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世界で一番の大問題の話。

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。


緊急事態宣言が解除されましたが、新たな問題がニュースで取り上げられてますね。

それが差別問題です。

いまアメリカだけじゃなくて世界中で有色人種差別が問題になってますね。


実際、かなり前からずっと存在し続けてた問題だけど、アメリカのミネソタ州ミネアポリス市で起きた、警官による黒人男性の拘束死事件が発生してより顕著になりました。


世界中でデモが起きてて、最大瞬間風速でいえばコロナに負けないくらいの勢いで問題になっています。
"Blacklivesmatter(通称BLM)" 「黒人の命も重要」という社会運動がこの事件をトリガーに一気に有名になりました。

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(画像:Yahoo!ニュースより参照)




誰しもがニュースで一度は目にしたことがあるはずです。

アジア人も、もちろん日本人も他人事にはできないことです。
なんてったって我々も有色人種であり、差別される側ですから。


そういうわけで自分も少しだけ差別問題について調べてみました。

少しでも多くの人に知ってもらいたいことなので、調べたことを紹介します。

黒人差別の問題には様々なほかの問題が関わっているため、重要そうなものを抜粋しました。

これから話すことは一部のことなので、関心が湧いた人は是非もっと深く調べていただきたいです。


・そもそもの話


黒人や有色人種差別は世界中に存在してますが、今回はアメリカに焦点を当てて話して行きます。


みなさんが知ってる黒人差別の歴史の中で、比較的古くて有名なのは"黒人奴隷"についてじゃないでしょうか。

アメリカの奴隷制度は、イギリスが植民地に初めて入植した後に始まりました。
特にアメリカ南部にて盛んでした。
法令で奴隷制が認められるくらいです(1640年代から1865年までの間認められていた)。

奴隷制度自体は南北戦争終了後の1865年のアメリカ合衆国憲法修正第13条の成立(これが割と重要)で終わったことになってます。

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(アメリカ合衆国憲法修正第13条の写し。 画像:Wikipedia)


これまで奴隷とされていた400万人もの黒人たちが突然自由の身になったわけです。
法的に。


昨日まで当たり前にいた労働力を突然失った南部の経済はこれによって破綻します。 

農産物の生産技術を持っていたのは黒人たちですからね。


・修正憲法第13条の話

そこで経済を再建するために、修正憲法第13条の"抜け道"が利用されました。
これは、アメリカ国民の奴隷制度の廃止と平等な自由を保障するもので、このように記されてます。

"第1節 奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない。ただし犯罪者であって関連する者が正当と認めた場合の罰とするときを除く。"

そうです。
基本的にはみんなの自由は保障されるが、犯罪者であれば奴隷としての隷属が許されるということです。

ここでアメリカの逮捕の歴史が大きく動きました。

実際、黒人差別と刑務所(司法も然り)は切り離せないものです。

当時、黒人たちは放浪や徘徊といったほんの小さな罪で逮捕されてしまいました。

大量の逮捕によって、 "黒人はみな犯罪者だ" "野蛮な種族" というイメージが定着してしまいます。
これは白人が黒人の労働力を必要とした結果生まれたものでした。


アメリカ映画最初の長編映画である、
『The birth of a nation』(監督:D.W.グリフィス)

この中で黒人は野蛮で手に負えない野獣のような存在として描かれました。

この映画の大ヒットも悪いイメージの定着の一因になりました。

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(映画告知用のポスター。中央にはKKKの扮装をした騎士。)
※KKK(クー・クラックス・クラン)…アメリカの秘密結社であり、白人至上主義団体。



・人種隔離政策の話


『The birth of nation』の公開によって黒人の悪いイメージが定着した後、世間では暴力が正当化され、何千人もの黒人男性が殺害されました。

黒人たちは南部から北部や西海岸に流れて行きました。移民ではなく、暴力から逃れる難民として。

でもこれがおかしいと気づく人もいました。
そして次第に、暴力ではなく合法的な手段が取られるようになりました。

それが人種隔離です。

南部では"ジム・クロウ法"という法律が制定されました。
これは人種隔離を合法化したもので、これによって有色人種(黒人だけでなく黄色人種も)は公共施設の利用を禁止制限されました。


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(バス内では肌の色によって席が分けられていた。)


