FF9考察 / 生も死も
奥行きをもった世界観と、普遍的なテーマを併せ持った物語が都度評価されてきたファイナルファンタジー。何より素晴らしいのは、タイトル毎に制作を主導する人物が異なるにも関わらず、シリーズ全体を通して物語の構成力が高く維持され続けている点でしょう。
本作『FINAL FANTASY IX』も例に漏れず、およそ一度のプレイでは理解できない複雑かつ合理的な世界観と、物語を通して描かれる一貫したテーマが用意されていました。本記事では、私が作品から得た気づきを、ゲームをクリアしたプレイヤーに向けて共有してゆきます。
また考察では、攻略資料『ULTIMANIA』内に記載されたゲーム開発資料を引用します。
クリスタルとは
タイトルアートでもありながら、物語の終盤まで取り上げられることのなかったクリスタル。その本質を詳らかにすることが、『FINAL FANTASY IX』の真実を解き明かす上でのスタート地点となります。まずは作中のクリスタルに纏わるテキストを引用して、その理解を深めましょう。
人類が暮らす星ガイアや、あらゆる地上の生物は例外なく「命」をもっています。命の存在は、それを生み出した「親」の介在を示唆しており、そうしたガイア創造の歴史を遡った先にある原点こそが、本作におけるクリスタルであると言えます。さながら原始星のようにクリスタルという始点が膨張し多様化し、大地と生物が生まれて、そうした進化発展の連続によってガイアの現状が形成されていると理解できます。
またガーランドの台詞から、すべての命が無意識下でその記憶を共有していることも読み取れます。
作中において、キャラクターたちは自身が生まれる遥か昔のガイアの様子を、朧気ながらに記憶していました。またマンダイ・サリでの惨事を、現場に居合わせていなかったはずのジタンが記憶していたり、初めて訪れるダリの村に既視感を覚えていたり等、様々な場面で記憶の共有は描写されていました。
(作中で挟まれる回想「ATE」も記憶の共有なのかもしれません。その時点で理解がなかっただけで…。)
この記憶ネットワークに蓄積された情報を利用して、クリスタルは生命の進化を促しているようです。生物が複雑多様化してゆくことで、より多くの情報を含む魂が育まれ、その死に際して情報が還元されることによりクリスタルも一層の成長を遂げる。こうした情報の循環が、星が死を迎えるその時まで延々と繰り返されるのだそうです。
(また、どうやらクリスタルは星の中心部に存在しているようで「輝く島」がそれを描写していたようです。輝く島は、ガイアとテラの衝突で発生した次元の狭間であり、漏れ出た光がクリスタルの輝きであった、と開発資料から判明しています。)
霧とは
作中において「光る水」と表現された液体は、気化する前の霧であるはずです。それは霧が「生物」とも表現された光る水と近しい役割を持っていることが考えられるからです。
作中において、霧は「ガイアの魂」と表現されていました。開発資料では「クリスタルが魂の循環をしている」と語られており、霧もこの循環に組み込まれていることが予想されます。生物の素となる光る水も同様に魂に関連するはずで、水分に纏わる気候の循環とこれらは符合します。
このことから霧から生じる魔物を含めたあらゆる生き物が、人間同様に魂を持ち循環していることが理解できます。「すべての命はつながっている」のですから、それを構成する要素も同等であると考えるのが自然です。
(ビビのように、無機物に霧を注入されていた「人形」も魂を持つ。)
実際に魔物の中には言葉を解するものもいて、こうした知性の有無は、生命としての複雑さを示す指標として捉えることができます。産まれたばかりの魔物であれば、当然5000年を優に超える歴史を持つ人間と比べて成長の程度は劣っているはずで、語りも片言になってしまうと。ガイアでは人間種が特に複雑な部類にあたるのでしょう。
また本編にて人々は、暮らしていた大陸が霧で覆われたことにより長らく不便な思いをしていました。リンドブルムの前国王シド8世が、霧機関を用いた飛空艇の開発に成功するまで、人は霧によって凶暴化した生物が横行する平地を横断しなければなりませんでした。
本能的という表現からも「むき出しの魂」もとい霧は、複雑な精神を持たない、成長前の生命の特徴を有していることが理解できます。これには動物や魔物が該当し、街を一歩出た先の自然界において闘争本能が欠かせないことは、ランダムエンカウントの仕組みからも想像できます。
