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ガンが分かったから、思い出を作るのではなく、そんなことがなくたって、旅行に行ける関係でありたい。


「元気なうちに、親戚一同集まってどっか近場でもいいんだけど、
 一泊旅行でもして、思い出作ってあげたいなと思うんだけど。」

ホント、男って弱いよなと思う。
母のガンが肝臓や骨、リンパに転移していると分かってから、
父も兄もあきらかに狼狽えていた。
病院でボイスレコーダーを回し、先生からの説明を父、兄、姉にも共有。
4年前の乳がんが再発&転移。
何度聞いても、この事実は変わらない。
80歳という年齢を考えても、この4年間、何事もなく、
(この場合の何事もなく、は、本当の意味ではない。多分普通の生活を出来ていたということ)
生活をし、あちこち旅行に出かけたり、都内の病院に通院したり。
本人は、至って元気(!)に、生活をしていた。
それを考えたら、最初の乳がんの手術は成功と言えるでしょう、と。
けれどリンパの部分に出来ていたガンはすべては取り切れなかったと言われていた。
なので、こうなることは、おおよそ分かっていた、、とも言える。
ただ、本人が至って元気(!)なだけに、こちら側が勘違いしてしまいそうになるのだ。
「お母さんは、ずっと元気で生きている」と。

こういう時、男と女の違いが出てくるのか?と思うのだ。
例えば、私は子どもを2人産んでいる。なので、
「生(せい)」を体験しているとも言える。
自分で育み、生(せい)を感じた。この体験は大きい。
生まれたら、必ず死ぬ。
だから、その寿命を全うするまで、どう生きていくか、なのだ。

病院の先生からも言われていたのが「ご年齢のこともありますし」。
なので積極的な「治療」は、しない。

そう。なんといっても「ご高齢」である。
何事もなく生きていても、結構な確率で別れが近い年齢である。
いつ何があってもおかしくないのだ。

生きているうちに聞いておけば良かった、
もっと話しておけば良かった、と後悔している友人の話を聞いたこともある。
ここ数年、私は、私が後悔しないように親に会おうと、決めた。
おもしろくないことだってあるし、言われたくないことだってある。
せいぜい一緒に過ごせる時間は48時間が限界。
それ以上だと、私は自分の心が重くなってしまうので、
無理をしないことにした。
私が笑顔でなくなったら、お互いに不幸だと思うし、
無理をして、親と一緒に過ごして、喧嘩別れにでもなろうものなら…。
本末転倒とは、まさにこのこと。
私は絶対にそれはしたくない。
だから、距離感を大事にした。

母は、元気だ。
だけど、その身体はあちこちガンに蝕まれている。
痛くも痒くもない、という。
だから、調べなければ、分からなかった。
知りたくなかった。
知らずにこのまま、老衰で亡くなるものだと、思っていた。
だけど、知ってしまったら戻れない。
いつどうなるのだろう?死がじわじわと迫ってくる恐怖は、私には計り知れない。

でも「今この瞬間」に目を向けると、生きているのだ。昨日と変わらずに。
昨日と、今日で、何が変わった?
変わっているものなんて、なにもないはずなのに。。。

なのに、父も兄も、腫れ物を触るような、
「お母さんは、もうすぐ…」なんて、哀れんでいるような言動。
全てがよそよそしい。明らかにおかしい。

そして冒頭の発言だ。
「思い出作り」ってなに?
怒りを通り越して呆れる。
一体「誰の」思い出作りなんだろう?
母を、母の気持ちを、母の尊厳を、置いてけぼりにしてないか?
あまりにも自己中心的ではないのか?
どこまで自分勝手なヤツなんだと。
そんなこと、ずっとしとけよ、と思うのだ。
年齢を考えたって、常日頃からそれに備えておく「べき!」だと。

「ずっと元気なお母さん」は、年をとる。
当たり前のことだ。
元気なお母さんは、実は元気じゃなかったこともあった。
年を取れば、弱くもなるし、小さくもなる。
「ずっと」は無いし、今までだって、弱かったこともあったのだ。
だけど、男の前では強く見せる、それが母。
息子の前ではいつでも「元気なお母さん」を演じるのだ。
それを見抜けない息子…
ったく、いつまでも甘ったれてんじゃねーよ!と、私は喝を入れたくなる。

お母さんがいつまでも元気なのは、男がみている幻想だ。
こうであってほしい、という願望なだけ。
そんなものを抱くんじゃねー!と、声を大にして言いたい。
そんなものを抱えているから、急にうろたえるのだ。
強いところもあって、弱いところもある。
病気にならない母なんて、いないのだ。
だけど、お母さんはいつだって元気!の思考しかない男には、
それが受け入れられない。
だから、急に「思い出作り」なんて安易で幼稚で自己中心的な発言が出るのだろう。
いつも思っとけよ。それか一生思い出作りしとけ。

もし、私だったら・・・
自分の望む時に、望む場所に、その時一緒に居たい人と、行きたい。
必ずしも、家族や親戚、そんなものにしばられなくたって、いいじゃないか。
そうじゃなくたって、女は、家に縛られて生きている。
母だって、そうだ。
長男の嫁として、何十年と、家や家族に尽くしてきた。
40歳を過ぎて一念発起して取得した国家資格。
これがあったから、父と一緒に商売をやってこれた。
母が小さい頃想像していた人生と、もしかしたら違っていたのかもしれない。
だけど、いつだって母は、自分の信念を通してきた。
わがままで、強気で、がんばりやさんで、厳しくて優しい人。
それがわたしの母。
自分のことは、自分で決める。そういう人なのだ。

だから、それが最後だろうが、最後じゃなかろうが、
きっと彼女の好きにするはず。
私にできることは、その時々で、私に無理のない範囲で、
手伝えることを、するだけ。
過剰に反応しない。
淡々と。
今日も、明日も、特別なことはしなくてもいいと思っている。
日々を過ごすこと。
それが続くこと。

どうか、母が穏やかに、過ごせますように。
そう祈るだけなのだ。

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