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WBC2023をめぐる極私的「備忘録」

まるで『鎌倉殿の13人』

 
 
 まるで『鎌倉殿の13人』だったな・・・。
 WBCで日本が優勝を遂げてから、日が経つにつれ、そんな思いが僕の脳裡で膨らんできた。
 
 NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の脚本を書いたのは、三谷幸喜だ。
その脚本が見事だったのは、登場人物ひとり一人について、“主役”となる場面が用意されていたことだ。
 
文字通りの主役級や周辺の主要人物等々から、通常ならストーリーの細部の端役として記憶に残らずに終わってしまうような脇役に至るまで。

 最も端的な例が、暗殺請負人ゼンジだ。ひたすら不気味な陰の存在だった彼も、自らが命を落とすシーンで一気に人間としての顔を覗かせ、静かなスポットライトを浴びた。
 
 WBC日本チームの30名。
 大谷翔平やダルビッシュ有をはじめとした、吉田正尚、山本由伸、佐々木朗希などの中心選手は勿論、代打で貴重な打点を挙げた山川穂高や、逆転のサヨナラ・ホームインを果たした代走の周東佑京、小指骨折をモノともせず出場し好プレーを続けたショートの源田壮亮。その源田欠場の間、穴を埋めた中野拓夢。
 
 さらに、三人三様の捕手たち、決勝戦の9回、守備固めでセンターに就いた牧原大成。
 そして勿論、先頭打者として初戦初回にいきなりヒットで出塁しチームを勢いづけ、攻守走で魅せたヌートバー、鈴木誠也が故障せず出場していればベンチ要員だったかもしれない、繋ぎ役に徹して大活躍した近藤健介の1、2番コンビ。絶不調の淵から這い出して、準決勝(逆転サヨナラ打)と決勝(アメリカに1点先制された直後の初球同点ホーマー)で燦然と光を放った村上宗隆。
 下位打線の厚みを増した岡本和真、セカンドは、前半の闘いで2ホーマーの牧秀悟と決勝ラウンド4安打3盗塁の山田哲人が棲み分けた。
 そして、最終決勝戦、先発の今永昇太。その後を引き継いで、それぞれに好投したリリーフの若手投手陣たち。そして、あの8回ダルビッシュ有、9回大谷翔平を投入しての、夢のようなフィナーレ。
 
 みんな、それぞれの場面で輝いた。
 代表メンバーの人選と采配で、この見事なシナリオを書き上げたのは、監督の栗山英樹だ。

WBC大河ドラマ『栗山殿の30人』(完)
 

勝ち切るには「??」が必要

 
 
 贔屓チームのペナントレースを長年見続けていると、観戦中に次のように感じる瞬間がある。
 シーズン半ば過ぎ、まだ優勝を狙える位置で闘っている時期の試合でのことだ。
「もし今年が優勝する年であるならば、こういう試合(完全に劣勢で何点もリードされたまま終盤を迎えた試合)を、奇跡的にひっくり返して勝つものなのだけどなぁ」
 そして、実際に、目の前で起きる、劇的な逆転勝ち・・・・。
 
 そんな感覚は、わが北海道日本ハムファイターズが、2016年にリーグ優勝を果たしたのを最後に低迷を続けるなかで、すっかり忘れていた。
 
 
 だが、WBC優勝後の記者会見で、栗山監督が準決勝での村上宗隆の逆転サヨナラ打について語った時、「あ、それだ」と、かつての思いが甦った。
 
 舞台をマイアミのローンデポ・パークに移しての準決勝。
 4対5とメキシコに1点リードされたまま迎えた9回裏。先頭打者の大谷が気迫全開の二塁打を放ち塁上で吠え、続く4番吉田正尚が四球を選んで、ノーアウト一、二塁(勝負を賭けて一塁には代走周東)。
 ここで、打者は今大会絶不調の5番村上宗隆。
 この日も3打席連続三振のあと、7回裏も吉田の同点3ランの後、三塁へのファールフライに倒れ4打数ノーヒットだ。
 