イーファの樹により分離されたガイアの魂は、個人としての同一性を失っているわけで、記憶も意味をなしません。情報の欠落した魂はより単純な状態へと零落して、成長前のむき出しの魂に、霧に変貌を遂げる。
まるで浸透圧のように、霧の吸引が複雑な精神/魂を野生的なレベルにまで引き下げていたのだとしたら、人が闘争本能に駆られて「争いごとが頻発」していたとしても不思議ではないでしょう。
良き女王として名高かったブラネが暴走を始めたのも、夫の死が原因ではなく、クジャにより霧を流し込まれたからだと考えられます。クジャは彼女の魂を「強大な」と評しており、ブラネは人ひとりが抱える以上の魂を持ち併せていたことが推測できるからです。
因みに、記憶の場所にて太古のガイアを想起したキャラクターたちは、皆口々に「昔ガイアは海に覆われていた」と語っていました。進化論からしても海は生命の起源であって、水=生命のゆりかごというメタファーが、本作の世界観には組み込まれています。
テラの民の思惑
惑星ガイアを混沌の渦に叩き込んだ元凶、それこそが「テラの民」です。惑星テラの寿命を悟った彼らは、異なるクリスタルの吸収を画策します。そして人形であるガーランドを造り出しては、ガイアを対象とした究極魔法「融合」が滞りなく完了するよう、いくつかの指示を与えていたようです。
そんな彼らの本懐が、「永遠の命」の獲得であったことについても言及の必要があるでしょう。高度に文明を発展させた、ガイアの人間とも良く似通った彼らが、なぜ死を遠ざけ、またガイアを取り込もうとしていたのか。そして最終的に、どのような顛末が迎えられたのか。一考の余地があるでしょう。
テラの民の思惑を理解するためにも、まずはクリスタルが有する寿命の概念について言及しなければなりません。クリスタルの項の資料では、「循環による変化がもたらされなくなったとき、クリスタルの成長は止まり、星の衰退を引き起こし、老いたるクリスタルは星とともに宇宙に還る」と語れていました。「老い」という表現からも、その終点には「死」に等しい結末が用意されていることが理解できます。
またクリスタルの輝きは、惑星テラと惑星ガイアのもので異なっています。それぞれが赤色と青色。この輝きには、二つの勢力を特徴づけるという単純な意図に止まらない、我々をクリスタルの本質へと導くための重要な手掛かりが隠されています。
作中で黒幕のように描かれた人形「ガーランド」と、そして黒のワルツ1号により生み出された人形「シリオン」の特徴に注目することで、謎は解明されます。
見ての通り、それぞれの胸には魔石が埋め込まれています。テラで造り出されたガーランドは赤く、ガイアのシリオンは青いことから、これは一見「月と同様にクリスタルの輝きを反射しているだけ」のように思えます。これだけでは。
実際のシリオンは戦闘でダメージを受ける度に、魔石の色を変化させてゆきます。初めこそ青色ですが、順に緑/黄を経て、最終的に赤色に染まっています。そして氷の人形シリオンは、黒のワルツ1号の氷魔法を受けることにより、減った体力を回復し魔石の色を再び青へと近づけてゆく。
魔力の循環による回復。その過程は、魔力をもつ生命を循環させていた魔石"クリスタル"の営みと重なります。当然クリスタルも、その体力を減らすことによって輝きを赤く変化させてゆくのではないか、と考察できるわけです。
そしてブラン・バルにいたジェノムたちは、(真意を把握していないにせよ)循環についての知識を持っていました。彼らが蓄えていた知識は、テラの民たちが培った経験からくるものであって、にも関わらずテラ・クリスタルは赤く染まっています。
魂の循環が止まること。つまり魔力の回復が不可能になったことで、テラ・クリスタルが赤みを帯びていったのだとしたら。魂が循環しない状態とは、まさに生命が死を経験しなくなるということです。
成熟した文明はやがて、ある技術を生み出します。それこそが不老化による、実質的な「永遠の命」の獲得です。ジェノムたちが器として、テラの民の魂を受け入れるまで肉体の成長を止めていたように、既にその技術は完成していました。