有色人種の人たちは投票もできず、学校にも行けませんでした。

この頃から公民権運動家たちは人権問題に対して動き始めます。
今となっては良いこととして見れますが、当時は公民権運動家たちは犯罪者としてみられました。

公民権運動が本格的に始まった頃、同時に犯罪発生率も上昇しました。

これによって白人議員の間では
「黒人を自由にすることは犯罪を許すことと同じじゃないか」
という意見がでてきくるようになり、人種問題は犯罪問題へと変わりました。
同時に麻薬問題が重要視されるようになりました。


・麻薬問題の話


1960〜70年代、公民権運動家やブラックパンサー党による黒人差別抗議と同時にベトナム戦争に対する若者の反戦運動やサンフランシスコ発のヒッピームーブメントなどのカウンターカルチャーの台頭といった、社会的運動が活発になります。

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(ブラックパンサー党によるデモ行進。 画像:www.greelane.comより)


ハードドラッグの使用率も同時に上昇しており、ドラッグに対してこれまで以上に問題視されるようになりました。

そして、ニクソン大統領は「法と秩序(Law and Order)」という言葉を世に放ち、1971年には「麻薬戦争(War on Drugs)」という言葉を宣言しました。

大麻所持という軽犯罪でもすぐに逮捕されるようになり、大量投獄の時代になります。
(これらはニクソンの南部戦略(南部の白人を共和党支持に転向させる戦略)とも言われてます。)


ロナルド・レーガンの大統領選当選によって、1982年に麻薬戦争が実行に移されることになりました。
ナンシー夫人の「ノーと言おう運動(Just say No Champagne」を知ってる方も多いのではないでしょうか。


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(レーガン大統領とナンシー夫人)

1980年代の中頃、クラックコカイン(タバコで吸引できるようにしたコカインの塊)という薬物が都市部にて流行し、黒人でクラックを所持していれば終身刑と言われるほどに強く取り締まられました。

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(クラックコカイン。 画像:Wikipediaより)


レーガン政権になってから、黒人男性の逮捕率が爆発的に上昇し、黒人社会全体が揺らぎました。
1980年から85年にかけて、約50万人だった受刑者が約75万人に増加しました。

結局のところ、麻薬戦争は、白人と黒人やヒスパニック系の人種間戦争でした。

ニクソン時代に唱えられた"戦争"は単なる喩えに過ぎませんでしたが、レーガンはこれを本物にし、有色人種コミュニティを壊滅させました。


・メディア、マスコミの話

当時のメディアは世の中の風潮を後押しするように黒人の悪いイメージを流し続けました。
警察が黒人男性を逮捕する映像をたくさん流し、新聞では連日黒人による犯罪の記事が一面に載りました。もちろん、その中に無実の罪で逮捕された人は少なくありません。


ジョージ・ブッシュはこの風潮を政治的に利用しました。

(選挙期間中に流されたCM)

大統領選挙に対抗馬として出馬したデュカキスは、プログラムを遵守し、犯罪者である黒人男性に週末の一時釈放を認めていました。

ブッシュは「私はこの黒人をもっと厳しく取り締まることができる」と主張し、世間を味方につけ、選挙に勝ったのです。

世の中では、白人がこれまで以上に黒人のことを恐れるようになりました。

世間には黒人たちを "スーパー・プレデター" と呼び、人間以下の存在と貶める人も少なくありませんでした。

(ヒラリー・クリントンによるスピーチ。黒人の少年を「ただのギャングではなく、心を持たない"スーパー・プレデターである」と話した。)


その後、州知事選や次の大統領選では、票を集めようと、より強固な取り締まりを約束する議員が多く現れました。


・犯罪についての話

民主党のビル・クリントンが1993年に大統領に就任しました。
彼によってアメリカにおいて、州法として“三振法(Three-strikes law)"が成立しました。
これは、重犯罪を3度行えば終身刑となることを決めた法です。

これによって刑務所のキャパが足りなくなり、毎月4200人もの軽犯罪者たちの釈放を強いられます。

三振法の他に、"必要的最低量刑法"が定められました。 

これによって、犯罪の種類ごとに最低刑期が決まり、減刑がされなくなります。
裁判官たちの正義が正しく執行されなくなりました。

また、仮釈放が廃止されました。
例えば、50年の刑期が決まれば、丸々50年収監されるということです。

これによって1990年に約120万人だった受刑者が2000年には200万人を超えました。

退任後に、ビルクリントンは「当時の政策によって問題解決と引き換えに新たな問題を作ってしまった。やりすぎだった。」と謝罪しています。


・ジョージ・ジマーマンの話

歴史の話はこれくらいにして(本当はもっと書くべきことがあるのだが)、最近のことを話しましょう。


つい先日起きた事件に似たような事件は過去に何度か起きています。
例として、2012年にフロリダ州で起きた、ジョージ・ジマーマンが17歳の黒人少年、トレイボン・マーティを射殺した事件を紹介します。

