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コンクリートジャングル・シンドローム

「れいわ一揆」という原一男監督のドキュメンタリー映画で観ることが出来ますが、安冨あゆみさんが2019年に馬を連れた選挙活動を展開しました。
渋谷のスクランブル交差点や東京駅を馬を連れて練り歩きました。動物愛護団体から「馬がかわいそうだ!虐待だ!」とSNSなどで非難囂囂となりました。それに対し安冨さんは「動物がかわいそうなら、この街で暮らしている人間もかわいそうなんじゃないでしょうか」という趣旨の返答をしておられました。安冨さんの言葉「人間は愚かな猿です」…。

あらゆる生き物の頂点に君臨したかのように見え、複雑な文明を次々と発展させてきたと錯覚している人間。いまいちど、サルとしての自分の欲求に立ち返ってみたら…その視点は私にとって目から鱗でした。
人智学を学んでいても、やたらと神の似姿としての人間と動物を区別したがるのです、「言葉を持つ人間としての被造物に対する使命が…云々」それはよくわかりますが、戦争を繰り返す、動物以下であまりにも悲惨な人間のありようを見たら、愚かな猿として捉えなおす方が現実味があります。

映画「れいわ一揆」のもう一人の最重要人物である音楽家の片岡祐介さんは、私の周辺のスピリチュアルにハマってる人たちのありようを聞いてこう仰いました「都会の人によくある感じだね」と。私の中でその言葉がこだましています。
スピリチュアルそして陰謀論とネトウヨ、もしかしてその元凶にこのコンクリートジャングルの街があるのかもしれない。元凶というより、街が人の精神をあらわしているだけなのかもしれないけど。
そこでそのへんの心の弱さをひっくるめて”コンクリートジャングル・シンドローム”と名付けてみました。

私はコンクリートジャングル・シンドロームのど真ん中、患っている人間です。絵本作家で庭師でもあるターシャ・テューダーの怖い言葉があります。「怠け者の手は、悪魔の遊び場」…田舎に住んでいると家や周辺のメンテナンスなど毎日たくさんやることがあって、生きるために多くのことをします。尊敬する阿蘇の森のケンゴマンさんのオフグリット生活やアーミッシュの暮らしみたいな。
私はずっとコンクリートジャングルで育って、子供のころから抑うつ状態です。手の動かし方を知らないし、手を動かす元気ももうないのです。
そういう人が、オカルトを必要とするのではないかな、と思いました。コンクリートジャングルのなかでイマジネーションが死んでしまい、最後にすがるのがオカルトなのかもと。リアリティとイマジネーションを結びつけるやり方が、もうわからなくなってしまったので、オカルトの力を借りてやろうとするのです。気が狂わないために。いや、もう気は狂っているのだけれども。
そして頭で考えていてもわからないから、きっと踊るしかないのだと思います。

安冨歩さんが大阪の堺での演説で仰いました「コンクリートを剝がしましょう」深い名言だと思います。

(写真は映画の宣材写真から拝借しました)

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