(この世界では情報的な魂の循環とは別に、物質的な肉体とそれを維持する魔力の循環が行われていたのでしょう。ウイユヴェールの船内で魔法を使えなかった理由もおそらく、魔力の流出が寿命減少に直結しているからであり、肉体の維持には魔力が欠かせないことが考察できます。「永遠の命」の技術とは、魔力の流出を極小にまで抑えるものだと考えられます。)
本来の循環では、動物などの弱い生命が誕生したとして、十分な成長を遂げた強かな人間がそれを食して魔力を取り込んでいたとします。取り込んだ魔力を利用して人間は新たに子孫を残し、生まれた子供が成長に伴って魂に情報を蓄積すると、情報は死後に魔力と併せてクリスタルに還元される。クリスタルは魔力を回復させながら、生物が培った情報を蓄え更なる成長を遂げる。
こうした営みをテラの民は否定して、人間の子孫は一様に老いを遠ざけ、そうして弱い生命から魔力が搾取され続ける世界で、回復を見込めないクリスタルも魔力総量を減らしてゆきます。結果として、惑星テラは死に瀕したのでしょう。
赤く染まってゆくクリスタルを前にして、テラの民は循環の重要性に気づきながらも、恐怖に取り憑かれて生の終わりを否定し続けました。彼らはすべてを理解したうえで、異なる星を資源に見立て、融合による乗っ取りを繰り返していたのです。
融合の対策
ガイアと融合する以前にも、テラは幾度か他のクリスタルを取り込んでいることが理解できます。
ウイユヴェールの装置に残る記録からは、融合が何度か繰り返されていて、また過去には失敗の経験もあっただろうことが窺えます。それは、テラの民が失敗の改善を図るようにして、融合対象を絞り込んでいることからも推測できます。
(ウイユヴェールの記録は、項目の最後に記載します。)
失敗が起こっていたとすれば、その原因は「無垢ではない星」を融合の対象にしてしまったこと以外には考えられません。
「無垢ではない星」の特徴は、高度な精神を有する生物が活動していることであり、これは言語を解する人間レベルの生物がいる惑星を指していると考えて良いでしょう。テラの民にとってみれば魔物や動物のみが暮らす星は「幼く」、またガイアも文化レベルの差から「若い」と評されたのだと推測できます。
そして「融合」とは、二つの星が重なり合って一つになったこと、鏡合わせのイプセンの古城の様子からも、同等のものが一体化する特徴を有していることが分かります。つまり、テラの民と同等の高度な精神をもつ生物が融合先の惑星で活動していた場合、それらは混じり合って異なる存在へと変化してしまうことが予測できるわけです。
これをテラの民は良しとはしません。永遠の命を欲する彼らにとって、他者との融合は自己同一性の喪失に繋がるからです。だからこそ彼らは、真に永遠の命を享受するため、同等の融合対象が存在しない「幼き星」を優先的に吸収していたのでしょう。
そんな彼らも、最終的には無垢ではないガイアを融合対象に選んでいます。幼き星を吸収し尽くした結果、テラの民は同等の人間種が存在するガイアを、次の資源惑星として選ばざるを得ませんでした。
また上述の通り、彼らは過去に「無垢ではない星」を取り込んだことにより失敗を経験していることがテキストからも窺えます。当然テラの民は、ガイアという「五度目」の融合に際して、これを逃れるための対策を講じていました。
それこそが「魂と肉体の切り離し」です。魔力を消費して老いる肉体と、情報の蓄積された魂は密接に結びついており、人間が死ぬまで切り離されることはありません。この分離が、同等という判定を逃れる、つまり融合による一体化を逃れるために必要であると彼らは考えたのでしょう。
まず初めに、彼らはイーファの樹に細工をして、その身を石化させます。そして石化した肉体から、切り離すようにして魂だけを抽出し、抜き取った魂は「時を刻む城パンデモニウム」にて保管します。
石化した人間の復活は、盗賊団の兄貴分ブランクの事例からも可能であると判明していますから、テラの民は星々が完全に融合を終えたあとで、再び自己という器に魂を注ぎ込むつもりだったのでしょう。
(因みに、この融合が摂理に反していたことから、5000年前にガイアの地表は荒廃し、またガイア民と動物間での融合が発生して「動物人間」が誕生しています。)
ここで改めて、ウイユヴェールの記録装置の穴あきを修正してみましょう。
ここまでくると、計画の欠陥がどこにあったのか想像がついてしまいますね。
ガーランド
胸の魔石が赤いことからも、その人形に与えられた時間は尽き始めていたことが分かります。
