出す数週間前のこと。私は兼ねてより憧れていたフォトグラファー会社を調べていた。
それに出会ったのは3年前。コロナ禍に入る直前、親友に結婚式用の写真撮影を頼まれた。普段は映像カメラマンとして働く私、写真は趣味程度でしか触れていないが大丈夫か・・?と不安になりインスタなどから様々なウェディングフォトを探して勉強した。その中で見つけたのがその会社で、綺麗なロケーションフォトはもちろん、しかしカジュアルで自然な笑顔が素敵な写真に惹かれた。レンズを向けられている相手に自然な表情を出してもらう難しさは分かっているつもりなので、そんなカジュアル且つ個性溢れる素敵な写真を撮れるカメラマンのファンになり、いつしか憧れを抱くようになっていた。
その会社が定期的に開く大きなセミナーを3月に開くという。見つけた瞬間に”応募”ボタンをクリックしていた。セミナーは二日制で、班に別れて専門フォトグラファーから直に撮影方法やレタッチ方法を学べるというもので、それはそれは楽しい充実した時間だった。二日目には実際にカップルさんを呼んでもらって撮影できる機会をもらい、改めて撮影の難しさと奥深さを学んだ。
難しいからこそ挑戦したい。その為に私は辞めたんだ。
その心意気が萎んでしまわないうちにと、そのまま契約するためのスクールの入会へと進んだのだ。

【4月〜7月:焦燥で壊れていく心】

スクールに通い始めた私の生活は以下の通り。
・土日は撮影(自分で被写体を探す)
・平日レタッチ
・完成写真を先生から講評してもらう
撮影はもちろん無償。希望によっては遠方まで出ることも多々。レタッチは慣れないせいもあり下手すると12時間以上掛かる。オンラインで先生からの講評に毎回心臓が張り裂ける。
多忙な日々、収入の激減、なのに増える支出の3コンボに早くも自尊心が欠けてしまった私の心は壊れ始めた。
「他の生徒さんは仕事しながら同じ撮影とレタッチをしてるんだよね・・私は仕事そんなにしてないのになんでこんなに限界感じてるの」「みんなSNSで評価もらってる・・私は見てもらえてないのかな」「平日はみんな仕事行ってるのに私は今日も予定がない・・」
考えれば考えるほど自分の価値観が下がり、拒食症と過呼吸を繰り返した。毎晩唐突に涙を流していた。
親からは「もうしばらく何もするな」と宥められ、パートナーにも「今そんなに無理をする必要はない」と心配されているに対し、「無理しないと壊れそうなんだ!」「ほっといてくれ!」と撫でてくれる優しい手を振り払った。今思うと本当にひどい有り様だ。こんな私のことを一度もほっとかず静かに寄り添ってくれた私の大事な人たちにはお礼を言っても言い切れない。(書いてて涙が出てきた・・本当に申し訳ない日々だった)

【6月/7月:京都一ヶ月生活】

上記の自尊心欠落期間によって周りの人たちへ多大な迷惑を掛けた私は、もう迷惑を掛けたくないと逃げるようにひとり暮らし環境へ身を置くことにした。これは退職前からやりたいことリストに入れていた憧れの生活。まさかこんなモチベーションからスタートするとは夢にも思っていなかったけど。
あまり長く書かないけど、この生活もまた私の人生の転機の一つとなった大事な期間だった。
京都という街に観光地らしい輝きがありつつ、郊外の”何もない”感じもしっかりあってなんとも居心地が良い。そして鴨川。生活の後半はほぼ毎日散歩していた鴨川の景色は心の安泰をもたらしてくれた。

