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生きやすくなるためのヒント:一貫性について

はじめに

今回は、最近読んだ2冊の本;
▷ロバート・B・チャルディーニ『影響力の武器』
▷サティシュ・クマール『サティシュ・クマールのゆっくり問答』(辻信一 訳)
をもとに、僕が考えたことを書いていこうと思います。

あなたは、自分の発言や行動に一貫性を持つことについて、どう思いますか?
「初志貫徹」や「首尾一貫」のような四字熟語が表すように、一貫していることは、一般には望ましいことであると言えます。
しかし、一度立ち止まってよく考えてみてください。
一貫していることは、「誰にとって」望ましいのでしょうか?

一貫した行動は誰のため?

先に結論を述べると、これは「社会や他者にとって」望ましいのであり、「自分にとって」は必ずしも望ましいことではない、というのが僕の考えです。
このことについて、まずは一冊目『影響力の武器』の内容を引用しつつ考えてみたいと思います。

『影響力の武器』は、人の行動や意思決定に影響を与える6つの原理を、社会科学や心理学に基づいて紹介している本です。
これらの原理の一つに、「一貫性の原理」というものがあります。
これは「人は一度ある決定をしてしまうと、その決定と一貫した行動をとりがちである」という原理です。
(この原理を利用した「フット・インザ・ドア」と呼ばれる交渉テクニックは結構有名だと思います。)
本書では、アメリカのインディアナ州で実際に行われた実験が紹介されています。
以下が実験の内容です。

実験者はまず、州の住民に電話をかけ、
「アメリカ癌協会の寄付を集める3時間ほどのボランティアへの参加を依頼されたらどうしますか?」
という質問をしました。
実際に参加を依頼されたわけではないので、
住民の多くは「依頼を引き受ける」と答えました。
その後、同じ住民に実際にボランティアの参加を依頼してみました。
すると、(事前に質問をしなかった場合と比べて)約8倍もの参加者が集まりました

このほかにも、例えば
「試食をしたから、そこまで食べたくなかったけど買ってしまった」
「店員の話を聞いてるうちに、何か買わないと気まずい雰囲気になってしまった」
など、あなたにも思い当たる節があるのではないでしょうか。

これらの例は些細なことですが、もっと深刻な問題、例えば人間関係でも
「一度始めてしまった関係だから、なかなか関係を終わらせることができない」
「前に一度許してしまったから、本当は嫌だけど怒ることができない」
など、さまざまな場面でこの「一貫性の原理」は働いています。
一貫した発言や行動をすることは、確かに他者にとっては望ましいことかもしれません。しかし、ときにはあなたの本当の気持ちを押し殺し、あなたの幸せを邪魔してしまうこともあるのではないでしょうか。

「完全」とは何か?

さて今度は、2冊目『サティシュ・クマールのゆっくり問答』を参照しながら、この一貫性の問題について、別の角度から考えてみます。(サティシュの詳しい経歴が知りたい方はこちらをご参照ください。<https://ja.wikipedia.org/wiki/サティシュ・クマール>)僕たちが自分や他者に対して一貫した態度を求めること。
それは言い換えれば、人間に対して完全性を要求することであると言えると思います。
しかし、そもそも「完全」とは一体何なのでしょうか。
このことについて、サティシュが非常に興味深い指摘をしているエピソードが本書で紹介されています。

サティシュは日本に訪れた際、茶屋でお茶とお菓子を食べました。
そこで彼は、お茶でもお菓子でもなく、お菓子が載ったお皿をジーッと見つめていました。
そのお皿は、長方形の一つの角が折れたデザインになっていました。
サティシュは、「これは端を折ることで"完全"を避けているんだな」と言いました。

余談ですが、実は茶道ではお皿に限らず、懐紙(お菓子を載せる紙)やお菓子の置き方など「左右対称」のような完全さを避けることがしばしばあります。
この記事の一番上に載っている写真でも、懐紙は完全な長方形にならないようにわざとズラして折られています。
このような感覚が日本古来の美的感覚であり、西洋的な美の価値観とは大きく異なる点だと思います。

続けてサティシュは、

「完全の中に不完全さを包み込む、それが完璧というもの。不完全さを持っていればこそ、真の完全なのだ。」

と語ります。

僕は、人間についてもこれと同じことが言えると考えています。
他者や社会は僕たちに一貫性(=完全であること)を要求します。
ですが、本来人間は不完全であり、大なり小なり矛盾を持つ存在です。
変な表現ですが、誰かを殴った手と同じ手で誰かを慰めるのが、人間という存在の本質だと僕は思っています。
そして、サティシュの指摘を踏まえて考えれば、
人間は不完全さを内包できるからこそ、真に完全でもありうるのです。

まとめ

社会の中で生きていく以上、様々な状況で一貫性が求められるのは仕方ないことだと思います。
だからこそ、自分だけは、自分の不完全さや小さな矛盾を肯定しながら生きてく方がいいと思います。
そして、できれば自分だけでなく、他者の不完全さも受け入れて生きられるようになれたら最高です。



ここまで読んでくれてありがとうございました。では、また。

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