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セナを知らない筆者が感じた、セナが伝説である理由🏎️🏆

アイルトン・セナ。
F1をよく知らない人でも一度は耳にしたことがあるであろう有名なこの人が、なぜここまで伝説的なドライバーとして今でも熱く語られるのか。
セナを知らない世代の筆者は、いつもそれが疑問でした。世の中に素晴らしいF1ドライバーはたくさんいるのに、どうしてセナは特別なんだろう?
ちょうど彼の没後30周年である今年、数々のセナ関連企画に触れるうちに、少しずつ、この疑問の答えを掴んできたような気がします。
まだまだ勉強中ではありますが、今の時点で私が感じたその魅力を発信してみたいと思います。


Hondaのトークショー「セナとホンダの6年間」で明かされた素顔

2024年12月14・15日にわたって開催されたHonda Racing 2024 Season Finale。そのうち12/15に開催されたトークショー、「セナとホンダの6年間」に参加して感じたことをまとめます。
(非常に豪華なメンバーでした!!!!!!)

トークショー参加者。左から、サッシャさん、山本尚貴さん、佐藤琢磨さん、中嶋悟さん、中澤広高さん、田辺豊治さん、石原毅さん。

中嶋悟さんが明かす、セナの優しさ

1987年、ロータスでセナのチームメイトであった中嶋悟さん。「当時、セナとはどんな話をしていたの?」という質問に、セナの細やかな気遣いと、彼からもらったちょっと変わった、でも大切なアドバイスを教えてくれました。
まずはブラジルGPにおいてセナが伝えたことは…

  1. 一般道の走り方

  2. 水の飲み方

一体どういうことかというと…
ブラジルの一般道は赤信号でも止まってはいけない、逆に青信号であっても周りの車に注意して走らねばならない。(きっと治安の関係上の処世術だと思います。)
また、クーラーボックスの氷水の中に入っているカップ入りの水は、氷水部分が口につかないように飲みなさい。(氷水でお腹を壊すことがあるから。)
ドライバーの安全と健康を気遣う、セナの晩年の姿とも通ずるものがある優しいアドバイスです。

また、セナは中嶋さんに、擦り傷から手を守るためのテーピング方法を教えてくれただけでなく、実際に中嶋さんの手にテープを巻いてくれていたとのこと。
ちょっとキュンとしてしまったのは、私だけでしょうか…?

1987年、ロータスでチームメイトだったセナと中嶋さん。gettyimagesより引用。

エンジニアが明かす、セナの繊細さ

トークショーには、主にマクラーレン・ホンダ時代、セナと共にGPを駆け抜けたエンジニアの方々もいらしていました。
エンジニアが口を揃えて振り返ったのは、セナのマシンに対するフィードバックの細かさ。そして「セナ足」と呼ばれたアクセルワークの繊細さでした。
セナが走っていた時代、Hondaが当時初めてマシンのパフォーマンスをデータとして記録し、紙に印刷して細かくチェックするという手法を取り入れたとのこと。
(世界最高峰のレースの場で世界初の手法を取り入れるところ、さすがHondaです。)
データを見ると大体16点くらいのパフォーマンスフィードバックを得られたということですが、セナはそれに加えて200近いフィードバックをエンジニアに伝えていたそうです。
そのためエンジニアの方々は、取得したデータの情報と、セナの無数のフィードバックとを照らし合わせながら情報を相互に補完し、マシンの改良に反映させていたのだと、トークショーで語ってくださいました。

もう一つ、セナの繊細さを象徴する技が、いわゆる「セナ足」。非常に大雑把にいうと、アクセルペダルを小刻みに踏んだり緩めたりを繰り返すことです。これによって何が変わるのか、という点については諸説あるので割愛しますが、物凄いのがその早さ。
なんと1秒間に5-6回のペースで踏んだり緩めたりを繰り返していたそう。
エンジニアの方々は、当初データを見た時に計測器が壊れているのではないかと思ったそうですが、セナ本人に確認したところ、セナ自身が意識的に行なっていることが判明。
そのためセナのマシンはアクセルペダルが他よりも柔らかくセットされるようになっていたということです。

こんなに貴重で面白い裏話をたくさん披露してくださったトークショー出演者の皆様、企画してくださったHondaの方々、ありがとうございます!!
(感謝せずにはいられないほど素晴らしいトークショーでした。)

Netflixドラマ「セナ」を観て感じたこと

次に、筆者が最近観て感涙したドラマ、「セナ」から感じた、彼が特別である理由をまとめてみます。

「ラテンの情熱」という言葉に感じてしまった「女は感情的」との共通点

賛否両論ある小見出しかな、とビクビクしつつ、ドラマを見ながらずっと感じていたことだったので書いてみます。
セナがフォーミュラカーでのレースに参戦し始めた当時(1983年イギリスF3で優勝、1984年F1デビュー)、
レースの世界はまだまだイギリスをはじめとするヨーロッパ勢が優勢で、南米出身ドライバーへの風当たりは強いものでした。
ドラマなのでどこまでが脚色かは判断できないものの、セナがアグレッシブなドライビングをする度に、メディアから「ラテンの血が騒いだ?」などとの質問を受ける場面が…
私はここで謎の親近感を覚えます。そう、ラテン=情熱的と女性=感情的という括りで纏められてしまう違和感と悔しさが似ているのではないかと…
ここで、「違うんだ!私はこう思うからこうなんだ!」と必死に反論しようものならそのステレオタイプを助長してしまうようで、
なんとも言えないもどかしさを覚えるあの感じ。
現代では南米やアジア出身ドライバーの活躍が当たり前に歓迎されるようになってきてはいますが、1980-1990年代を生きたセナは、ヨーロッパ人ドライバーとはまた違う苦労を味わってきたのだと思います。

1983年、イギリスのFormula3でチャンピオンシップをとったセナ(真ん中)。gettyimagesより引用。

そんな逆境の中でも諦めずに世界最高峰のF1の場で戦い続け、そこで世界王者になったセナの姿に、勇気づけられたファンは多かったのではないでしょうか。

とにかく「レース」が大好きなレーサー

次に感じたこと、それはセナはとにかく「レース」が大好きであったこと。宿命のライバル、プロストとの確執を描いた場面では、ルールや制度、交渉力を駆使して勝利を手にするプロストに対し、
とにかく最後まで諦めずに車を走らせ続け、レースを完走しようとするセナの姿が印象的でした。
こちらもどこまでがドラマの演出なのかは判断できかねるものの、コース上で走って勝負したい、その上で勝ちたい、というセナの純粋な情熱と
どれほど不遇な状況にあっても信念を貫く姿は、多くのファンを惹きつけたのではないかと思います。

1989年鈴鹿、バッチバチのセナとプロストがクラッシュ。その後の流れも大きな物議を醸した歴史的瞬間です。gettyimagesより引用。

まとめ

まだまだトークショーを聞いて、ドラマを見ただけの浅いセナ歴である筆者ですが、すでに彼の虜になりつつあります。
この記事を読んでくださっている皆様は、セナの現役時代を知っていらっしゃる方々でしょうか、それとも私のように最近になって興味を持たれた方々でしょうか。
いずれにせよ、過去を遡って当時に思いを馳せることができるのもF1の醍醐味。
感想などいただけたらとっても嬉しいです。今回も読んでいただきありがとうございました!

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