 作戦としては、送りバントもあり得る場面。実際、栗山監督は、鈴木誠也の欠場で急遽召集したユーティリティー・プレイヤー牧原大成に、「代打でバント」のケースに備えるよう命じていたという。
 しかし、ここで栗山監督は「村上で勝負」を決断する。城石憲之コーチを通じて「思い切って行け」と伝達する。
 
 この時のことを、栗山監督は、会見でこう語ったのだ。
「もし勝ち切るなら、物語が必要だ。俺は村上と心中と思っていた」と。
 
 バントで送って確実に点になりそうな場面を作りだし、その試合はたとえ勝ったとしても、勝ち切る・・・・つまり、次の決勝戦にも勝ってこういうビッグ大会で優勝して世界一になるような偉業を成し遂げるためには、何か劇的な、爆発的なエネルギーの噴出、ミラクル、つまり「物語」が欠かせないと、とっさに閃いたのだろう。
 そして、誰もが知っているとおりの、村上の逆転サヨナラ打。
 センターの頭上をはるかに越えて。(僕は、「野球の醍醐味は、白球が誰の手にも届かない空間に飛んだときの、もう取り返しがつかないという、あの解き放たれた感覚だ」と常々思っている。)
 
 優勝するときには、そういう奇跡が起る。
 
 栗山監督の会見の言葉「勝ち切るためには物語が必要だ」を耳にして、僕は、かつて自分の胸の裡に宿っていた思いを甦らせていた。
 
 栗山監督の語る「物語」は、WBC以前、ファイターズの監督として指揮を執っていた時にも、我々ファンは味わっている。
 2016年のシーズン、首位の福岡ソフトバンク・ホークスに最大11.5ゲーム差(6月下旬)をつけられていたのをひっくり返して、大逆転のリーグ優勝を遂げた年だ。
 その7月3日、ホークスとの直接対決3連戦の最終試合。2連勝したファイターズはゲーム差を7・5にまで詰めていたが、3つ目も勝つかどうかは、3位の位置から追撃できるか否かの大きな分岐点だった。
 
 そして、その日、栗山監督が仕掛けた「物語」はーーー
 球界史上初、「1番・ピッチャー・大谷」だった。
 
 いかに二刀流とは言え、それまでの3年半の大谷にはありえなかった打順。DH制度のパの試合なのに、それを解除して、打順に指名打者を置かず、投手みずからが打席に立つ。本当に本当の「リアル二刀流」
 
 その試合、相手本拠地のビジターゲームだったので、試合開始と同時に打席に立った大谷は、初球を、いきなりホームランした。
 TVを観ていた僕は、思わず、別室にいた妻に叫んだ。
「大谷が、(投手として)投げる前に、ホームランを打ったッ」と。
 それを聞いた妻が放った言葉は、「投手がボールを投げる前に、一体どうやったら打てるのよ?!」だった。
 そんな笑い話さえ生まれたほど、ありえない、まさに漫画のような出来事の発生だった。投手大谷も8回を0点に抑え、見事、勝利投手に。
 
 その「物語」を起爆剤として、ファイターズはホークスを追い詰める。前述の11・5ゲーム差の6月下旬から7月にかけ15連勝を果たしている。
 シーズンMVPは大谷翔平。
 その後のCSⅡステージでは、2位の対ホークス最終試合に3番指名打者だった大谷は、9回にDH制解除で救援登板し、セーブを挙げる。ちょうど、今回のWBC決勝の最終回登板のように。
 結果は2三振を奪い無得点に抑え、日本シリーズに進出。
 そして広島にも勝って、日本一に輝いた。
   

ダルビッシュ有と大谷翔平「背番号11」の二人

 
 
 ここで、ダルと大谷、ファイターズで、ともに背番号11のエースだったこの二人が語った言葉を、採り上げたい。
 
 実は、このNoteでは、僕は既に「プロ野球 この選手たちの、この言葉が好きだ」というタイトルの投稿をしている(2021.4)。
 ダルビッシュと大谷については、まず、それを再掲しよう。
(Noteでは、他にイチローらについても記しているので、そちらも覗いていただければ幸いです)
 
★★ダルビッシュ有★★
  
◆なぜ惜しげもなく、変化球の投げ方等を他チームの選手にさえアドバイスするのか?
  
