200円のあたたかさ
お昼休みのこと。
金曜日は1日大学の授業がみっちり入っているので、
お昼はいつもお弁当を持ってきています。
昼前の授業は文学部の学部棟で行われるので、お弁当はいつも学部棟の裏にある中庭で一人で食べることが多いです。
大学内は大体どこに行っても人がごった返していて、なかなか一人で落ちついて食べられる場所を見つけるのには苦労しました。
最近見つけたこの中庭、実はかなりお気に入りなのです。
小さな中庭の真ん中には電灯を囲むように円形にツツジが植えられており
絶賛見ごろを迎えています。
赤、桃色、白、様々な色のツツジが咲き乱れています。
その電灯を囲むように円を描いて道がつくられていて、等間隔にベンチが置かれています。
大抵そのベンチのうちの一つにいつもわたしは座っています。
この中庭は文学部のキャンパスの一番奥の奥にある学部棟のさらに裏にあるので、なかなか見つけられないのかわたし以外にここでごはんを食べている人も一人の方が多いです。
とっても食べやすく、過ごしやすい。
今日も同じようにここでごはんを食べていました。
すると珍しくギターを持った二人組の女の子がやってきました。
私の座っているところから少し離れたベンチに座ると
そそくさとギターを取り出して、一人一人練習の成果を見せ合い始めました。
彼女たちは同じサークルなのか、ユニットなのか二人でそれぞれ練習曲があり定期的にこうして二人でギターを弾き合い、お互いの演奏についてコメントをしているようでした。
「この前よりすっごいよくなってるじゃん!」
「そうなんだよお。今週結構がんばったんだよね。
でもまだテンポがねえ、、。」
「いや、でもサビまで弾けてるしこの調子だよ!」
二人のやりとりを小耳に挟みながら、流れてくるギターの音色に耳を澄ませました。
太陽の温かな光、美しいツツジ、元気な緑の葉と楽しそうな笑い声
ギターの軽やかな音色 そして朝炊いたごはんの優しい味
体全体が幸せに包まれました。
そして心にふと、彼女たちに何かお礼がしたいという感情が現れました。
偶然居合わせて私が勝手に楽しんでいただけなのだけど、この素敵な演奏をここでそして今奏でてくれた彼女たちにありがとうを言いたくなったのです。
何ができるかな、と考えた時突然路上ライブが思い出しました。
路上ライブの場合は集金ボックスが置いてありますが、もちろん彼女たちは営利目的ではないので置いていません。
彼女たちの演奏はまぎれもなくお金のためではなく心から音楽を楽しみ、自分たちのためだけに奏でられた音。
プロではないし、私からすると十分上手だなと思うけれど人によってはそうでもないと思う方もいられるかもしれません。
でもその純粋な楽しさから奏でられているその音と演奏になぜかお金を払いたくなってしまったのです。
そこで1人100円ずつ、合計200円をツツジの葉っぱに包みごはんを食べ終えてから
「素敵な演奏をありがとう」
という言葉といっしょに渡しました。
彼女たちは非常にびっくりして眼をまんまるに呆然としていましたが、
「ありがとうございます!」
ととびきりの笑顔で答えてくれました。
私が立ち去った後の背後で興奮冷めやらぬ彼女たちの声が聞こえてきて嬉しくなりました。
もしかすると彼女たちが自分たちの演奏でお金をもらったことはこれが初めてかもしれません。
実は私にとってもこの何かお礼をしたい、そしてなんの躊躇も迷いもなくお金を差し上げるという行為は初めてでした。
これまで様々な場所で集金ボックスや募金箱を見てきましたがケチな私は入れた経験がありませんでした(本当にケチですね笑)
どうしてもお金が欲しいという意図のために置かれたものに対して、なぜか純粋な心で払うことができなかったのです。
だから、自分はケチで冷酷な人間だなあと思うことがしばしばありました。
ボランティアとして、自分の行動で人に対して貢献したいとは思ってきましたがそれがお金に結びつくことはなかったのです。
でもなぜか今回は渡したくなったのです。
それも、何の迷いもなく。
渡した後に思ったことは、お金自体は自分のお財布から減っているけれど
それ以上に心が温かさと今日という日への楽しさは増えました。
同じ200円ですが、もしこれをコンビニで何か自分の欲しいおやつやごはんに使っていたら味わえなかったものだったと思います。
お金の使い道
同じ金額でも心への対価は全く変わってしまうのですね。
そう思うと、大金は稼がなくてもいい。
少ない金額だったとしても、それを自分の本当に心がほっこりし、
誰かを喜ばせられるような使い方がしたいと再度思うようになりました。
たったの200円だけれど、彼女たちの自信と音楽をたのしむ心にさらにプラスの楽しさを贈ることができていますように。
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