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福知山を歩いたこと
ひとりで知らない街を歩くのが好きだった。旅行ができなくなっているうちに忘れてしまったことは多いけれど、思い出しながら書いておく。2019年4月末の3日間、京都府福知山市に行ったときのこと。
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福知山という街をほとんどの人は知らない。福知山がどこにあるのか知らないし、どんな土地なのかを知らない。もちろん、わたしも知らなかった。
旅行先に福知山を選んだ理由のひとつは、マンガ家のこうの史代さんだ。こうの史代さんが福知山に住んでいるというのは、映画『この世界の片隅に』公開時の話題のひとつとして見かけて知った。どんな場所なんだろう。出身地の広島に近いわけでもない。なにかがあるのかもしれない、となんとなく気になった。
ゴールデンウィークなのだから、できるだけ観光地ではない場所に行こうとも思っていた。人混みは避けたい。福知山には明智光秀の築いた城があるくらいで、観光スポットはない。大河ドラマ『麒麟がくる』は2020年放送だから、2019年時点では観光PRはそれほど盛んではなかった。
名所が見たいわけではない。寺社仏閣にも風光明媚な景色もそれほど興味はない。それよりも、人々が暮らしている土地へ行ってその街のスーパーマーケットを見たり本屋に入ったりすることに興味があった。
2019年のゴールデンウィークは、平成から令和へと元号が変わったときでもある。世の中のあらゆることが「平成最後の」と言われていた。たぶん、わたしはその時間をなるべく静かに過ごしたかったのだと思う。よくわからないお祭り騒ぎにはあまり触れたくなかった。
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福知山へは、京都駅から山陰本線に乗る。東京から京都まで新幹線で2時間。京都から福知山まで快速で2時間。山陰本線の車窓ははじめのうちこそ京都らしい雰囲気も感じられたけれど、次第に山の中へと入っていくと自分がどこにいるのかわからなくなる。山の中を走る電車は、日本中どこでも同じように魅力的で、同じように暗い。
福知山駅を降りてビジネスホテルに入る。ビジネスホテルがあるのだから、仕事をするためにこの街に来る人がいるのだろう。特に何もないことは知っていたものの、やはり何もないなと思う。
食事を探しに出掛けると小雨が降り出していた。商店街のような地区には映画館があり、名探偵コナンとクレヨンしんちゃんが掛かっている。いいところに来たなとあらためて思う。
映画館のすぐ隣にカフェがあって、雨宿りがてら入ってみると、驚くほど立派なブックカフェだった。


こういうことがあるから面白い。特に観光地ではない街に、こんなにワクワクする店がある。
たとえばこの写真の棚には、上の段から順に、西島大介の『ディエンビエンフー』があり、ガルシア・マルケスの作品集があり、埴谷雄高の『死霊』があり、その下には市川春子の『宝石の国』がある。どういう意図があるかはわからないけれど、なにか、なんらかの意志をもってこの店は営まれている。

ブックカフェを出て駅前の居酒屋に入り、日本酒と刺身を頼む。この刺身はどこの海から来たのだろうなと考える。
Twitterを見れば東京のことを思い出す。タイムラインのほとんどは東京にいる人たちだ。みんな、自分のいる場所のことだけを考えて生きている。東京にいる人たちは、東京のことしか考えていない。東京から離れることで初めて、東京のことを相対的に見ることができる。
いちいち自分を相対化していたら東京では生きていかれない。目の前にあることに一所懸命になり続けなくては、うっかり目が覚めてしまう。目を覚まさないように気をつけながらタスクを崩していく日々。それはどこにでもある。
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翌日は大江山を歩いた。鬼退治の伝説がある山だ。いまは『鬼滅の刃』にあやかって観光地化しているのだろうか。2019年にはその気配はなかったように思う。
大江山といえば百人一首の小式部内侍の歌を思い出す。たしかに都からは距離があり、「道は遠ければまだふみもみず」と言えそうだ。固有名詞は似たものがあることもあるし、後から改名しているかもしれない。石碑などは見つからず、検索して調べるのもつまらない気がして、詳しいことはよく知らないままになっている。

小雨まじりの天候もあっただろうか、なんともいえない神聖さを感じた。何百年も前からずっと、ここを通る人たちは祈りを捧げてきただろう。そうすることが当然だと思われた。
福知山駅に戻り、駅ビルの中の居酒屋に入る。BGMに昭和アイドル歌謡が流れていて過剰に元気な雰囲気のある店構えだったけれど、料理がとてもおいしかった。いい意味で裏切られるとはこういうことで、なんとも嬉しくなる。
ホテルに戻ってテレビを付けると、「平成最後」を特集する番組ばかりだった。Twitterもなんだか普段とは違ってザワザワしている。大晦日みたいだなと思う。
福知山に行ったと話すと、たいていの人は「電車の事故があった場所というイメージ」だと言ったけれど、2005年に悲惨な脱線事故が起きたのは尼崎市であって福知山市ではない。関東に暮らしていると、どうしてもその程度の認識になってしまう。
自分の近くにあることしか考えていられないし、興味をもっていられない。固有名詞への印象は上書きされない。世界の多くの人にとって「福島 FUKUSHIMA」のイメージは当分固定されてしまうのだと、福知山の話をしてみて、わたしはやっと理解した。
知らない場所へ行くのが旅行であって、観光地に行くことだけが旅行ではない。特に何もないように見える街にも、わたしの知らないことはたくさんある。知らないことばかりがある。