テラの民の計画が達成されなかった要因とは正に、管理者として造り上げたガーランドへの情報の共有が不十分だったことにあるのでしょう。本来であれば伝わっていたはずの記録は、装置の経年劣化という初歩的なミスにより途絶して、ガーランドも私たち同様に情報の欠落を想像で埋めるほかなかったはずです。
結果として彼は、創造主の石化した肉体を他所目に、新たなる器「ジェノム」を作り出しています。これは、主の魂をパンデモニウムにて確認しながらも、イーファ内部にある肉体までは認識できなかった故の行動と言えます。
ジェノムは既に一つの生命であり、肉体と魂のどちらをも有していますから、そこにテラの民の魂が注ぎ込まれたとしても過去の自身は取り戻されません。ジタンも器として魂を流し込まれたあとで、雰囲気は少し変わりつつも人格を維持したまま目覚めており、こうした結末はテラの民の本意ではないはずです。
これに加えて、ガーランドはさらに致命的な誤りを犯していました。
それこそが星の色に関する誤解です。星の老化後に造り出されたであろうガーランドは「テラの民が赤い惑星に移り住もうとしている」と勘違いをします。当時のテラが青い輝きを放っていたことすら、ガーランドは知らなかったのでしょう。そうして人形は青いガイアを赤く染め上げる、という新たな目的を設定してしまいます。
自身の知るテラを再現しようとしたガーランドは、ソウル・ディヴァイダー(イーファの樹)を用いて、テラの生物の魂を融合先のガイアの生命から選り分けます。選り分けられたガイアの魂は霧として廃棄されていました。
(融合に際して、テラの若い生物の魂がガイアの循環に取り込まれています。ガーランドは衰えたテラの循環を回復させる目的で、テラの魂を抽出しようとしていました。)
また、テラ再現の一環としてガイア人の殲滅を試みるガーランドは、500年前の人間戦争で目撃した召喚獣アレクサンダーを脅威に感じて対策を講じています。これについては、当時のガイア人もアレクサンダーを危険視していたことから、おそらくガーランドは協力的な態度をとって、アレクサンドリア城に破壊用の大剣を設置したのでしょう。それはテラ文明の紋様が痕跡として、城内に残っていることからも推測できます。
(テラ文明の紋様には「トライアングル・とぐろ・目」の三つが存在します。)
滅多なことではガイアに訪れないガーランドが、このタイミングで訪問をしていた理由も、大剣起動のためだと思われます。
ただ、こうした彼の努力の結果として人々が死に絶えたとしても、クリスタルによる魂の循環が滞るわけではありません。魔力の循環による回復が続く限りガイア・クリスタルは青い輝きを保ちますから、5000年を要したガーランドの思惑も失敗が運命づけられています。
(当然、テラ・クリスタルも赤いままです。)
自身の存在理由すら不明瞭であったために、ガーランドはそれらしい仕事を己に課して、縋るほかなかったのでしょう。寿命を悟ることもできない彼は、創造主を敬うことで自身の尊厳を守り、また「生死がない」ことをアイデンティティと結び付けていました。
そんなガーランドも、最終的には死を経験してクリスタルへと還ったことで、その一生を肯定的に受け止めていました。創造主の呪縛から解放された彼は、すべての記憶と混ざり合って死に向き合ったことで、正しく生命としての尊厳を取り戻したのです。
魂と召喚獣
記憶を蓄積した魂は、(クリスタル以外の魔石に取り込まれていた場合に限って)その死後もしばらく世界に残り続けることが、クジャの証言から判明しています。
魂のもつ「感情」が生み出すエネルギーは、トランスの引き金であるようで、死者の感情も同様にトランスの発動に寄与していることが推測できます。
人の想いから召喚獣は生まれ、召喚獣は「完全なトランス」であり、トランスには魂の感情エネルギーが不可欠である。モグが召喚獣マディーンへと覚醒を遂げたのも、今は亡き召喚士一族の想いが「エーコを守りたい」というモグの意思に共感するかたちで募ったからでしょう。モグは死者によって「エラバレシモノ」であったわけです。
この仕組みを利用して、クジャは初めて個人でのトランスを達成しています。「死にたくない」と思いながら殺されていった死者たちの想いが、同じ意思を持つクジャを選んで力を与えていたことになります。