鴨川でお昼ごはん。最高だったな。

また、写真勉強も続いていたので被写体探しを関西で開催しなければいけない。関西の知り合いなんていないよ〜と手当たり次第に聞きつけてみたところ、前職の同僚がなんと京都に住むご夫婦さんを紹介してくれた。この出会いがなんとも大きな出来事で、弾ける笑顔のAさんはなんと演劇役者の経験者。撮影後も一度このご夫婦さんと遊び楽しい時間を過ごしたが、その後なんと主催する演劇のカメラマンとして呼んでくれることに!
予期せずして来年の演劇開催の前後で再び京都暮らしが決まったのだった。
こんな素敵な出会いもあり、京都や奈良の素敵な景色を堪能した一ヶ月で、将来の暮らしを考える余裕もできた。夢の話としてまた語れたらいいなと思う。
とにかく、素敵な時間を過ごした。そして再びの短期間ひとり暮らしもいい気分転換となった。

【7月:念願のフォトグラファーに!】

スクールに入会して約四ヶ月。たくさんの撮影と講評会を繰り返し、ついに7月末にフォトグラファー契約の合意を得ることができた。
3年前から憧れていたフォトグラファーとしてのスタートラインに立ったのだ。
この合格の日は忘れられない。上手くコミュニケーションを取れず、一度関係性を解除していたパートナーと一ヶ月半振りに会って話し合い、関係を戻した日だった。

【8月〜11月:とにかく仕事、な日々に安心する】

この三ヶ月はとにかく仕事をしていたと思う。個人的に使っているスケジュール管理アプリで仕事を青字で入れているのだけど、結構青字で埋まっていたので間違いない。
元々社畜のような生活だったので、こう・・仕事が埋まってるの嬉しくなっちゃう。しかも今はとにかく「やりたい!!」と思える仕事がたくさんあったので忙しくて体は辛くても心は元気な状態に安心を覚えてしまうのよ・・相変わらず心配してくれる人が周りにいるので健康に生きてこれている。(ちなみに退職後は心療内科と産婦人科に通っていた。後者については身体に分かりやすい原因がなくて一安心したものの解決策が見つからなくてお医者様と常に相談している)。
ちなみに三ヶ月での仕事の割合としては映像6割、写真4割となかなか理想的な割合だった。フォト関連はほんと繁忙期(七五三)のおかげですね〜〜!楽しかった。仕事して、自分の技術を見返して反省して改善点を考えてまた新たな現場へ・・というサイクルに入るのが何より楽しい。
映像に関してはスキルアップというよりも現在のスキルを活かせる要員としての単なる雇われのような案件が多かったので技術とは・・カメラマンとは・・と闇落ちしかけたけどここはまあこれからの課題としていこうと思う。

【12月:振り返る余裕が戻ってきた】

かなり端折ってしまったけれど、今月メンタルがそれなりに回復してきたのは上記の忙し期間のおかげだ。
やっぱり仕事がある安心感は必要で、でもそのためだけに仕事内容の妥協はしたくないという気持ちはある。その上で考えたいと思ったのは、目の前のことではなくもっと先の未来のこと。
私は退職を決意した時にやりたいことリストを作ったものの、それらは全て”一年やそこらで叶えられること”であって将来の夢に繋がらない。別に「明日食べるご飯のことを考える」だけでももちろん生きる理由になるので将来の夢はマストではないと思うけど、私の人生はほぼ”夢=目標”としてそれを達成するために積み重ねてきたものなのでそれがないまま生きていくのはやっぱりつまらない。
なので、新たな夢を持ってみた。『国内、そして海外へ旅暮らしがしたい』という夢を。
現実問題そう簡単にはいかないかもしれないけれど、だからこそ叶える為に頑張る価値があるのではと思う。
ばっちり叶わないかもしれないけれどそれはそれでいい。ゆっくりやっていこうかな。
こんな気持ちに戻ってこれて良かった。
見守ってくれた家族、パートナー、友人に心から感謝したい一年だった。

【さて、人生ビンゴの結果は?】

一年を振り返ったところで、今年の人生ビンゴの結果を見てみよう。

右下から二番目のニコちゃんは達成したよ

・・ビンゴならず!!
惜しいのは下から二列目かなあ。量増やす努力はしたつもりなので△にしたけど、実際胃はもっと小さくなってしまった。
今回公開しづらい目標入れて振り返るにも「何入れたっけ・・?」となったので次回は公表して良いやつだけにしよう。

では、良いお年を。

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