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最愛の母を失った経験とEuphoria

2019年頃から、ママが顔に湿疹ができること、疲れやすくなったこと、胃が痛いことを時々口に出すようになった。キャリアウーマンのママが好きな一方で、かまってもらえないことが嫌でもあったから、これを機に少しでも仕事する時間を減らして、おいしいご飯を作ってくれたらいいな、一緒に買い物に行けたらいいな、社会人に成り立ての私の鬱憤を晴らしてくれたらいいなと思っていた。

病院嫌いだったママはめんどくさそうに家の近くの病院に行った。原因不明と診断され、「ほら、働きすぎだからだよ〜」と私は言った。まためんどくさそうに大学病院に行くと「なんちゃらなんちゃら難病」と診断された。

難病か、まぁ死ぬ病気じゃないならよかったねと安堵した。ただ、完治することはできないと知り、かまってもらえる時間が増えるわけではないんだなとがっかりした。まさか数ヶ月後一生会えなくなるとは知らず。

2020年春にコロナが流行し始めた。
ひと月に数回、ママの料理を食べに帰省していた私からしたらいい迷惑だった。一人暮らしをしていたし、お小遣いをもらえに帰れない不満ばっかりを考えていた。

万が一ウイルスを実家に持って帰ったらママだけじゃなくてパパにも危険をもたらす。そうやって、半年以上帰省しない日々を過ごした。友達と楽しく過ごしていたから平気だった。

ママがちょくちょく入院してることを知った。入院するなんて大丈夫なの?ママはもしかして健康じゃないの?と不安を感じるようになった。事実ママは健康じゃなかったし、痩せていた。そんな中、自撮りを送ってきたり、ネットショッピングを楽しんでいたりするいつも通りのママがまだいた。

元気だと信じたい私、
元気だと上手く騙したいママ。

LINEの返事が遅くなったり、入院期間が伸びたりと、嫌な予感だった。
2020年7月、家族ラインにママからメッセージが来た。「あなたが病気とか怪我しても、ママは駆けつけられないから気をつけてね」と。変なスタンプと一緒に、「元気だよ〜」とその日のお昼ご飯の写真を送った。

2020年7月末、
また家族ラインにママからメッセージが来た。
「実は癌らしいわ。難病と重なっちゃって完治する治療法はないみたい。とりあえず大きい病院に移ることになった。すごく暇、家に帰りたい」こんな内容だった。

今すぐ会いに行きたいと言うと、今はコロナでお見舞いのルールも厳しいし、すぐ退院できるから焦って帰ってこなくて大丈夫よと言われた。そっか。すぐ退院できるのか、よかった。と思った。まさか死なないよね?と心配になったけど、まだ騙されていたくて聞けなかった。余命なんて言葉は絶対に口に出せなかった。

ママは退院してもすぐ病院に戻される生活をしていた。お酒好きのパパはいつでも駆けつけられるように、暫くお酒を飲んでいないことを知った。

「まだ大丈夫」と思う時、「もう大丈夫じゃないかも」と思う時が続き、一人暮らしの家で泣きじゃくるようになった。ママに会いたくて仕方がなかった。(現にこの文章を書いてる今もその時の感情を思い出して涙が出る)

寿命が後5年くらいかも。娘二人の結婚式にも出れないかも。早くいい人見つけて。とママが口にしたことがあった。5年ってことは私は30歳直前。絶対にママ無しでは生きていけないからそんなのは嫌だ!と事実を否定して、寂しいよと涙を流すことしかできなかった。

その数週間後、ママは家族全員と手を握りながら、苦しそうに亡くなった。
人が死ぬ瞬間を初めて見たからか、こんなにも苦しくて痛そうなんだと思わず客観視した。大好きなママが苦しそうだ。こんなの尋問だ。早く解放させてあげたいとも思えた。

冷たくなったママの横に寝転び、大好きだよ会いたいよ話したいよと泣きじゃくり、お葬式の準備が始まった。全部が早かった。なにが起きてるのか分からず空き地でタバコを5本くらい吸った。友達にLINEした。くるりのリバーをひたすら連続で聴いた。

このできごとを機に、私はこれまで感じたことがなかった孤独さを肌で感じるようになった。最愛の人を失った気持ち、これ以上に人を愛せることができないという確信、一緒に死にたかったという絶望に包まれる日々を過ごした。大型バスに轢かれて全て忘れたいと幾度なく思い、ママと話す夢を見て涙を流しながら目覚める朝を繰り返した。

最近「Euphoria」というドラマを観た。主役のルーは父の死に向き合えず、ドラッグに浸り、家族と友人を傷付けることによって自分もグサグサに傷つけていた。ルーは、「父の死を正当化されているようで、全ての出来事には理由があると言われることが嫌だ」と口にした。

このシーンを見た時に私は共感した。なぜこの世界はママを殺すことにしたのだろうかと疑問に思うことは何度もあった。

だけど、3年経った今、ママの死を理解して、消化できるようになった。私は変わった。人格が変わった。強くなった。今ママに会ったら、大人になったねと言われるのだろうか。もっと好きなように生きなさいと言われるのだろうか。

母を失う経験をする年齢によって感じるもの、与えられるものが違うんだろう。自分が50代の時に母を失うのと、20代の時に失うのとではまるっきり感じるものが違うはずだ。20代後半のうちに強くなれて良かった。

今の自分がすごく好きだ。数年前より随分好きだ。これも全てママの死のおかげだったのかもしれない。だから、ママの死に理由があるならば、私が強くなり、今の人格になることだったのかもしれない。理由なんてないだろうと思いながらもそう考えるようになった。


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