自分の技術を自分だけのものにしてしまうのは、もったいない。公開して共有して、野球界全体が進化するのが大事。技術を共有しないと、他の選手の可能性の芽を摘んでしまうことになり、野球界のためにならない」
  
◆変化球
 
「変化球は一種の表現。動き出してから、キャッチャーのミットに収まるまでが一つの変化球で、一種のアートとは言わないまでも、ピッチャーとして世界一になるより、自分が思い描く変化球を表現することが一番の喜び」
 
「(スプリットを封印しているのは)スプリットを投げたときの打者の空振りの仕方(打者の崩れ方)があまり好きじゃないから(自分の討ち取り方の美学と違う)。一番好きなのはチェンジアップで取る空振り」(日本ハム時代の言葉)
  
◆投手として究極の試合とは?
「9回1安打1四球10三振110球が理想です。理由は、楽しめて、次頑張れるから」(日本ハム時代の言葉)
  
(いずれも何年か前の発言だが、冒頭の、球界のために惜しみなく自分の技を公開、伝授するという言葉は、今回のWBCでも如実に証明された)
 

★★大谷翔平★★

 
◆プロ入り早々、評論家たちが「二刀流は可能か?」を論じていた時期。
 
「プロ野球の素晴らしい先輩方が、『二刀流 は無理だろう』『できるわけない』と言ってくれることで、僕のやることの価値を上げてくれるのかなと思う」(←この思考回路が見事だと思う)
  
◆そして、「二刀流は大変では?」と問われた時の答え。
 
「投手で打たれても、翌日、打者で貢献の機会があるので楽しい」
  
 
 以上に加え、今回のWBCの決勝戦(対アメリカ)直前に、大谷がナインの前で行なった「声出し」の言葉も、とても素晴らしいものだった。
(空虚で欺瞞に満ちた国会答弁ばかりが溢れる政治家たちの言葉と比べ、なんと爽やかで思慮深く真情の籠もった言葉だろう!)
  
「僕からは1個だけ。憧れるの、やめましょう。
ファーストにゴールドシュミットがいたりとかセンター見たらマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたり、野球やってれば誰しもが聞いたことあるような選手がいると思うんですが、今日1日だけは、憧れてしまったら超えられないんで。
 僕ら今日、超えるために、トップになるために来たので、今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。
 さあ、行こう!」
  
 
 以上、二人の言葉に対し、“大昔”からファイターズを見つめ続けてきた人間として、僕からもダルビッシュと大谷への思いを伝える言葉を、送っておきたい(過去にツイートで書いたものですが)。
 
 
YATUーFーKOMA @YATUKOMA
ダルビッシュが美しいのは フォームが綺麗だから
ダルビッシュが美しいのは 考え方が爽やかでしなやかだから
ダルビッシュが美しいのは 七色の変化球に彩られているから
ダルビッシュが美しいのは 自己に厳しいから
ダルビッシュが美しいのは 実力があるから
 #lovefighters       posted at 23:09:12
 
 
YATUーFーKOMA @YATUKOMA
2012年:ダルビッシュ選手がメジャーに旅立った日に――
 
今日僕たちは、
ダルビッシュ有」 から 「ダルビッシュ無」 となりました。
#lovefighters
  
 
YATUーFーKOMA @YATUKOMA
背中に負った その数字のように
二本の道を ひた走る君
つゆほどのためらいもなく
二つの線が 真直ぐに伸びた「11」番
前人未踏 二刀流の夢に挑む
君に幸あれ
#大谷翔平 #lovefighters    posted at 18:23:50
  
 

僕のミーハー自慢

ダルビッシュ・大谷・栗山監督に関する無邪気な自慢です


 
★ダルビッシュの初登板を観た
 
 ダルビッシュは東北高校からプロ入りして1年目の6月に一軍初登板・初先発・初勝利を挙げているが(8回0/3で2失点)、その前、5月初めのイースタン・リーグでのプロ初登板を、僕は鎌ケ谷で観戦している。
 3番手として出てきて2回を自責点0。田中賢介がまだ一軍レギュラーになる前で、ファームの主力だった時期。
 
 
★大谷翔平のサインを持っている
 
 大谷に目の前で書いてもらったサインを、2つ持っている。
 プロ入り早々、まだキャンプイン前の自主トレの時期、2013年1月前半と後半。日付入り、鎌ケ谷の勇翔寮前で。写真も。
  
