ケニー

インターネットに詩を載せる

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最近の記事

創作で一番大事なこと

 友人が示唆に富んだ話をしてくれた。  友人は芸術系の大学出身なのだが「描きたいものがなくて困る人」が一定数いるらしい。そういう人は「鯨の絵が上手い」とか「海の絵」が上手くてコンクールに受賞するとか、そういうのが嬉しくて芸術の大学へ入学してくる。そういった「学校で褒められる絵」を描くのは上手なのだけれど、本当に描きたいという衝動がないので、何を描けばいいか迷ってしまう。というか今まで「迷い」といったものが存在せず、社会的に「上手」とされる「それっぽい絵」を「正解」として描き続

    • 詩6

      色が色々ある 赤色、青色、緑色、黄色 実は、宇宙には色しかない 色のついてないものは存在できない 画家は色に命をかける 色の美しさに命をかける 映像作家も色に命をかける 美しく動く色を探すために この世界の色は 誰が創ったのだろう

      • 詩5

        人は音楽を忘れた 四季の調べも忘れ 太陽と月のデュエットも忘れ 昼と夜のリズムも忘れ 天蓋で鳴る七つの音も忘れ イヤホンで流行歌を聞く 人は音楽を忘れた 老いのテンポも忘れ 祝祭の舞踏も忘れ 沈黙に浸ることも忘れ イヤホンで流行歌を聞く 人はもう耳を持っていない 体内で踊る星々は カオスによって砕け散った 人は音楽を忘れた

        • 詩4

          宇宙は硝子から成るのか 触れると壊れてしまうから 透明で傷つきやすいから 硝子細工の彼女に指をあてると 虚空が開き 鮮血が湧く 海原の透き通りに 触れるのが恐ろしい もしくは 宇宙は 鏡から成るのか 全て俺の顔だから

          詩をどこまで壊すか

          中学生の頃に2ちゃんねるで見たコピペの内容が妙に頭に残っている。  僕が創作において一番嫌いなのは「能力がないから形式そのものを破壊している人」である。今までに何も積んでこなかったから、例えば音楽だとコードをまるで無視した音楽を創ったり、詩だと「狂気」を装って文字化けのような詩作をする。僕はこれを「狂気逃げ」と呼んでいる。  一方で、王道すぎる創作もつまらない。いや、進撃の巨人やワンピースなどの王道はとても面白いのだけれど、僕はボーボボやおしゃれ手帖のような不条理物の漫画の

          詩をどこまで壊すか

          詩3

          割れ続けていく硝子の中で 壊れ続けていく宇宙の中で 発狂する なぜお見捨てになったのですか 映写機は相変わらず轟音で壊れつつ 俺の身体は明滅 俺の意識は眩暈じみてきて 映像が乱れ 途切れ途切れ 映像 死 耐えながら 浮遊 曖昧 死 細胞核  構造 映像が乱れ  メタフィジカル 細胞核 きれぎれ 断片  不安から逃れられない! なぜお見捨てに 震え 鼓動 停止 明滅 無 死 疑念 太陽 なぜ きれぎれ 途切れ

          詩2

          そして俺の眼は 森に誘拐された 泣いている新緑に 嬰児の悲しみを見る 神々と言葉が腐乱していて 一人の女だけが 解釈を拒んでいる 割れかけの水面が ちろちろと呻いている 硝子の破片から 血が流れている 壊れかけた森の中で 一人の女だけが 解釈を拒んでいる 血のない女が 音のない森で 窒息している

          詩1

          意味もなく窓に手を添える 都市の窓はざらつき 私の姿は硝子に映らない 飢えを知らない動物が 幸福を知らずに歩いている 私の姿は硝子に映らない 意味もなく芝生に 手を添える ちくちくとした痛みに 確かに生があった 都会に生の弁護士は 一人もいない みな快楽を弁護して 私の姿は硝子に映らない 最近は東京も 星が見えるようになった 月光が一つの謎となり 女の姿が硝子に映った 意味もなく窓から手を放す 俺は引力を信じる

