理解の押し付けじゃないですか?
全然noteを書いていなかったのですが、ちょっと思ったことがあったのでnoteに書こうと思いました。
人間いろんな特性を持っていると思う。
何かが難しくてできない、でも、これはすごくよくできる。
それってどんな人にもあることだと私は思っているから。
だから、その人が何をどうすれば生きやすくなり、働きやすいのかな?と
考えたりします。
よく「私、〇〇だからさー」っていうのをよく聞きます。
「私、〇〇だからさー、□□できないんだよね。」なら、できないことがわかるけど、「私、〇〇だからさー」で終わると、察しろよって言われているように思います。
「で?」
冷たい言葉かもしれないけれど、「どうしてほしいの?」と思ってしまう。
人それぞれ、いろんな特性を持っている。
私がHSPなのでHSPだと、HSPは内向的だと言われますが、私はHSS型HSPなので外交的要素も持ち合わせています。
数ある項目の中で該当する該当しないは人それぞれ。
例えば「私、HSPだからさー」と言われると、HSPの該当項目は大体25〜30項目くらいありますが、その人は全てに当てはまるのか、それとも何かは当てはまらないのかわからない。
私の意見ですが、理解の押し付けなんじゃないのかなと思います。
伝えるのも難しいですし、人間関係のことを考えると言いづらいし、理解してくれるか難しい。まして、日本人は察する文化だから察するのが当たり前だし。でも、ずっと察してほしいだといつまで経ってもその環境は変わらないんじゃないかなと思います。
日本の学校でよく「長所・短所」を書かされましたが、これって社会に出たときに必要なことだったんだなーと思いました。
短所のところに改善点も書かされますけど、そこがとても大切。
改善の部分が「こうするとできないことができるようになります」という大切なポイントだと。これって、職場環境を改善する会社の人たちにとって必要なポイントだと思う。
個人個人に合わせた働き方を一つの会社で複数人対応できるわけじゃないけれど、もし職場で理解されないなーと思っているなら詳しく状況を伝えてみる方がいいのかも。
いろんな方々がもうそのやり方を試されているのかもしれません。
私の意見は二番煎じなんだと思う。
でも、日本でもっともっと特性に理解を持てる職場が増えたらいいなーと思います。
私の思ったことでした
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