自警団のリーダーだったジマーマンは銃を携行して"不審な少年"を尾行しました。
2人は揉み合いになり、ジマーマンは持っていた銃で少年を射殺。
彼は裁判にて正当防衛を主張し、逮捕は愚か、罪すら問われませんでした。

当然、世間の黒人たちは異議を唱え、フロリダの正当防衛法が問題視されました。
同時に、BLMも注目されました。

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(当時の抗議デモの様子。画像:Forbes Japanより)


・彼らの活動の話


上記のことはすべて、黒人と白人の間で待遇が違ったり、不当な扱いを受けたり、存在を否定されてきた事実の話です。

昔は不当な扱いを受けても、ただ耐えることしか許されなかった被差別者は、次第に声を上げるようになりました。

キング牧師などの運動家が現れ、歴史的な演説によって差別の撤廃と平等な自由を求めました。

(1963年8月、リンカーン記念館にて行われたキング牧師によるスピーチ。)


その後の時代にも、まだ抗議をする人は現れ続けました。


ヒップホップの歴史の根幹を作った伝説的なグループ "N.W.A(Nixxaz with attitudes)"の代表曲、「Fuck tha Police」では、ただ黒人であるという理由で迫害する白人警官への怒りや憎しみが約6分間、コミカルに過激に歌われています。



その他、ラッパーのケンドリック・ラマー(Kendric lamar)は、アルバム「To Pimp A Butterfly」で、ドン底へ叩き落とされ、そこで黒人文化の歴史を辿り、この時代の文化的リーダーが生まれるまでを完璧に仕上げました。

アルバム発売の前年にミズーリ州で起きた白人警官による黒人少年の射殺事件のこともあり、2015年のグラミー賞授賞式では "Black lives matter" が何度も繰り返されました。

世界中の著名人たちがBLMを掲げ、市民への理解を促し、問題を常に忘れさせないよう活動しています。


・個人的な話

これまで歴史や事実の話をしてきましたが、少し個人の話をしようと思います。

私が過去にアメリカに行った時も、イギリスに行った時も、私は差別をされました。

テレビで見るような、集団リンチやあからさまな迫害、罵詈雑言を浴びせられたわけではないです。
が、一個人としてではなく、黄色人種として分類され、
「俺たちとは違う。」といったような扱いを受けたのは事実です。


これを差別と言わず何といいましょうか。


今回の事件が発生してから、フランスに住む黒人の友達にメールをしたところ、とても重要で興味深いことを教えてくれました。

やりとりの内容はこんな感じです。

👦「いま大変なことになってるね。」
👦🏾「こっちでもデモやってる。でも参加する気にはなれない。」
👦「この運動はいい兆しのように見えるけどどうして参加しないの?」
👦🏾「これはあくまで個人の意見として聞いて。俺が求めてるのは"理解"であって、抗議よりももっといい方法があるはずだ。抗議も一つの方法だが、アメリカでは暴動になってるし、抗議せずとも理解してくれる白人もいる。一概に白人に対して何かを訴えるんじゃなく、自分たちの存在への理解を求めるべきだ。」


これまで私は、 "黒人はみな平等や自由を求めて闘ってきた、そしてこれからもそうある人たち" だと思ってきました。

これは間違いではなかったのですが、ただの一例に過ぎませんでした。

より平和的に、自由ではなく理解を求め、"共存"を強いるのではなく当たり前のことにしようと考えている人もいます。


・最後に


はじめはこのようなものを書くつもりはなかったのですが、理解を求めている人がいると分かった以上、私も同じように理解を促さなければいけないと思いました。

これらはただの事実の羅列にすぎませんが、黒人差別問題に興味関心を向けていただくには十分だと思います。


ここまで読んでくださった方は、少なからず黒人差別の歴史について理解し、他人事にしていい問題ではないと思ってる方がほとんどだと思います(そうであると思いたい)。

どうか未だ闘う彼らのために、異国で差別を受けている我々の仲間たちのために、事実を知って、事実を見てください。

ぜひ自分で調べて確認して、いま世界で起きてる"リアル"を見て考えてください。

これがそのきっかけになることを願います。

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