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「気候危機を解決するには、政治を変えなければならない」- なぜ私は気候危機に取り組むのか。 Vol.3

【はじめに】

 皆さんはじめまして。Fridays For Future Japan(FFFJ)のはるです。
 今日は私が書く初めての記事ということもあり、どうして私が環境問題、とりわけ気候変動問題に興味を持ったのか、現在FFFJでは何をしているのか、を書き、最後にFFFJで自分は何をしているのかを記していきたいと思います。


【環境問題と「私」】

 私は1998年、神奈川県相模原市に生まれ、大学進学まで東京都の町田市で育ちました。家の周りにはたくさんの自然があり、多くの生き物と親しんできました。このような生活を送っていたので、私にとって自然は生活の一部であり、身体の一部でした。だからこれからもずっと自然と一緒に生きていきたいなという事は、無意識に感じていました。
 だからこそ、保育園の先生や母親から「今、たくさんの木が切られて地球が暑くなっていて、たくさんの生き物が苦しんでいる。」と聞いた時にはうろたえました。その時の感情は怒りや恐れや焦りなどなどが混ぜこぜになって、およそまだ保育園児の自分には言葉に表せないものでした(今も表現できません笑)。同時に自分が自然と私たちが共に笑顔になれる世界を創っていかなければならない、と思いました。そしてその気持は現在も、私が環境活動を行う原動力となっています。

 その後小学校を卒業して中等教育学校に進学しました。中等教育学校では専ら勉強や部活に励んでいましたが、地球温暖化を止める、というパッションが冷めることはなく、大学は農学部に入りました。入学してサークルを探している時に、ある自主ゼミサークルに出会い、地球温暖化を含む気候変動が様々な社会問題に関係していることを初めて知りました。これが私の第二の転機です。それから私はさらに気候変動について学習し、もはやこの問題は気候危機と呼ぶにふさわしいぐらい深刻なものであることを知りました。そんな時、FFF Sendaiの心を同じくする仲間と出会い、現在はFFF Japanとしても一刻も早く気候変動問題を解決するために日々活動しています。

【FFF Japanは今何をしているの?】 

はじめにFridays For Future(FFF)について軽く説明します。FFFは若き環境活動家のグレタさんを端に発する若者主体のムーヴメントで、気候変動問題に対し様々なアクションを行っています。FFFJは地球の平均気温を産業革命前と比べ+1.5℃上昇に抑えるために、日本各地に存在するFFFをサポートするとともに、国や企業に対して多角的にアプローチをしています。
 FFFJは現在オンライン班やウェブサイト班、渉外班、国際連携班などがFFFJの実働を担い、政策班や勉強班などがFFFJのブレインとして働いています。他にもマーチなどにおける経理を担う会計班や各班を取りまとめるチームビルディング班、日本の気候変動政策に大きな影響を与えるエネルギー基本計画に対するアプローチを考えるエネ基プロジェクトなど、様々な班が連携し合ってFFFJを形作っています。
 特に私たちが主眼を置いているのが「世論喚起」です。私たちは若者主体の団体であり、若者を含む世論に精通しているという強みを活かし、多種多様な方法で多くの人々に気候変動問題の深刻さ、今行動することの大切さを伝えています。直近では、9/25(金)にGlobal Day of Climate Actionを計画しています。

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【FFFJで私がしていること】

私は現在FFFJの中で、主に政策班やエネ基プロジェクトに携わっています。数多くある班の中でこれらに関わろうと決めたのは、今年3月にオーストラリアへ行ったことがきっかけでした。皆さんは昨年9月から今年の2月まで猛威を振るったオーストラリアの森林火災を覚えているでしょうか。私はニュースでその森林火災を見たことを克明に記憶しています。なぜなら画面越しに見た、荒れ狂う業火が周囲の森林や生物を飲み込む映像は、まさに私が思い描いていた地獄絵図そのものだったからです。わたしはこれを対岸の火事と片付けることができず、その実態を知るために現地へ行きました。その頃火災の威勢は弱まっていましたが、本来なら一面に緑が広がる森林地帯が黒土と化した光景を見て絶句したと同時に、激しい嗚咽に襲われました。私でさえこのような気持になったのですから、現地で環境活動している若者はさらに絶望を感じていたと思います。同時に私は、どうやって今の気候危機なる世界を乗り越えようとしているのか気になり尋ねてみました。その時の答えが「政治を変える。それが最も効果的な方法だ」というものでした。今までの私は気候危機を解決したいがどうすればいいのかわからなかったので、その言葉は松明のように絶望に打ちひしがれていた私を明るく照らしてくれました。
 こうして私は帰国した後、FFFJの政策班やエネ基プロジェクトに加入し、今日にいたるまで、仲間とともに政策的なアプローチを考案・実行してきました。代表的なものには今年6月に行われた、小泉環境大臣とFFFJを含むユースとの意見交換会です。この貴重な機会に、私たちは脱石炭や未来を見据えた環境政策など、私たちの思いをぶつけました。他にも多くの専門家へのヒアリングや意見交換を通じて日本の環境政策の最新情報を得て、世論喚起のための戦略を考えています。その一例として、8/21には環境省に声明文を提出し、署名活動を開始しました。これからも私はFFFJの中で、日本の環境政策のブレインとして、日本を環境大国にしていきたいなと思っています。そのためには目も眩むような勉強やリサーチが必要ですが、気候危機を乗り越えて、私たちがこれからもたくさんの生物と共存していける世界を創るためなら、どんな労力も厭いません。

小泉大臣 意見交換会

         ↑6/26に行われた環境とユースとの意見交換会

【最後に】

 私のストーリーテリングとFFFJについて、稚拙な文章を最後までお読みいただきありがとうございました。私のように、気候危機を止めたいと思ってFFFJに参加している若者は、現在およそ190人です。各地のFFFのみに参加していたり、他の運動体で気候変動問題に取り組んでいるユースも合わせると、本当に多くの若者が気候危機を止めるために行動しています。
 気候危機は始まっています。私たちの未来をよりよいものにするために、各地のFFFやFFF Japanと一緒にアクションしてみませんか。


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