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父の日

大学生になってから、父の日のプレゼントと
称して6月のどこかの週末に
地元にいる父を東京に呼び寄せて一緒に
出かけるようになった。

場所は父親の希望があればそこへ、
特になければ私が考えるという感じ。

昨年は海外にいたのでできなかったけど、
一昨年は大学野球を見にいったり
上野の博物館に行ったりした。

今年は2日間あるので、1日目は少し私の用事に付き合ってもらうかたちで
次に引っ越す新しい家の内覧を兼ねて
吉祥寺を案内。

その後父が好きなYoutuberさんが
行っていたやきとんやさんに行った。
やきとんを食べたあとシュークリームと
ミルフィーユを買って
2人でカラオケに行った。

実は一昨年に初めて一緒にカラオケに行ってから、選曲の世代間ギャップと
父が歌っている状況がなんだかシュールで
父とカラオケにハマっている笑

今年も行こうと決めていた。

しかしお酒が弱いくせにやきとん屋さんで
調子良く飲み過ぎ、
酔っているくせに何故かカラオケには行くと
意地を張る父。

結局2時間コースの初めの1時間くらい寝ていた。

その間私は最近聴いていた曲を雑多に入れて一人で歌っていた。

旅をしていた時によく電車の車窓を眺めながら
藤井風の「帰ろう」
を聴いていたことを思いだし入れてみた。

曲って耳で聴くのと実際に文字を追いながら
自分で歌うのでは全然違う。
なんだか、はじめましてな感じ。

歌ってみて初めて自分がいかにその曲を聴くことができていなかったのかを実感する。

今回の「帰ろう」の場合もそうだった。

ください ください ばっかで
何も あげられなかったね
生きていた 意味なんか
分からないまま

ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずにかえろう
与えられるものこそ
与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう

藤井風 帰ろう

カラオケの画面に流れてくる文字で、この歌はこんな言葉を並べていたのかと気づく。

これまで私は人にください、くださいばっかりで与えられて生きてきた。

特に親にはそれが顕著で、常に愛を与えられて
育てられてきた。
お金も、時間も労力も全て与えられてきたように思う。

私には自分の人生と体と愛と全てを与えたいと
思えるようななにかがまだないし
そう思えるものに出会えるのかもわからない。

体が弱く仕事が嫌いな母は私が高校生になってから働き始めた。
今も私の東京での家賃を稼ぐために働いてくれている。
よく私が電話をすると、その日の仕事の愚痴を言っている。
明日からも連続で仕事が続き、体がつらそうな時もある。

その度に私は

「ごめんね、私が東京に住んで大学にいって遊び呆けてるのに
 ままには働いてもらっている。申し訳ない。」

と謝るのだが母は

「いいんだよ〜。
 子どものために働けるのって
  自分の張り合いにもなるから。
 仕事だって大変だけど、楽しいときも
 あるしね。」

という。

父も同じだ。
父は私が生まれる前に何度も転職を重ね、今の会社も辞められるものなら辞めていると思うが私と妹が大きくなり、ここからさらに転職をすると金銭面で厳しくなる。
よって同じ場所で働いている。

東京にきた時も父の日なのにもかかわらず、
どこに行きたい何をしたいは言ったとしても
せいぜい1つかそこらであとは全て
「このはの行きたいところにいけばいいよ」
と言う。

私の家族はいつもそうだった。

幼い頃から私のしたい、やりたいを聴いてくれ
それをお金が許す範囲でしてくれた。

両親からこれをしなさい、あれをしなさいと
言われることは思い出せる限り一切ない。

確かに人に対して嘘はつかない、敬意をもって接するなどで注意されることはあったけれど。

お金はただでさえギリギリなのにも関わらず突然病気になり入院したり、海外に行ったり東京に進学したりする私は一家の金食い虫で、私が食い荒らすために両親は自分のためにお金を使うことができなくなってしまっている。

こんなにいつもください、くださいばっかりで与えてもらってばかりいる私は、
いつか与えられる人になれるのだろうかと。

ケチだし、傲慢で欲深い。

与えられる人になることができるだろうか。
何を与えられるだろうか。

そう思っていた矢先にこの歌詞。
かなり響いた。

与えられるものこそ
与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう

藤井風 帰ろう

そうか、私が与えられるものはこれまで与えられたものなのかと。

すーっと重い荷物が下ろされたような 
そんな感じがした。

私が与えられるものは私がこれまで両親にたくさんのものを与えられてきたものなんだと。

両親だけじゃない、これまで私はたくさんの人にたくさんたくさん与えられてきた。

人だけじゃない、この地球に与えられてきた。

たくさん与えられてきたからこそ、
たくさん与えられるんだ。

何を与えていくことができるか、
自分には何もないと思っていたけど
もうすでにたくさんたくさん持ってたんだ。

だから心配せずに素直にありがとうって受け取っていいんだ。

そしてきっとこれから何かを新たに得なくても
すでに持っているものを
先の人生でたくさん与えていけるんだと。

そうでありたいし、そうであってほしい。

今日は父親と競馬に行く。
朝から雨予報だったのに、めちゃ晴れている。
お天道様にまた、素敵な晴れを与えられた。

何が与えられるかは、分からないけれど
父といられる今日という一日を大切に楽しく過ごしたい。







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