★花巻東高校のマウンドに立ったことがある
 
 大谷が新人の年、2013年の夏。僕は東北旅行の途中、宮沢賢治記念館や童話村に向う前、廻り道して花巻東高校に立寄った。夏休みで誰もいなそうな校舎を前に、いくつも並ぶ校歌や栄光の足跡を刻んだ石碑。その前を通って、両翼98mのグラウンドに出て記念撮影。勝手に入ってスミマセン。
  
 このほか、両選手に関しては観戦した試合は多々。2006北海道初優勝のときのプレーオフ(札幌ドーム)をはじめ、東京ドーム、マリン、所沢・・・・。
  

★2012年の「夢は正夢」

  

栗山監督の座右の銘は「夢は正夢」

 
これも既にツイートしたことだが、ファイターズ新監督に就任した最初のシーズン2012年、リーグ優勝した秋に製造されたのが、本人自筆のラベル付きの清酒『栗山英樹 正夢』(小林酒造=栗山町)。
 当時入手して保存してあったのだけれど、WBC優勝の夜、ふだんはビール、ワイン党の僕も、「正夢」を呑んだ。旨かった。お腹の中に、一人で、シャンパンならぬ正夢ファイト。
 
 日本ハムが大谷翔平をドラフトで指名したあと、最初の挨拶の席に着く球団GMに栗山監督が託したのも、
大谷君へ、夢は正夢。誰も歩いたことのない大谷の道を一緒につくろう」という言葉だったという。
 
 
 栗山英樹が映画『フィールド・オブ・ドリーム』同様の夢を実現すべく、北海道栗山町に土地を確保し、子供たち誰もが自由に使える、思い切りプレーできる天然芝の、手作りの野球場「栗の樹ファーム」を自費で完成させたのは、ファイターズ監督就任よりずっと以前の2002年のことだった。

 それから丁度10年目の、新監督でのリーグ優勝。
   さらに約10年後の世界一の「正夢」。
 
 
 ところで、栗山監督の野球への情熱や行動力、知性や人間性を重んじる姿勢は、帰国後の日本記者クラブでの会見中継で、多くの人が目の当たりにしたに違いない。
 若手選手との接し方など、どんな質問にも、自分の考えを即答で、しかも具体的な細部にまで及んで語ることが少なくなかった。
 日頃から、様々な事を深く考えている証左だ。
 
 米国主導のWBCの運営に関して問われ、メジャーリーガーが参加しづらい点や日程など改善すべきと考えている部分について、既に関係者に厳しく要求し議論したということも披露していた。
 台湾の記者が、大谷選手の「日本だけでなく、アジア全体の野球の実力が拮抗している。みんなで強くなる」という意味のコメントに言及した際には、現ファイターズの王柏融選手を獲得する時にはみずから現地に足を運び、同選手が台湾にとっていかに大きな存在であるかを実感したということも語っていたし、ヌートバー選手を見つけ出し、リモートで面談したこと等々も含め、行動力と自分の手で物事に当る姿勢には特筆すべきものがあると思う。
 前記の「栗の樹ファーム」の話は、その代表例だ。

 野球に対する深い愛情と、たゆみない探究心。 
 会見で栗山監督は何度か「野球は、すげぇな」という言葉を吐いた。
 
 野球の戦法に関しても、常に思考を巡らせているのが栗山監督だ。
 ファイターズ監督時代の末期、2019~2020年。大谷も去り、先発投手陣に故障離脱者が出て投手力不足に苦しんでいた年。
「ショートスターター」という投手起用法も編み出している。
 
 先発して長いイニングを任せきれる投手が不足するなか、打者一巡する3回程度なら好投する投手を選んで先発させ、以後、早い継投策で試合を作っていこうという作戦だ。
 
 似て非なるものだが、メジャーでは「オープナー」という投手起用法があった。本来なら最終回の逃げ切り役である抑え投手を先発させ、好打者の並ぶ初回を凌ぎ、2回以降に本来の先発投手を登板させるもの。
 栗山監督は、こういった情報にもアンテナを張り巡らせ、思考し、それをヒントに「ショートスターター」を生み出して試みた。
 ファイターズ・ファンなら多くの人が知る話だ。
 
