「1年」の贈り物

3月20日、土曜、21時。もうすぐ22時を回る頃。
僕はその時、V6の上の3人・20th Centuryがパーソナリティーを務めるラジオ番組「V6 Next Generation」を聴いていた。
ラジオも終盤、彼女からLINEの通知が入った。

何だろうかとLINEを開いたら、「簡単な物だけど、贈り物をさせてほしいから、住所を教えてほしい」とのことだった。
その「簡単な贈り物」は届いてからのお楽しみということで、教えてもらえなかった。まぁそれでも良いのだが。

とはいえ、奇遇だった。
僕も彼女に手紙を書こうと思っていたのだが、彼女から「諸事情から住所は教えられない」と断られたのは、昨年の暮れに「年賀状を送りたいから」とLINEをした時のこと。
だから、今回も断られると思っていたので、毎年の記念日(出会った日、告白の日)に手紙を書いて、何らかの入れ物に保存し、面と向かって会えた日に渡そうと考えていた。

前回のその話を踏まえ、落胆していたら、教えてくれた。
そして、その後、僕も自分の郵便番号と住所を送った(この時、入れ忘れていた本名も後で送った)。
忙しなく指を動かすと、いつもは高確率で打ち間違えるのに、1発で打てたのを覚えている。

3月26日。それは、僕達が晴れて「恋人」になった記念日である。
あれから1年。僕は彼女の色んな表情を見てきた。
笑ったり、自分に苛ついたり、推しが尊くて泣いたり。
どんな表情でもいとおしく思えた(負の感情の場合、ちょっと不謹慎なのだが)。
僕より年下なのに、考え方や価値観が凄く大人で、読書家で知性あふれた方。それが、僕から見た「彼女」像だ。

僕は、記念日に書こうと思っていた手紙の下書きの推敲をはじめた。
原型は、LINEが来る数日前に、手近にあったB5のレポート用紙と紫のペンで、「1年」で楽しかったこと、感じたことをほほえみを浮かべながら懐古しつつ、さらっと簡単にしたためておいた。
しかし、読み返しているうちに表現に引っ掛かる部分や入れたい言葉が出てきたので、清書前日に修正したぐらいである。
気付いたら、用紙の6~7割程を修正テープで消して、新たに文章を書き留めていた。

次の日の夜、清書に入った。
今回使うレターセットは、以前、通販サイトのセールで対象品になっていた際、買いだめしておいたので、何度失敗しても平気だ(勿論、そんなに使わないが)。
下書きと同じように紫のボールペンで綴る。
これにはちゃんと訳がある。彼女も僕も推しているV6の長野博さんのメンバーカラーが紫だからだ。
1文字1文字丁寧に且つ間違えずに書くその様(さま)は、まるで綱渡りのようだった。
履歴書を書く時もそうだが、ボールペンで間違えずに書くことは苦手だ。
高確率でよく書き損じる。
いざ、清書を終えてみると、「あれ書けば良かった」「これも書きたかった」という感情が次々とあふれたが、便箋を使い果たして、巻物のようになってしまうので、次の機会――恐らく、5月の彼女の誕生日か8月、僕らの出会いの日の頃になると思われる――に取っておくことにした。

心に残ってるエピソードとして手紙にも書いたのだが、以前書いたこの記事を彼女も更新直後に読んだそうだ。
眠い目をこすりながら、画面に打ち込んだであろうツイートには次のようなことが書かれていた。

「いくら私達が「普通」でなかったとしても、一緒に生きて下さい。
明日も、明後日も」

あぁ、そうだ。僕は、この女(ひと)と「一緒に」生きていくんだ。
もう何千何万回も心の中で分かっていると思っていたし、更新当時は傷もそれなりに癒えてきていたのだが、何だか泣きそうになってしまった。
もう彼女を悲しませちゃいけない。
それは、「恋人」として愛している彼女の隣にいる者の覚悟と決意だ。
僕にはもう彼女しかいない。そう感じているのなら。

僕らは、付き合って今日で1年を迎えた。
長いようで短かったような、短かったようで長かったような。
それでもまだまだ知らない彼女の表情、感情、内面がある。
それを僕は知りたい。
そして、2人で「しあわせだ」と笑い合える未来を創って、数え切れない足跡を刻んでいきたい。
彼女は、僕と対面した時、どんな顔するだろう。なんてね。

贈り物、何だろうか。確か、手紙も届くんだった。早起きしなきゃ。
彼女が僕を想って選んだ物なのだから、それはよっぽど良い物に決まってるんだろう。
何なら、「僕が死んだら、棺桶に入れてほしい」と思っている自分もいるのだが――愛が重すぎる?そんなことは分かっている――物も見ていないのに、気が早すぎる。
今、それだけわくわくしながら、この記事を打っている。

ちなみに、僕からも何か彼女に贈れる物はないかと急遽、部屋中を大捜索したら、1つだけあった。
先日、発売されたフジファブリックの「I Love You」だ。
随分前から予約して購入したのだが、発売間近になって発表された特典目当てで――と言うのは、聞こえが良くないが、もう1回同じ形態を予約して、未開封のまま部屋の片隅に置いていた。
このままだと、埃被ってしまって可哀想なので、このような経緯に至った。
3日前には手紙を、一昨日には梱包――荷物を発送するのは、ほぼはじめてに等しかったので、生来の不器用さも手伝って、下手くそな梱包になってしまった――も終え、昨朝に郵便局に持って行った。

彼女、僕の贈り物と手紙見て、何を想うかな。
驚喜、興奮するのかな。何なら、泣いてくれるかな。
心を込めて選んだり、書いたりしたから、喜んでほしいな。
思わずにやけてしまうのを抑えながら、追跡サービスを見たら、今夕に彼女の元に届いてしまったのは計算外だった(明日の午前中、遅くとも午後に届いてほしかった)。

そして、荷物を開封した彼女から、以下のようなメッセージが届いた。


お手紙、急いで開けて読みました。
翠さんの言葉で思わず涙が滲みました。
まさかI Love Youまで頂けるなんて思わず焦っています。

翠さんに出会えて本当に良かったです。
これだけは一生言い続けられるな、と思いました。
僕を愛してくれる人がいてくれること。
これが僕の人生の中の、1番の誇りです。


                      (一部抜粋、一部表記改)


「「滲んだ」?そこは「泣いた」じゃないのか?」と思われるかもしれないが、泣いちゃったら家族に顔見せられないので、急いで隠したそうだ。
感受性豊かで、涙脆い1面がある彼女らしいやと思ったが、とにかく喜んでくれて良かった。

僕も彼女に出会えて良かった。20数年の生涯できっと1番のしあわせだ。
愛してほしい人に愛されることが1番のしあわせだと思う。
そんなありふれたことをやかましく鬱陶しいくらい、言い続けても言い足りないのだが、その言葉だけで「僕」が満たされるのだから、言われる側も言う側も嬉しくない言葉ではない。

いつまでもそばにいて。
遙か遠くにいる彼女もきっと一途に僕と同じことを願っていることだろう。

今度、電話した時、お礼言わなきゃ。
また改めて、手紙の感想も聴けたら良いな。
そんな想いを馳せると、思わずまたふふっと笑みがこぼれた。
胸と心が躍る想いで、今日もまた床に就く。

おやすみなさい。世界で、宇宙で1番いとおしい人。
またその嬉々とした声を聴けたら良いな。これからもずっと。