FF13考察① / 自滅願望のラスボス

 『FINAL FANTASY XIII』という作品を、今更ながらに記憶に留めている人は多くないだろう。そのストーリーは終盤にかけて、機械仕掛けの神で誤魔化され、ご都合主義な展開に辟易して忘れ去ってしまったプレイヤーも少なくないはずだ。

 しかし本作は「ストーリーを重視している」と大手を振ってリリースされたタイトルでもある。何か私たちが気付けていないだけで、その裏には重厚な世界観や登場人物の本音が隠されているのではないだろうか。例えばテンプレートな悪役として受け取られるラスボスに、同情の余地などの背景があったとしたら。


 ファルシ=バルトアンデルスというラスボスには、タイトル通りの「自滅」という目的とは別に、作中で本命とされる「神を呼ぶ」という目的がある。どちらも考察の必要があるため、キャラクターの解説ついでに、まずは「神を呼ぶ」から考察していこう。


◾️神を呼ぶまで

 人間はやがて、神の秩序すら忘れ、仲間同士で殺し合える、稀有な存在となった。「この荒んだ世界を再建するために、今一度、神を迎える」。それがファルシの真の目的だ。

シド・レインズ

 『FF13』では、世界を生み出した二つの神の存在が実しやかに語られる。この神に与えられた秩序が人間の同士討ちによって乱されたために、バルトアンデルスは作中の騒動を起こした、と台詞からは読み取れる。

 念のために「ファルシ」について軽くおさらいしよう。
 ファルシとは人間同様に神によって生み出された存在で、大抵巨大で機械のような外見をしている。作中では一貫して人間より上位の存在として描かれるものの、人間がファルシから命令を下されるように、ファルシも神から命令を与えられている。これにより「ファルシ→人間、神→ファルシ」の二重構造が作中では対比されていた。

 物語本編では下界とコクーンが戦争状態にあるという背景が語られるが、この設定がファルシの仕様を詳らかにする、考察の糸口となる。作中における7章、商業都市パルムポルムの地下の場面を思い出して欲しい。
 人間に向けた食糧の生産を役目としていたファルシ(カーバンクル)は、敵対しているはずの下界のルシを間近にして、不思議なことに如何なる反応も見せていなかった。攻撃なり逃走なりするのが適切だと思える状況にあって、我関せずと食糧や飲料水を作り続ける様子がそこでは描かれていた。明確な敵意を顕にしていたラスボスとの間に、差異が生じていることが分かるはずだ。

 次にエネルギー供給のファルシ(クジャタ)だが、こちらは下界のルシであるファングが敵意を向けた際に防衛状態に入り、少年ドッジをルシへと変えている。一見、両勢力が戦争状態にあると受け取れてしまう展開だが、ここで見逃してはならないのは、ファングが武器をとって敵意を示すまで、ファルシが眼前の敵を無視していたという事実だ。

 もしも、ファルシが反応を示す要因が「下界のルシ」とは関係なく、自己防衛を引き金にしているとすれば、それぞれの状況の整合性が取れる。防衛力を持つからといって必ずしも好戦的である必要はないわけで、この場合「下界とコクーンの戦争状態」という設定こそがブラフということになる。
 上述したように、ファルシは神から命令を与えられ、それを遂行するために存在している。役割遂行を阻む存在を排除しようと試ることは真っ当であって、だからこそ反応を「しないファルシ」と「するファルシ」の両方が、作中では描写されていたのだろう。

 このことから、ファルシ=バルトアンデルスがキャラクターたちに敵対していた理由も、その役割を人間に阻害されていたからだと帰結して(上述した同士討ち)、「秩序の維持」こそが与えられていた命令だと判明する。

 カーバンクルは食糧を生産し、クジャタはエネルギーを供給したように、ファルシはそれぞれ独自の役割(命令)を与えられていることが分かる。
 同様にバルトアンデルスも、聖府代表に扮して政治を執るといった秩序維持の役割を与えられていたと考察できるわけだ。おそらくはコクーンの秩序を問題視していたファルシも、ラスボスのみであったのだろう。
(戦争状態という設定が流布された理由も、人間を下界に赴かせないことが目的で、だからこそパージ政策も移住ではなく殺戮の必要があったのだろう。)

 またファルシは、独自の役割とは異なる命令が与えられていたことも分かっている。

 コクーンとは、ファルシが築いた工場だ。人間という道具を、大量に生産するためのな。

バルトアンデルス

 人間を生み出し管理する。「人間の養殖」という命令の存在だ。
 秩序維持を独自の役割とするなら、「人間の養殖」は全体の役割(命令)であると捉えられる。人間を養殖するために、秩序を維持し、食糧を生産して、気候を整え、娯楽を提供しているとすれば、二つの命令が相反せずに並行していることが分かる。

 そして、ここまでを理解できると次の台詞も読み解けるようになる。

 救済と殺戮——相反する二つの使命を抱き、私は自分でも壊せぬ繭に囚われていた。

オーファン

 「壊せぬ繭」は文字通り、コクーンを意図的に壊せないことを意味している(コクーンのファルシは人間の養殖が目的であるから、コクーンを壊すこと、また壊す使命を与えることができない)。

 そして相反する二つの使命とは、独自・全体の役割が矛盾を起こしてしまっている状態を指している。
 「秩序を維持」しようとした結果、「人間の養殖」が出来なくなる。そして殺戮というキーワードから、バルトアンデルスは秩序維持のために、人間の中から生まれた秩序を乱す存在(バグ)を排除して、その正常化を図ろうとしたことが想像できる。このとき、もしもバグが人間全体に共有されていたとしたら(つまり人間誰しもが同士討ちを出来てしまったら)、全員を殺戮する必要が生まれてしまうだろう。これは人間の養殖と矛盾するため、二つの使命が摩擦を起こしていたことが分かる。

