旅人たちへのレクイエム vol.2

東南アジアの長期個人旅行者は総じてだらしない。

ろくでなしの多さで言えば、インドあたりや、南米周辺をウロウロしている旅行者も挙げられるが、まぁ、、、覚悟が違う。

何の覚悟かは後ほど話すとして、東南アジア自体が、適度に便利で、適度に危険でなく、適度に物価も安く、そして何よりも飯がうまい。これで脳みそが溶けるくらい暑いとなれば、だらしなくなるのもうなずける話だ。

いまだに『貧乏自慢』や『辺境自慢』が多いのもこの地域ならではの特色である。

まったく、どうしようもない。

そんなだらしない奴らが集まるのがタイはバンコクにある「カオサンロード」と呼ばれるわずか200m足らずの通り周辺である。今更、何の説明も必要ないだろう。

そんなカオサンロードに私はトータル1年もいました。ごめんなさい。東南アジアのトータルなら1年半です、はい。 しかももの凄くだらしないです。

ごめんなさい。

まぁよい、とりあえずこの場では自分の事は一時棚上げさせてもらう。本当にいろんな人がいる。そんなだらしない人々を色々上げ連ねようと思ったが、あまりにも悲しくなってやめた。でもこれから東南アジア編に突入する前に少し私の昔の旅話をしよう、、、。

しかし少し話が長くなるし、あまり面白い話題でも無いので、重い話とかが嫌いな人は次の章に読み飛ばしてくれてもかまわない。

、、、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争、そんな時代の中で私は始めての1人での旅に出た。

2ヶ月程の旅であったが、リアルに私に喰い込んでくる異国の人たちや、異文化の香り、焼け付く太陽、、、何もかもが私の脳天に直接杭を打ち込まれているような毎日であった。

、、、そんな旅の終わり。私は今はなき横浜に向かう船に乗る為に上海へ戻ってきた。乗ってきた列車が15時間遅れたために、早朝到着予定が真っ暗な夜になってしまった。宿泊するには浦江飯店しか知らない。当然そんな時間に到着しても部屋はひとつも空いてなかった。

はぁーどうしよう、、、野宿かなぁ。他に安い宿知らないもんなぁ。駅の外国人専用待合所なら安全に眠れるかも。

行き場を無くして、日も暮れたホテルの入り口で私は力を無くしボーッと座り込んでいた。ちょうどツーリストっぽい人たちが何人か戻ってきた。いいなぁ泊まれて、、、。

「キミ、日本人?」「どうしたの部屋無いの?」「野宿?止めなよ、危ないって。」「俺たちのドミトリーの床でよければ眠る?寝袋ある?」

ちょっとヒッピー風のひょろっと痩せた日本人らしきお兄さんがへたり込んでいた私に声をかけてきた。いわれるままに彼らの男性専用ドミトリーの六人部屋の床に毛布を引いて寝場所を無料で確保できた。ヒッピー風のお兄さんは命の恩人である。

翌日の朝には無事に空きベッドを確保できて、ようやく落ち着く事ができた。

滞在4日目の夜、明日はみんな船に乗って日本を目指す事になっている。

最後の晩餐に上海蟹を大笑いしながら山のように食べて、お土産物の整理も終わった浅い夜の事。部屋でみんなが輪になって話していると、ヒッピー風のお兄さんが怪しげな乾燥した草をタバコに混ぜはじめ巻きだした。

「吸う?」

大麻と呼ばれる代物だ。

いやーぁ私、タバコ吸えないので遠慮します。(笑)

「そー。」

別に断られた事をたいして気にした風でもなかった。

、、、たるーい香りが漂う。

あの香りは独特だ。

時々新宿を歩いていると「強烈に匂いがするんですけど」の人たちにすれ違う事があるが、不思議な事に誰も気にしない。きっとあの香りを知らない警察官の前で吸っていたとしても、彼らは何も分からないのだろう。

そのヒッピー風のお兄さんは何処からか音楽を持ってきて、のんびりと色々な旅の話をしてくれた。吸えない人達は各々にビールなどと、ひまわりの種をポリポリと。

今まで東南アジアから彷徨ってきたヒッピー風のお兄さんが言うには、今回は中国のハルピンにビジネスのコネクションが出来たそうでシルクを仕入れて彼の実家の北海道に輸入するそうだ。

