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#015 『鞄談義3』 まえがき

 鞄は文化である。
 これは命題だ。命題というのは、解決を要する課せられた問題のことであり、数学の場合、その内容が真(正しい)であるのか偽(正しくない)であるのかの判断を迫られる。そして、真であるとすればそのことを証明してみせなくてはならず、偽であればそのことを証明するか、または少なくとも一つの例外を提示しなくてはならない。
 そもそも文化とは何か。辞典にはこのように記されている。
 人間が本来の理想を実現していく活動の過程。その物質的所産である文明に対して、特に精神的所産の称。芸術・科学・道徳・宗教・法律など。(角川書店 新国語辞典)
 真理を求め、常に進歩・向上をはかる、人間の精神的活動(によって作り出されたもの)。(三省堂 新明解国語辞典)
 すなわち、文化とは「理想」を実現し「真理」を求める精神的活動のことである。
 つまり、鞄と文化の関係を論ずるためには、鞄、理想、真理、この三つがどのように結びつくのかを考えなくてはならない。この三つが結びつくことによっていくつかの価値観が生まれることを検証すれば、鞄は文化であることの証明の糸口が見えてくるかもしれない。

 鞄は文化である。
 このことは他で既に証明されているのかもしれないが、証明は一つとは限らない。私たちは私たちの方法で証明を試みたい。実はこの『鞄談義』シリーズはその証明の序文であり、一部証明の本文を含む。
 仮に証明が終わったとしても、それが成立しているかどうかの検証も必要となってくるわけで、鞄が文化であるという命題の真偽については当分の間、お預けということになる。

 鞄は文化である。
 この証明にはモンテーニュの『エッセイ』や百閒・漱石の思想などが手助けをしてくれるだろう。このまえがきも然り。粋に生きよう。野暮はいけない。

 『鞄談義』シリーズは鞄に恋をした人たちの話の本。
 執筆者は皆、鞄に一家言を持っている。町を歩きながら鞄屋をチェックしたり、行き交う人々の鞄をさり気なく観察していたりする、誠に変な人たちである。
 このような人もいるのか、このような鞄もあるのか、このような鞄の本もあるのかと、コーヒーでも飲みながら楽しんでいただければ嬉しい。

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