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自分で自分を“島流し”にする......?

最近、「島流し」をテーマにした短編小説を構想しています。
島流しをポジティブな意味合いとして捉えられないか、という試みです。
ただ、「島流し」というと、ほぼ100%ネガティブなイメージですよね。

歴史が好きだった小中学生のときは、戦国時代など、島流しに遭った戦国武将や僧侶のことを時々本で目にして、「死罪よりはマシ」という位置づけであったという認識がありました。

でも、「島流し」とは少し状況が違いますが、
歴史上の人物をみると、
牢獄に入れられたり、左遷させられたような経験が、
のちのち大きな意味を持つような例が多々あります。

たとえば、南アフリカのネルソン・マンデラ。

一見、不便な環境にいることで、内省・自己と向き合う時間が、自然と生まれるのだとおもいます。

私にも、そんな状況は覚えがあります。
旅先で、テント泊や野宿をしたとき、なかなか寝付けず、ひたすら朝が来るのを待つしかないような夜――。
そういう時は、将来のことよりは、今まで思い出さなかった、なんでもないような過去の出来事に思いめぐらせています。

別にそこまでネガティブな経験をしてきた訳ではありませんが、
深いふかい穴の底を眺める、または土の奥深くに、そーっと手を入れていくような感覚。

現代は、知らず知らずのうちに他者と繋がり過ぎてしまう傾向があるので、
ほどよい距離感・空白の時間をとることが、大事になりそうです。

現在構想している短編小説は、「島流し」をサービスとして提供するために起業した、とあるベンチャー企業の物語です。

公募に応募しますが、第1章くらいはnoteで公開しようかと思っています。

現代において、「島流し」的な経験はどんな意味を持つのか。
おのずと、「引き算」についても考えることになりそうです。

最近、『エッセンシャル思考』や『人生がときめく、片付けの魔法』の本を読み、二つの本の根底に、共通して流れているものを感じとりました。
必要のないものは捨てて、「本質」ときちんと向き合う重要性を痛感しています。

島流し × エッセンシャル思考

どうぞ、ご期待ください……!


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