 以上の経緯から、役目を全う出来なくなったバルトアンデルスは、居なくなってしまった神を再び呼び戻すことに決める。神の手によって、失われた秩序を取り戻して貰おうとしたわけだ。
 死んだ人間から溢れる"クリスタルの欠片"を神が求めていると知っていた彼は、コクーンを墜落させることで大量の死と欠片を生み出し、神を呼び出すための供物にしようと画策した。

 ここまでが、目的の一つである「神を呼ぶ」ことになった動機の考察だ。


◾️自滅の意思

 ファルシが愚直なまでに命令を遂行する、さながらロボットのような存在であることは、上の考察からも読み取れるはずだ。本作の事態が生じたのも、与えられた命令が不完全であったためで、本来のファルシは機械的な反応しか示さないのだろう。
 これによりバルトアンデルスの憎たらしい笑みも、腹の立つような物言いも含めて、全てはメインキャラクターたちをラグナロク発動に誘導するための態度であったことが判明する。

 しかし果たして、本当に全ての振る舞いがつくりものでしかなかったのだろうか。作中にはロボットであるはずの、バルトアンデルスの意思が表出したと考えられるシーンが存在する。次の台詞だ。

 コクーンを痛みから解放してくれ。

バルトアンデルス

 とてもシンプルな一文だが、「〜してくれ」という物言いは、一般的に他者に懇願をする際に用いられる表現だ。このシーンでは、作中で一貫して上位の存在として描かれてきたファルシが、下位の人間に懇願している様子が描写されていることになる。

 おかしな点はそれだけでは無い。
 この内容からは、まるでコクーンの住人やファルシが痛みを抱えているかのように受け取れてしまうが、しかし思い出して欲しい。バルトアンデルスがパージ政策を敢行するまで、コクーンの住人は幸福な暮らしを送っていた。パージが始まってからも、大抵の人間は我関せずとテーマパークに遊びに行っていたくらいなのだ。
 では他のファルシは苦しんでいたのかというと、それぞれが与えられた役割に黙々と取り組んで、事態を問題視している様子は描写されていない。

 唯一苦しんでいたのが、バルトアンデルスである。
 与えられた命令をこなせず、バグである人間に影響されるようにして、全てを壊すという極端な判断を下してしまう。捉えようによっては、彼自身もバグを起こしていたのかもしれない。
 結果、どうしようもなくなった彼は不完全な自身の消滅を願って、人間に助けを求めてしまう。神を呼ぶ目的だけなら、コクーンのエネルギー源にあたるオーファンを、下界のルシに倒させるだけで済むはずだ。けれども彼は、オーファンと融合し同時に打倒されようとした。これこそが、バルトアンデルスが神に会おうとしたのでは無く、自身の消滅を願っていたことの証明になる。
(オートクリップでは「ファルシは自己破壊を望んでいた」という記載がある。)

 では、なぜファルシは苦しみの対象を誤魔化すように「コクーンを」と迂遠な表現をしたのだろう。実は、ファルシはこれまでにも直接的な表現を避けていることが要所で描写されている。
 例えば「コクーンを壊すことが、お前たちの役目だ」と促すことはしていても、「コクーンを壊せ」といった命令は一度もされていない。これはコクーンのファルシが「コクーンを壊すよう人間に命令できない」という制限を課されているからであり、同様の理由からバルトアンデルスは自己破壊の幇助を求められなかったのだろう。ロボット三原則に照らし合わせても、自壊を望むロボットなんて欠陥品に他ならないのだから。

 言葉の裏に隠された「私を痛みから解放してくれ」という主張は、神の秩序によって制限されていた。己が道理を通すため、言葉と姿でキャラクターたちを欺き続けてきたラスボスは、最後まで本音を溢すことも叶わなかったわけだ。

 お前は生まれた時からあきらめ、繭にこもって全てを呪い——人に滅ぼされるのを待った! 破滅が救いと思うおまえは、死んで、この世を逃げたいだけだ。

ライトニング

 その通りかもしれない。しかし『FF13』は北欧神話をモチーフにしていることから分かる通り、秩序と混沌の対立を描いている作品であって、これは善悪二元論を掲げる信仰形態とは異なる。

 バルトアンデルスという存在が善悪で区別しきれないのだとしたら、彼もまた、神に与えられた秩序の中で翻弄されただけの、哀れな孤児(オーファン)であったとは考えられないだろうか。


◾️追記

・モチーフ
 言葉と変身術を使って人を騙すことに長けた北欧神話の神「ロキ」は、バルトアンデルスのモデルであると考えられる。神話では、神々の祝宴に招かれざる13番目の客として出席し、ラグナロクが起こるきっかけを作っている。
 また、その名前は書籍『幻獣辞典』に登場する架空の生き物から取られ、大元を辿るとギリシア神話の海神プロテウスがモデルだと分かる。プロテウスは変身の能力を持つとされる。

・召喚獣パレードの伏線
 歓楽都市ノーチラスでのパレードにて、コクーン側の召喚獣として登場したカーバンクルとセイレーンは、本編ではファルシとして登場している。コクーンのルシは「ファルシと共に戦う!」と声高にしているが、召喚獣パレードとある以上、共に戦う存在は本来ならば召喚獣であるはずだ(オートクリップにも、召喚獣のモデルがファルシであるとの記載あり)。
 これによりパレードの内容は一部が嘘の演出に変更されていることが分かり、バルトアンデルスが人々を騙す存在であることの伏線になっている。

 また演目の題名であるポンパ・サンクタ(pompa sanctus)は「華麗なる追随者(信徒)」と翻訳され、ルシがファルシの傀儡となっていることを暗示している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?