(また「アルテマ」を受けて倒れた仲間の意思が、バトルメンバーに引き継がれていったように、生者の想いも他者の力になることが分かります。)
このようにトランスとは、「多くの魂」が「ある対象」を選んで力を与えることにより発生していたことが理解できます。であるならば、召喚獣と考えられる「永遠の闇」も同様にして誕生していたはずです。
このとき、永遠の闇の誕生に寄与した「多くの魂」、そして媒体となった「ある対象」とは何だったのでしょうか。
トランスクジャ戦にて、背景のクリスタルが紫がかっていた理由とは、赤いテラと青いガイア、二つのクリスタルの位相が重なっていたからです。そしてシリオン戦からも、赤色の魔石は死の一歩手前の段階を示しており、テラの死が間近だと分かります。
また、この頃のクジャは自暴自棄に陥っていました。ガーランドの告白を受けて、逃れられない死を悟った彼は「全てを終わらせる」という破壊願望を抱いています。
そして同時刻、最終決戦の地クリスタルワールドに寄った位置にあるテラの世界では、クジャと同様の願望を抱く魂たちが多く彷徨っていたことが推測できます。それこそが、パンデモニウムの破壊に際して行き場を失ってしまった、テラの民の魂です。
テラ・クリスタルが死んでしまえば、二度と循環を許されないテラの民の魂も消滅を余儀なくされます。彼らはその結末を知って、それでも自身の存在意義を肯定するために「全てを終わらせる」という願望を抱いたのでしょう。
クジャとテラの民の歪な感情が、死を前にしたテラ・クリスタルを依代にして表出した姿。それこそが、永遠の闇の正体です。
生も死も
『FINAL FANTASY IX』における真のラスボスとは、死を恐怖し、生への執着に駆られたテラの民と言えるかもしれません。であるなら対照的に、本作の伝えようとしたメッセージとは「死を恐れずに生への執着を断つ」という仏教的価値観に似たものだったのでしょうか。
作中にて、黒魔道士ビビは自身の余命が残り僅かであることを理解しながら、限られた時間をどう生きるか必死に考え続けていました。
スタイナーとベアトリクスは共闘に際してジタンたちの殿を務めますが、やがて隣り合う互いを命懸けで守り始めます。
ガーネットは、母ブラネの凶行により失われた命を悼み、その母の死を受けて女王として国を導くことを決意します。
このようにキャラクターは自身の、もしくは誰かの結末と真剣に向き合い、それを乗り越えてきました。
エンディングでは、クジャを助けるために、ジタンが必死の覚悟でイーファの樹へと駆け出してゆきます。やっとのことで見つけた兄の息は浅く、動けない身体を前に見捨てることを促されもしましたが、けれどジタンは二人して生き残る結末を諦めませんでした。
死はなお恐ろしく、生は苦痛を伴う。それはきっと、何時いかなる時も変わってくれたりしないのでしょう。その上でキャラクターたちは、どちらも否定せずに、受け入れて生き続けることを選びました。
生も死も、向き合ってはじめて、生きている。
それこそが、作品の伝えたかったメッセージなのではないでしょうか。
あれって何だったの?
・ジェノムが青い光を嫌ってた理由は?
生は苦痛を伴うものだからです。彼らは青い光を浴びて、押さえ付けられていた感情を取り戻し始めていたのでしょう。
・召喚獣の種類
召喚獣には、トランスの元となる対象がいたことが判明しています。その様相が千差万別である理由も、由来によるものなのでしょう。
例えば、ラムゥやシヴァは人間から、イフリートやフェンリルは魔物や動物から、アレクサンダーやアークは黒魔道士よろしく無機物から完全なトランスを果たしたのでしょう。
・イーファの樹は残ったままだけど?
イーファの樹がテラの魂を循環させていたことからも、魔法樹はクリスタルの営みに欠かせないことが理解できます。ガイアの魔法樹「クレイラの樹」は召喚獣オーディンの力によって消滅してしまっているため、樹が残るのは寧ろ喜ばしいことです。
・どうしてエンディングでジタンは生還していたの?
魔の森が命令主体を失って暴走した際にブランクが石化していたように、イーファの樹も暴走という事態に際してジタンを石化させたことが予想できます。何者か(おそらくはミコト)によって「白金の針」が使われた結果、ジタンも復活を果たしたのでしょう。
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