 

WBCを無邪気にファイターズ目線で語る①②

 

君はWBCとファイターズの法則を知っているか?
WBCで日本が優勝した年、北海道日本ハムファイターズは優勝する。
これも既に大会前にNoteに書いたことですが、少し補足もして再掲。
 

WBC lovefighters 目線①

★法則:WBCで日本が優勝した年、ファイターズ はリーグ優勝する
 
2006年:
 3月21日にジャパンV(王監督)。わずか4日後にパのシーズン開幕。2004年に北海道移転した日本ハムにとって、初めて開幕戦を本拠地・札幌ドームで迎える年だった。
 日本ハムから唯一WBCのメンバーに選ばれ、全8試合に先発出場し合計7打点、とくに決勝戦(対キューバ)では3打点(押出し四球と、2度の犠牲フライ)を挙げる活躍をした小笠原道大が、
帰国早々の開幕戦(3番一塁)、初回に先制本塁打を放ち開幕を飾った。
 その年、結局、札幌移転後初、チーム25年ぶりのリーグ優勝を達成している。MVPは小笠原。札幌ドームで観た、激走ヒチョリのサヨナラ勝ち優勝のホームイン。
 さらに、(前身の東映フライヤーズ以来)44年ぶりの日本一にもなり、SHINJOは涙の引退。
 
2009年:
 WBC優勝(原監督)の瞬間、マウンド上で仁王立ちしたのは、9~10回に抑え登板し勝利投手となったファイターズのエース、ダルビッシュ有だった(3勝松坂に次ぐ2勝目)。
 イチローが延長10回表、センターへのヒットで挙げた勝ち越し点を守り切った。
 22歳のダルビッシュは、今回の佐々木朗希のように若手のトップ選手として、1次ラウンド(中国戦)と2次ラウンド(韓国戦)で先発し、初戦の中国戦では4回をノーヒット、無得点に抑え勝利投手になっている。
 
 この年、ペナントレースではファイターズは5月から首位独走。
しかし、8月末から9月にかけ、新型インフルに見舞われ、選手の大量離脱による連敗続き(5連敗、5連敗、4連敗)。ダルも故障の大ピンチ。
 だが、それを乗り切ってリーグ優勝。札幌ドームで観た、金子誠の外野の奥深くサヨナラの犠牲フライ。MVPは15勝のダルビッシュだ(勝率も防御率も1位)。
 クライマックス・シリーズⅡ、初戦のスレッジの逆転満塁サヨナラ本塁打(9x対8)は忘れられない。
 

WBC lovefighters 目線②

★近年の日本代表はファイターズ色だ
 
 今大会、侍ジャパンのファイターズ所属選手は伊藤大海投手のみだが、今回の中核、ダルビッシュ有大谷翔平もファイターズ出身だ(ちなみに2人とも高校からドラフト1位での入団だが、ともに競合なしの単独指名。伊藤も単独指名。ファイターズのドラフト戦略の賜物=後述)。
 
 高出塁率で繋ぎ役を果たしたホークスの近藤健介も、昨シーズンまではファイターズの選手(FA移籍。近藤についてもNote「さよならコンちゃん」で、今年初めに書きました)。
 
 さらに、特筆すべきは首脳陣だ。
栗山監督以下、白井一幸ヘッドコーチ、吉井理人投手コーチ、厚澤和幸ブルペン担当コーチ、城石内野守備・走塁・作戦コーチ、清水雅治外野守備・走塁コーチ。いずれもファイターズで監督やコーチを務め、白井、厚澤、城石の3人は現役時代もファイターズの選手。
 
 白井ヘッドコーチはヒルマン監督や栗山監督のもと、ファイターズの2軍監督やヘッドコーチ、作戦コーチなどを務めているが、選手が失敗した時に叱責しないコーチ。詰問するのではなく、質問して、本人に考えさせることが大事ということを著書でも書いている。
  
