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19.無意識のクセ

「レッテル貼り」が引き起こすこと

わたしたちは、無意識にあらゆる物事に対して、「評価・判断」をくだしています。はい、無意識のうちに・・・。これが「レッテル貼り」です。

「お疲れさん!」
「明日、空いてる?」

こんな日常的な挨拶から、もっとセンシティブな会話に至るまで、常に
内容を分析して、なんと答えようか、どう言った方がいいのか、また相手の発言にも評価や批判を無意識にしています。
考えてみたら、いくら無意識と言ってもめちゃ疲れそうですね。

しかし、このパターンはすっかり定着しているので「レッテルを貼り」をしないと物足りないような気になってしまうんです。なのでまずは、「レッテル貼り」に気づくことからスタートしなければなりません。

この「レッテル貼り」が、真実を見失うことになる元凶です。
本来、そのままで完璧なのに無意識に「レッテル貼り」をしてしまうのです。すると、みるものが不完全に見えてしまう、エネルギーも停滞する、ということになります。エネルギーを滞らせ、人間関係もギクシャクし、不快感に襲われる、レッテル貼りをやめない限りこのループから抜けることができません。ぎゃ〜! 

なかなか飲み込めない真実

もう何回となくこの言葉を聞いたことがあるでしょう?

「この世には正しいことも、間違っていることも、良いことも、
悪いことも存在しません。」これは真実です。

この「正誤・善悪」と言う概念は人の思考が作り出していることで、あくまでも相対的なものだということです。その理屈は理解できるのですが、例えば殺人、強盗、詐欺で人を騙してお金を奪い取ることなどは、どうしてもよくないこととして思考がジャッジしますよね。

ところが、[万能の法則]では、全ての出来事は、単なる出来事で「〇〇だ」とレッテルを貼ることで、(例えば、人殺しはよくないこと、騙す人は悪い人)その出来事がレッテル貼りの「〇〇」にすり変わってしまうというのです。人生を完璧にするにはあ「ありのままに」受け入れることだと言っています。(言うは易く行うは難し・・)

私は、以前、ディマティーニ博士のセミナーに参加した時、強盗に押入られて夫を銃で撃ち殺された妻の話を聞いたことがあります。
妻は子どもたちを抱えた今後の生活に途方に暮れて、犯人を恨み、裁判を起こしているそういう状態の時期、D博士とセッションをしたそうです。そして、妻は最終的には犯人に「Thank you.」といい、ハグするまでに至ったそうです。(詳細はここでは省きます)
この話をD博士から直接聞いた経験がある私は、このなかなか飲み込めない真実がやはり真実であることを認識せざるをえませんでした。
今は、いろんな事象について、すぐにこの相対的な概念に乗っ取られるのではなく、「正誤・善悪」のシーソーのバランスをとるようにしています。

指を切った時、頭痛がする時、など痛みをネガティブなものととして排除しようとするだけでなく、痛いと感じる痛覚があること、自然治癒能力で血が止まることなど体の仕組みのありがたさを感じるといったことなどです。
日頃この気づきトレーニングするで、思考は少しづつ融通が効くようになってきます。
つまり、ネガティブに捉えてしまう思考のクセを「ありのまま」に捉える習慣をすることは「人生を完璧」にする!というステージに近づけるためのトレーニングなのです。だんだんとコツが掴めてきます。すると、「嫌だなあ〜」と思う事象にぶち当たった時思考を転換する(まずは転換しようとする)クセがついてきます。

痛みのシグナル

[万能の法則]では、痛みにはメッセージがあります。

自分の気づかないうちに「愛の出し惜しみ」をしています。

ということらしいです。これは、他人に対してのではなく、あなた自身に
「もっと自分を愛しなさい!」というメッセージを発信しているということです。もし、痛みを経験している方がいれば、またその痛みが継続しているのであれば、このメッセージは大切です。なぜなら、メッセージは「気づき」が起きるまで繰り返し発信され、似たような出来事が繰り返されるからです。「痛み」は宇宙の叡智からの強力なシグナルなのです。
これは実はとても重要なことなのでまたどこかで詳しくふれたいと思います。

怒りのシグナル

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怒りという感情もわたしたちを悩ませます。怒り・恨み・憤慨といった感情に振り回されてしまっている時は、その「レッテル貼り」をすぐに手放すのは確かに簡単ではありません。

「レッテル貼り」はほとんどの場合、幼児期からの解釈からなるようです。まだよく理解できない幼児期に大人の行動を愛情不足だと感じたり、傷ついたりして幼い頃の心の傷や悲しみおってしまい、大人になってもそれをひきづっていることがほとんどのようです。
実は怒りは二次的感情であり、その原型は悲しみや寂しさだといえますが、大人になってもその原型の悲しみや寂しさが根底にあり、怒り・復讐心は自分の目の前に現れた人に刺激されて元の悲しみ・寂しさが形を変えてうずき出してしまうようです。

わたしたちは、誰かが自分を怒らせたと考えるのですが、事実は違います。自分の中にあった怒りのタネを自分から巻いているのです。耳の痛い言葉ですが、これを認めないと先に進むことができないので、私も認めてしまいました。
誰かの行動・言動によって「怒り」がわいて相手を許せないとき、その相手の欠点は必ず自分の中に存在していて、それを気づかせるために、あるいは認めたくないがために、とにかく反応して自分の感情がぐらついてしまうのです。

気持ちをありのままに感じるエクササイズ

なかなか「レッテル貼り」を手放せない時、怒りを感じて不愉快な時、そして、こういう気持ちの持ち方について学んでいくと、「そうした方がいいのにそうできない自分」に苛立ったり、自己嫌悪に陥ったり、ループから抜け出せなくなってしまう時、やはり一番効果的なのは、「気持ちをありのままに感じるエクササイズ」です。怒り・落ち込み・残念・苛立ち・・なんでも負の感情をありのままに感じてみると不思議とそのまとわりついた感情からスーッと距離を置けるようになります。繰り返し、繰り返し、少しづつトライしてみてください。きっとラクになります。わたしもラクになれました。それがココロをみがくスキルのようです。

さらにつづく・・・


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