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糞フェミでも恋がしたい

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能條まどかによる実体験に基づいた糞フェミ恋愛小説「糞フェミでも恋がしたい」の連載まとめ
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#女装

糞フェミでも恋がしたい (その12)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミにも心の迷いはあって、ちゃんとした覚悟を持つには、それなりの決心を要するというか、心の圧力を要するというか、つまりいろいろ大変なわけなので、だから私がもうどうなってもいいや、って思うためには、いろいろな迷い道を通り抜けるだけの頑張りがあるのだ、だからそこをいっしょけんめい頑張って通り抜けて、その瞬間、その場所に立ったとしたら、それはもう自分で自分を褒めてあげたいぐらい誇らしいことなのだ、私が綺羅君の、つまり「あの綺羅君」の前に立とう

糞フェミでも恋がしたい (その14)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミでもめちゃくちゃにして欲しいのだ、私の身体を雌の欲望が突き抜ける、その欲望のままに、自由になりたいのだ、自由になって、ぶっ壊れてしまいたいのだ、綺羅君、綺羅君、綺羅君、綺羅君、心の中で、ねがいが渦巻きみたいになって、ぐるぐるぐるぐるぐるぐる、私を引きずり込んでいく、いい、このままでいい、このままどこへでも、行ってしまっていい、連れて行かれてしまっていい、圧倒的な存在である綺羅君になにもかもあげてしまっていい、私の欲望はそういう欲望。

糞フェミでも恋がしたい (その15)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミだって時にはやさしくされる、やさしくされればうれしいのだ、雌なんだもの、それはうれしいのだ、私もうれしかった、綺羅君は、ふたつの玉から絞り出すように、濃厚で粘り気のある白濁を、何度も何度も、力いっぱいに発射すると、絶頂と興奮で息を切らせながら、彼の精液でぐちゃぐちゃになった私の身体を見下ろした、綺羅君の男性器は、射精を終えたあとも、まだひとしきり反り返って、反応を続けている、ああ、なんて男らしいんだろう、いいな、雄ってすごい、すごい

糞フェミでも恋がしたい (その16)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミに明日はない、明日なんかあてにしていない、今日がすべて、今日に生きて、今日に死ぬ、そういう心で生きるからこそ、本当に真剣に生きられるんじゃないかと思う、中途半端な幸せで、中途半端に満足するぐらいなら、真剣さのために、真剣に求めるもののために、死んでもいいのだ、私は、死んでもいいのだ、綺羅君を自宅まで送り届けて、綺羅母にご挨拶して、あの母親だから、なんとなく勘付くところもあるだろうけど、でも許されている感じもして、雌の私は、それなりに

糞フェミでも恋がしたい (その23)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミでも淫乱なのだ、淫乱というか、それはぜんぜん悪い意味じゃなくて、セックスの快楽に正直なのだ、動物として真っ直ぐなのだ、くだらない見栄や良識に振り回されない、強い生命体なのだ、だから、私は淫乱を貫くのだ、すみれちゃんが座り込んだまま目を見開いて呆れていても、貫くのだ、つまり、その辺のエロ小説なら、一発フェラして終わりのところだけど、実体験だから終わらない、だって、綺羅君の男性器は勃起したままなのだ、もっともっと、射精してもらおうと思う

糞フェミでも恋がしたい (その24)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミには糞フェミのことがよくわかる、まあ、わからないわけはない、みんなどこかしら脛に傷があって、望んでではなく、仕方なく糞フェミになった者ばっかりなのだ、持って生まれた性格は違ったとしても、出生とか、育ちとか、経験として、共感しないわけがない、自分はひとりではないというそのことが、唯一、狂わないでいられる希望として、理性を繋ぎ止めることもある、真の狂気は、真の孤独とともにある、好んでそこに落込んで行きたい女など、この世界のどこにもいない