花のうてな。

【1998年3月17日(晴)中国:モーハン】

景洪のバスターミナルを8:00に出発して一路ラオスとの国境の町へと向う。またガンランパの町の横を走りぬけ、一度モンラーという町でバスを乗り換えて16:05ようやく国境の町モーハンへ辿り着いた。

いや、町と言う規模ほどのものではなく、当時はジャングルに囲まれた山あいに国境を設けるためだけに作った集落だった。まだ3月も半ばなのにセミがやたらと鳴いている。かなり暑い。明日の朝一で国境を越えるべく私はイミグレの隣の招待所に宿をとる(20元)。ふぅ。

これで買い物した時に入れてくれるビニール袋の薄い国ともおさらばだ。

山あいの町の夕暮れは早く、暗くなると同時に町には涼しくなり活気を増してゆく。カラオケの歌声や、路上ビリヤードをやっている人たちの話し声に混じり、通りの隙間にはピンクの明かりを灯しはじめた床屋からお姉さん達の笑い声が響く。

最後の中華は大好きな「魚香茄子」にしよう。泊まっている宿の一階の食堂に入る。仕事を終わったイミグレの職員でいっぱいだ。

給我、一个魚香茄子、白米飯。(マーボー茄子と、ライスくださいな。)

「好了。啤酒、要嗎?」(オーケー。 ビールいる?)

 冰冰的、有嗎?(冷えてる奴は有りますか?)

「是的!冰!冰!」(もちろん!ビンビンだよ!)

 真的嗎~?(本当かよ~?)

「真的!真的!」(マジ!マジ!)

10分後。まったく冷えてないビールをチビチビとやって日記を書いていたら、ドンッって茄子3本分の「魚香茄子」とボウルによそわれた「白米飯」約1キロが私の目の前に運ばれてきた。持ってきた小姐ニヤリ。

ともあれ私は大好きな「魚香茄子」で大満腹の大満足。あやうく食べ過ぎて嫌いになりかけるところであったけど。もちろん中華風に大量に食べ残してやったさ。(18元)

食事が終わって町をプラプラと散歩する。
まぁ散歩ってたって一周10分たらずの広さの村だ。

散歩し始めてすぐ町中の電気が一斉に落ちた。「あいやーぁ」と、あちこちで声が聞こえる。そういや宿にチェックインする際に宿のおじさんから「今日は町の電気は21:00までだよ。」と言われてローソク貰ったっけ。

町にポツリポツリと蝋燭の火が灯る。

ドッドッドッド、、、っと自家発電のモーターの音がし始め、ピンクの明かりとカラオケの音がし始める。みんな好きだなぁ。

ふとカラオケから流れる聞き覚えのあるメロディ。それは中国語に吹き替えてはあるが、喜納昌吉の「花」だった。

川は流れて どこどこ行くの。

人も流れて どこどこ行くの。

、、、ちょっとぉ、なんか出来すぎじゃない?

思わず顔がほころび、カラオケ屋の側のベンチに座り込んだ。また日本をでて数ヶ月だけど旅情マックス。

そんな流れが つくころには 花として 花として 咲かせてあげたい

夜風はぬるく、私の境界線はどこまでも曖昧に思える。

見上げるとジャングルの境界線は月明かりでにじんで見えた。月そのものは森の陰で見えない。

泣きなさい 笑いなさい 

ふと涙がこぼれた。

寂しくて鳥肌がたった。

いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

、、、私は流れて何処に行くのだろう?

逃げるように日本を出て既に3ヶ月。

花は花として 笑いもできる

私の大切だったあの人は、今も元気に笑っているだろうか?

泣いたりしてはいないか?

人は人として 涙もながす

薄暗い安息の中、私は初めから日本に帰るつもりはまったく無く旅に出た。

だから日本を出るときに全てのアドレスを破り捨てた。

今の私に旧知の友人とつながる術は、ない。

それが自然のうたなのさ 心の中に 心の中に 花を咲かそうよ

涙?

いったい何の涙か。

自分のために流す涙はこれで最後にしよう。

そう自分に約束した。

そうやって私はまた、守る事の出来ない約束をひとつ重ねるのだろう。

いつか、、、。

泣きなさい 笑いなさい いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ

―――あの人も、そう笑って私を忘れてくれるだろう。

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