Chapter 1-2 原罪とりんご

セフィロス「この星のすべての知恵・・・・・・知識・・・・・・。私はすべてと同化する。(中略)今は失われ、かつて人の心を支配した存在・・・・・・『神』として生まれ変わるのだ」

プロメテウスが神殿の火を盗んで人間にあたえたことに腹をたてたゼウスは,その報いとして人間に災いをもたらそうと考え,人類最初の女「パンドラ」をプロメテウスの弟のもとに差し向けた。パンドラは神々からのみやげ物として,のちに「パンドラの箱」として知られるようになる一個の壺〈つぼ〉を持参したが,決して開けてはならないと警告されていた(もちろんゼウスの仕掛けた心理的罠であろう)。彼女が好奇心をおさえきれずに蓋を開けると,中から「病」や「争い」など、あらゆる災いや害悪がとびだして,瞬く間に世界へ飛び散った(以来,人類はさまざまな厄災にみまわれることになったとされる。プロメテウスのおかげで火(文化)を得た人間だが、同時に災いももたらされてしまったのである)。おどろいた彼女がいそいで蓋をとじたため,一つだけ飛散を免れ、壺の中に残ったものがあった。すなわち「希望」である。

プロメテウス神話は,知恵はありがたいものであると同時にそれは盗品であり,罪深いものだということを見事に言い当てている。人類に益する火は,使い方次第では火傷させ,火事を引き起こす。金属加工を可能にし武器の殺傷力も飛躍的に高めた。人類を助ける火/災い*の元となる火。プロメテウス神話では,知恵を持つことの二面性を火の両義性に仮託して描かれている。

このような知恵を持つことに対して相反する〈アンビヴァレントな〉感情を持ち合わせる心性は,実は旧約聖書のアダムとイブの楽園追放の挿話にも等しく見られ興味深い。

旧約聖書の創世記(ジェネシス**)では、「これを食べれば神の如くなれる」と蛇にそそのかされた人類最初の女イブが,神の言いつけをやぶり「知恵の樹(善悪の木とも)の実」(絵画ではしばしば林檎〈りんご〉で表現される)を食べる。その罰として楽園〈エデン〉から追放され,生きる苦しみと死がもたらされた。また、女には産みの苦しみが,男には労働の苦しみが与えられたという(頭が大きくなることで産みの苦しみが増したことは興味深い)。知恵の実を取った瞬間,知恵によって生きることを選び取ったことになる。神に保護された苦しみのない世界=楽園から追放され荒野へ。知恵を使って苦しみながら自分で工夫して生き抜くことを宿命づけられたわけだ。知恵にすがって生きるほかない,しかし知恵は罪なもの――楽園追放の物語には“知恵を持つことによるディレンマを抱えた存在”といった,人間の本質が描かれているのだ。

プロメテウス神話とアダムとイブの堕罪物語の共通点をまとめると次のようになろう。

人類最初の女好奇心(科学の源泉であると同時に破滅の入り口でもある)に負けて神との約束を破る。それによって人類に知と災いがもたらされる。そもそものきっかけであるトリックスターは片や蛇,片やプロメテウス。ミルトンの『失楽園』によるとイブをそそのかしたこの蛇は堕天使ルシファーが化けた姿だが,ルシファー(Lucifer)の語源は「光をもたらす者」(lux(光)+ fero(運ぶ))である。これは「火をもたらした」プロメテウスと符合する。
また,イブは蛇(ルシファー)からこれを食べれば「神のようになれる」と唆〈そそのか〉されて知恵の実を食べたわけだが,プロメテウスはPrometheusはPro(前に)+ mētheus(考える者)と区切って「先見の明を持つ者」という意味であるが,区切り方を変えるとPromē"(昇進させる)+ theus(神)で,人類に神の火を与えたことで「神に昇進させた者」と判じることができる。
知恵の実を食べたこの瞬間発生した人類最初の罪を「原罪」というが,キリスト教の教義では人間はみなアダムの子孫として生れながらに原罪を負うものとされる。

『岩波キリスト教辞典』によると「原罪」とは次の通り。

「狭義には人間の神との関係の破綻であり,それを自力による人間の全能化・神化という倒錯した意志に見出す神学者が多い」
「蛇がまず女に対し,『神のようになって不死を得るために』神が唯一禁止した善悪の木の実を食するよう誘惑し,女が食したことからドラマが始まる。エバの心は『神になりたい』として分裂し,アダムとともに神との一致関係を破った。それはそのまま人間としての自己の否定に帰結し,さらに男と女の支配関係,カインの弟殺しなど社会的関係の破れや,労働の苦しみ,ノアの洪水が象徴する自然との調和的関係の破れに帰結した」
(『岩波キリスト教辞典』岩波書店)強調引用者

キリスト教の教義には「傲慢,嫉妬,大食,色欲,怠惰,貪欲,憤怒」といった“七つの大罪”というものがあるが,アダムとイブの犯した罪,すなわち人類最初の罪「原罪」は「大食」ではなく,上述したように神の如くなろうという「傲慢」であった。一番罪なこと,それは神に似せて造られた人間が,神の技である火/知を得ることで,自らを神と錯覚してしまうことなのだ。

セフィロス「この星のすべての知恵・・・・・・知識・・・・・・。私はすべてと同化する。(中略)今は失われ、かつて人の心を支配した存在・・・・・・『神』として生まれ変わるのだ」

セフィロス(Sephiroth)の,全知を得て神になろうというのは、楽園追放物語の変奏である。エデンの園の中心にはこの「知恵の樹」と並んで「命の樹」が生えている。中世ユダヤ教の神秘思想カバラにおいて,この「命の樹」は「セフィロトの樹」(Sephirothic tree)と呼ばれる。セフィロスのネーミングは「SHEFIROTH(神性の流出)」であることが公式に発表されているが(『ファイナルファンタジーⅦ 解体真書』(アスペクト)),もっと深くいえばエデンの園のセフィロトの樹,傲慢の罪による楽園追放のテーマの体現なのである。不死と全知を得れば,それはもはや神であろう。セフィロスとはまさに神を目指す者なのである。

FF7を読み解く鍵
セフィロスとは,神になろうとする者

語注
*FF7ではたびたび「空からの災厄」という言葉が出てくるが「災」という漢字に「火」が含まれている。

**2007年に発売された『クライシス コア ファイナルファンタジーⅦ』ではジェネシスというキャラクターがセフィロスにリンゴを渡すシーンが出てくるとのこと。しかしながらこの論考はあくまで『FINAL FANTASY Ⅶ』のものであって,その後に作られた外伝は参照しない方針であることは既に述べた(筆者はFF7の外伝のシリーズは所有しておらず,見たことがない。『FF7リメイク』には順次対応予定)。

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