 このほか、チーム・スタッフとして、ブルペン捕手に現役時代はダルビッシュ、大谷とバッテリーを組んでいた鶴岡慎也や、球団の現ブルペン捕手の梶原有司、メジャーの野手陣が来日前の壮行試合段階にはサポート要員として現役の万波中正外野手、さらに日本ハム球団通訳から大谷専属通訳役となった水原一平
   
 加えて、一昨年、金メダルを獲得した東京五輪も、首脳陣は、いずれもファイターズの主力OBだった。
 稲葉篤紀監督、金子誠ヘッド兼打撃コーチ、建山義紀投手コーチ。
  
 さらに、その前の、2019WBSCプレミア12で優勝した時も
 稲葉篤紀監督、金子誠ヘッド兼打撃コーチ、建山義紀投手コーチ、清水雅治外野守備・走塁コーチだった。
 
(以上敬称略)
  
 かつてはG出身の選手が代表チームや各球団の監督等を務めるケースが少なくなかったが、近年は日本ハム出身者が球界の主要な地位を占める傾向が目立つ。
  
 ついでに言えば、今回のWBCで、ファイターズOBたちがマスメディアの世界で露出に恵まれたのも、喜ばしいことだった。
 
 昨年オフに引退したばかりでタレント活動の杉谷拳士や、ヌートバー選手と日本との接点の源となった齋藤佑樹(2006夏の甲子園優勝投手として高校日本代表チームでアメリカ遠征。その時の試合で日本側のバットボーイを務めていたのが9歳のヌートバー君だった)。
 
 とくに杉谷はファイターズ・ファンの間では超有名なものの、一般的には知名度イマイチだったが、余力を残しての引退のタイミングが、結果的に絶好だった。
 杉谷自身はプロ入り直後から現在のタレント的な素質を発揮していたが。新人お披露目イベントで、壇上に上がったところで、お笑い芸人のようにコケてみせて笑いを取り、最後の挨拶では谷元投手を引き込んで「秋には2人で今年のM1に挑戦します」とジョークを放った選手。
  

競合なしの単独指名

 
 ダルビッシュも大谷翔平も伊藤大海も、ドラフトでは、競合なしの単独指名での獲得だった。
 大谷が単独だったのは、よく知られているとおり、大谷が高校から直の渡米を希望していたから。他の11球団が、入団拒否されることを怖れて指名回避したなか、日本ハムだけが敢然と指名した。
 アメリカで成功するには、マイナーから這い上がるより、日本のプロ野球で実績を作ってからメジャーに望まれて入団するほうがいいという詳細なデータを基に説得。
 直接交渉にも当った栗山監督の「二刀流提案」もあり、当初の渡米意思を覆し入団に漕ぎ着けた。
  
 伊藤の場合は、打者の佐藤輝明と投手の早川隆久に各4球団ずつが集中するなか、駒澤大学中途退学、苫小牧駒澤大学に再入学も北海道の大学リーグの規定で公式戦には1年間出場不可という経歴を持つ伊藤を、独自の綿密な調査と評価によって単独指名。
 
 ダルビッシュの場合は、当時の制度が、自由獲得選手とドラフト会議入札の2本立てだった結果。
 大学・社会人選手については、“逆指名”的に、会議に先立ち1~2名を自由に獲得することも可能だった。但し、自由獲得権を行使した球団は、会議での1位入札権は失う。
 日本ハム球団は自由獲得より、有望な高校生ダルビッシュ投手を1位指名することを選択した。
  
 よく「日本ハムはクジ運がいい」と言う人がいる。確かに中田翔、斎藤佑樹、有原航平、清宮幸太郎らを引き当てた。だが、けっしてそれだけではない。その年のナンバーワンを指名するという方針のもと、ドラフトに真正面から取り組んでいる。
 選手を見る目があり、戦略が優れていて、勇気ある指名をしているだけなのだ。
 
その結果、巨人以外は行かないという菅野投手の時のように、1位指名して当たりクジながら入団拒否されたケースもあるが。
 
 
 それはともかく、今年のWBC、準決勝の逆転サヨナラの場面は一瞬で涙が溢れた。こぼれないように、堪えた。決勝戦の最後は、拍手をし、手を何度も何度も叩き続けるうちに、こみあげてきた。
 
「野球って、すげ~な」 憧れるの、やめられない。さあ、行こう!
 
                           2023・3・22


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