「ようやくこれでシルクロードが日本までつながったんだよ!」「ようやくシルクロードが日本まで来る事ができたんだよ!」

お兄さんは何度も声を荒げながら、フラフラと立ったり座ったりして話を続ける。既に時間は22:30。一度お兄さんの声がでかくて隣の女子ドミトリーの子から注意された。

ごめんなさい。

小声になったものの、まだ私達の旅の最後の夜は終わらない。

いつの間にかヒッピー風のお兄さんは、今回ずっといた中国は北部の黒龍江省のハルピンの話になっていた。この地域は昔、満州国があった地域だ。森村誠一の「悪魔の飽食」の部隊であると言えば少しは知っている人もいるかもしれない。

いつの間にかヒッピー風のお兄さんの話は『七三一部隊』の事に進み、ボロボロと泣き始めていた。

、、、とりあえず、ここでは森村誠一の『悪魔の飽食』についても『七三一部隊』についても特に触れないし、リンクも張らない。興味のある人は自分で調べて欲しい。

お兄さんは泣きながら、戦争中に日本兵に自分の子供の頭を目の前で踏みしゃがれて殺された老板(シルク屋のボス)の家に大変お世話になったという話を延々と繰り返していた。しまいにはボロボロ泣き始めて次第に声もデカくなっていった。キマッってるのかなぁ?ちょっとやっかいだなぁ。

「ちょっと!いいかげん静かにしてくださいっ!警察呼びますよ!」

隣の女子ドミから壁をドンドン叩いて、日本人の女の子の怒った声。

今まで泣いていたお兄さん。

いきなり切れました。

立ち上がったかと思うと、走っていって鍵のかかった女子ドミの扉にとび蹴り。しかも連発!

「てめー誰だぁー!出て来いーっ!老板の気持ちがわからねぇーのかぁ!」

明らかにお兄さんは混乱しています。

、、、実は私が育った実家の周辺はガラが悪く、私の知人にも数名ほど本気のシャブ中、パン中がいます。どいつもこいつも最終的には被害妄想が激しくなり興奮性を増して、とても友達付き合いが出来るような状態ではなくなり縁を切らざらなくなりました。少し嫌な思い出を今のお兄さんを見て思い出しました。

私達全員でようやく暴れるお兄さんを取り押さえても罵声は止みません。 隣の女子ドミでは恐怖におののく泣き声が聞こえます。

ちょっと待った待った!ねぇねぇ兄さん!もう夜遅いんで寝ましょうよ。

「あいつはなんだー?」「もっと言い方があるだろう?」「なぁそう思うだろ?」

興奮するお兄さんをみんなで寝かしつけて、さあ部屋の電気を消そうとした時ドンドンドンと私達の部屋のドアをノックする音。

公安だ。

2人いた公安は寝ぼけたお兄さんを縛りつけアッという間に何処かに連れ去ってしまった。翌日、私達は日本に戻る船に乗るために11:00にチェックアウト。お兄さんはやっぱり戻ってこなかった。

そう言えばお兄さんの荷物を、大麻が詰まった袋ごと朝方にホテルのスタッフが回収していったっけ。

私達の中の誰かが言った。

「中国で麻薬が見つかると死刑ですって。」

外国人は流石に死刑にはならないが罪が重いのは本当だ。
あのお兄さんがその後どうなったかは誰も知らない。

本当にいろんな人がいる。
いろんな目的の人もいる。

ひとそれぞれだからといって「何やったって人に迷惑かけなければいいでしょ」と平気でほざく無責任なヤツを私は信用しない。そんなヤツは独りで無人島にでも行けばいいと思う。そんな事を目の前で言われる事自体が迷惑で不愉快だ。

「迷惑かけてありがとう」

2000年の年越しカイロ組の合言葉だ。迷惑もかけずに後悔もしない人生なんてこっちからお断りしたい。

それでも私にとって特別だった日々は、流れてゆき、膨らんでゆき、そしていつか消える。

本当にいろんな人がいる。
日本に帰れなかった旅人もいる。
この5年の旅で日本に辿り着けなかった友人は8人だ。

事故、事件、病気、自殺。

そんな人達について書く事もあるかもしれないが、やっぱり書かないかもしれない。何故なら、その8人の中に私がいつ加わってもおかしくなかったからだと知っているから。

アタリマエのように無事に帰ることの難しさ。
すぐそこにある絶対に逃げられないもの。
くれぐれも油断召しませぬように。

さて、東南アジア編Ⅰの始まり始まり。

旅は楽しく!美味しく!馬鹿らしく!東南アジアほどこの言葉が似合うところはございません。ここは人生を10回くらい見つめなおしに来ている人達でいっぱいです。

東南アジアは、そんな人達でも笑顔で温かく迎えてくれる空気が漂う南国の楽園なのです。

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