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43歳オバサン。いつまで反抗期してるつもりだ問題

つい先日、自分はなんて傲慢な人間なのだろうと、思い当たった。そこから考えた。

まずは、傲慢という言葉の意味。

おごりたかぶって、人をあなどること。

人を見下して、礼儀を欠くこと、またそのさま。とある。

ふむ。わたしは傲慢だ。それは、他人に対してそうなだけではなくて、私自身に対してゴーマンであるとも思う。

おごりたかぶって「わたし」をあなどること。

「わたし」を見下して、礼儀を欠くこと、またそのさま。

これであれば、だいぶしっくりくる。私は「わたし」を見下している。

何かができる「力」があると思っているけれど、本当は「力」が無いことを知っていて、それを認めたくないんでしょ?と自分を常に見下している。

認めるとどうなるかというと、認めたら前に進まなければならないから。自分の足で、自分の力で。そして進んだら、自分に力が無いことがバレてしまうから。バレたら恥ずかしいから。と思っているんだろうなと、思う。

コレはいわゆる「中二病」で「極度のメンヘラ」。

俗に言う反抗期

思い返せば、わたしはこれといった反抗期がなかったように自分では考えている。周りの子が「親を嫌い」と言っていたら、私はそんなことないと意地を張っていたように思う。本当は親が嫌いだ。

ずっと嫌いと言ってはいけない気がしていた。

親のことは好きでなければならないと思っていた。

中学のころ、「金で解決できるなら安いものだ」と言われたことが、記憶にある。「金が全ての金の亡者、なんて心が無い冷徹な人間なんだ!」と、思ったが、それでも親を嫌いと思ってはいけないと考えていた。(少し大人になった今なら分かる。世の中には、金で解決出来ない問題が多すぎる)

またあるときは、恋愛に明け暮れる私を「あんた、なんかおかしいんじゃないの?」と言われたことも。その時はそう言われて、わたしがおかしいの?と自分自身を疑ったりもした。

ここまで書いてみて思ったが、十分反抗期やってんなぁ。なのに、それに気付かず「反抗期やってない」なんて都合よく考えてるあたり傲慢だ。

何よりも、反抗期が未だに続いているのでは?と、気付く43歳の春。

あぁ…オバサンいつまでやってんだよ。いい加減にしろよわたし。

何より、反抗期ってヤツは、親が居ればこそできる甘ったれなワケで。。。

年老いた両親を見て突きつけられる現実に、自分はいったい、いつ大人になったんだろう?と、考えてしまう。少なくとも、私の思う大人にはなれていないように考えていた。大人って、もっと大人で。自立してて、結婚してて、子どももいて、働いていて、車を買って、家を買って、ローンを払って…etc...あれ?わたしやってる…ということは自分の思う大人は一旦クリアしているわけだ。それなのに、まだ親を越えられないし、越えたくないし。そうか、年老いた親を見たくないのかも。弱っていく親を受け入れたくない。親はいつだって、張り切って働いていて、豪快で、生命力に溢れていて…それはもう、多分20年位前がピークだった。私が結婚して子育てをしているこの20年の間に、親はだいぶ年を取った。特にここ最近は、物理的な距離ができたこともあって、発言も弱くなりつつある。今度は、私が親を支える番なのかもしれない。そして、それはいずれ来る別れを意味している。覚悟が問われているのだろう。このまま、わかり合えずに、終わっていいのか?と。


わたしは十分恵まれて生きてきた。けど、満たされない思いもあった。もっとお母さんと話したかったし、もっと私だけを見て欲しかった。いつもお兄ちゃんやお姉ちゃんのことが優先で、いつもわたしはひとりぼっち。誰も私の言うことになんて耳を貸さない。お父さんの機嫌をみて、お母さんの忙しさに遠慮して、お兄ちゃんのカンシャクが起こらないように、お姉ちゃんに迷惑をかけないように、ずっとずっと気を配ってきた。けど、それは、もしかしたら、違うやりかたのほうが良かったのかもしれないな。自分も家族の一員だと、もっと思いたかったし、私がいることで家族みんなが嬉しい、幸せって思ってもらいたかった。だから、おどけてみせたり、遠慮してみたり、良い子ぶってみたり、悪さをしてみたりしたけど、ちゃんと自分と正面から向き合ってくれる人はいなかったな。いつもどこかはぐらかされていたような、そんな感じ。だから、きちんと叱ってくれる大人は、いなかったな。お父さんが感情にまかせて怒鳴るのを見てるのは、怖かったな。それよりも、笑いながら怒ってる時も、怖かったな。本当の感情はどこにあるんだろう?人って怖いなと思った始まりの一つかもしれないな。だから、自分もまねしていたのかも。感情にフタをすることを。自分の機嫌を自分で取れない、まるで子どもが駄々をこねているような、そんな幼稚な大人になっている。それは、親のせい、わたしじゃない。親の育て方に間違いがあったからでしょ、と。いいお手本が無かったから、分からなかっただけ。わたしのせいじゃない。こんな風なわたしになったのも、わたしのせいじゃない。

一体、いつまで人のせいにして生きていくんだろう?


現実を、事実を、いい加減見ようよ。

頑張ってやってきたことも、あったじゃないか。

幸せなだけじゃなくて、苦労したことも、あったじゃないか。

出来なかったことも、そして、出来たことも、あったじゃないか。

いつまでも傲慢だ、反抗期だ、といってないで。十分大人になった今、わたしはいつまで、出来ない自分を演じたいのか。いい人と思われたいし、いいところもあると思う。強がってるところもあるけど、ホントは弱いわたしもいる。守りたいものもある。幼稚な自分もいるし、ふざけるときも多いけど、本当は人一倍真面目な面もある。一生懸命やったことだってあったし、それが報われないことだってあった。報われなかったからって、その努力が無かったことにはならないはずだ。がんばった私はかっこうわるい?難なく出来た方がかっこいい?誰を目指して、何になりたくて、生きているのだろう?

わたしが生きられるのは、他の誰でも無い、わたしの人生だけなのに。


親は、こんな私を、どう思うかな?

っていうより、どんなわたしでも、受け入れてくれるのかな。

どんなわたしでも、愛してくれる?ずっとそれを試してきたけど、その答えは、とっくに出ていた。

いつだってわたしは愛されていたし、いつだってわたしは守られていた。今もまだ、これからもずっと。

それを受け取らずに生きていくのは、イヤだなぁ。

例えばこれは、自分が親の立場だったとして。

こどもにこんな風に言われたら、

「ばか!お前のことだけをずっとあいしている」と、正座&説教もんだ。

いい加減分かれよ。いい加減受け取れよ。いい加減素直になれよ。


反抗期には終わりがあるのだろうか?

反抗期の終わりは「脳の成熟」によってもたらされるという。

成熟を促すには、色々な方法がある。時をただ待つだけではなく、自分から問題解決に立ち向かっていくことも時には必要なのでは?と思う。今回、こんな風にグルグルと考えることが出来たのは、一緒に学んだ友人達のおかげである。色んな視点から、わたしを見せてくれてありがとう。とても一人では辿り着けなかったと思う。

大人の反抗期、やっかいです。一人での解決は難しい!経験者であるわたしと一緒に、解決していきませんか。個人セッション受付中。



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