          自然の歌

          小鳥の見ている夢の中で 僕は命の不思議を想う 森に伝う神経の中で 僕は命の不思議を想う 美しい唯物論の中で 夜は命を温める 宇宙の瘡蓋の下で蠢く ささやかな不思議たちを そっと手のひらで包み込む 「自然を歌っていいの」 僕は詩人だから 「詩人は自然を歌っていいの」 それが生きがいなんだから 「傲慢だとは思わないの」 傲慢?どうして? 「言葉で自然を汚しているから」 汚してなんかいないよ 僕の詩は美しい 「言葉は自然を殺してしまう 言葉から零れ落ちる滴りが詩ではないの」

          自然の歌

          祈り

          誰に祈っているの 「誰にも」 何を祈っているの 「何も」 無に無を祈っているの 「そうだよ」 どうしてそんなことをするの 「報いのない祈りが  神の求めるものだから」 この詩はひとつの祈りではないの 「……」 私を騙そうとしたの 「……」 あなたはこの詩を書くべきではなかった

          小鳥

          小鳥の見ている夢の中で 僕は命の不思議を想う 森に伝う神経の中で 僕は命の不思議を想う 美しい唯物論の中で 夜は命を温める 宇宙の瘡蓋の下で蠢く ささやかな不思議たちを そっと手のひらで包み込む 小鳥の夢の中で 僕はまだ 生きられる 生きていられる 生かされている 命の不思議の中で 僕はもう 口ごもることしかできない…

          映画

          女はじっと映像の百合を見ている 光の泉に揺れている  水面は硝子のように 透明であることに耐えていて 静寂と裂傷が 互いに張力の均衡を 保ちながら 無声映画が流れている 張り裂けそうな 皮膚と水面の 沈黙に 幾何学の波紋が 伸びていく 女は浮遊感を楽しみ アルゴリズムに従い 実存に 吊るされる 磔刑 裂け目と不安が膨張する 磔刑 水面と映像が烏に破られる 磔刑 女の髪の毛が 民衆に引き千切られる 映写機が轟音を響かせながら 震えている 僕は 見捨てられた 孤児だった

          詩に何ができるのか

           空腹な子供に文学はどうこうみたいなくだらない議論ではない。  詩というのは「うた」であるが、現在は誰でもが「歌」を作ることができる。コードを勉強して、DTMをいじって、ボカロを調教する。僕も音楽は大好きで、毎日熱心に聞いている。  表現をする媒体は多様化してきていて、視覚や聴覚にもろに訴えかけてくる映画やアニメやドラマ、言葉と絵をミックスした漫画など、強烈なインパクトを与えられる手段が多様にある。  その中で、なぜ詩を選ぶのかという問題がある。僕の場合は先天的な障害によ

          詩に何ができるのか

          形而上学

          先の見えない堤防の横を歩く ヴァーチャルな映像的 もしくは超感性的な天使の 彼女と海沿いを歩く 記号は不可能の象徴で この堤防は永劫回帰の詩なんだ つまり どういうことなの この詩は君の夢であって 永遠に覚めない夢なんだ 死んでいるってこと? 生きてるさ 超感性的な女と遊歩道で 海猫の声を聴く φっていうのはなんなの だから 不可能ということだよ これは私の夢なの この詩がね 不可能な記号の夢なんだ 何も知らない無垢な彼女に 教えを垂れながら歩く 快癒し

          裸の女

          裸の女が眠ってゐる 血色の悪い肌の女が なぜか同じ部屋にゐる 部屋というのは幾何学のようなもので 四角形の構造体の比喩だ 構造〈ストラクチュア〉だけが 僕たち二人を囲ってゐる この構造というのは説明が難しい 数式に例えたら分かりやすいだろうか 物質でも精神でもなく 構造だけがあり 外部がない 外部ない構造は どの〈場所〉にあるのか とんと見当がつかぬ この構造しかないのだ 諦念も湧いてこないぐらい 自明のことだった 女が眼を覚ますと 幻覚=夢=数式=天使 になった彼女

          墓場

          私は一つの墓だった 星の欠片を食らいつつ 心臓が鳴る 墓だった 身体は死骸の 塊で 精神は死者の 魂で 命は殺戮で 満ちていて 私は私の身体を 弔う 名前が刻まれた墓石 なぜ石に名前があるのだろう 私が食らった生命が 心臓で鼓動を打っている 生きた墓場が私であった 私もそのうち 誰かの墓場になるだろう 宇宙は一つの墓場であった 死に支えられた宇宙で 生きている だだっ広い死の静寂に 賑やかな歌声と心拍 生と死が混濁し 救済の鐘は 今も鳴り続けている