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フェアな社会

人はフェアな社会を望みつつ本当はアンフェアな社会を受け入れている。そう思うようになったきっかけは、下記の動画を見てからだ。

大好きな落合さんの『耳で聴かない音楽会』について密着者た動画です。

概要というか、『耳で聴かない音楽会』は下記のページを見たらなんとなくわかるかな。

人は公平な社会は求めるのに平等な世界は求めないように見えます。

平等はそれぞれに行き渡るように1つの問題を分散して処理するのに対し、公平は適材適所な考えでできる人には多くやってもらいその分報酬も多く与える。得意不得意の溝を減らし合い、チームで補完しあうようなイメージです。

おそらくこの考えが、仕事の重み田や期待値が人によって異なり、「私はあの人よりこんなに頑張っているのに・・・」や「もっと、私の待遇を上げろ・・・」といった社会批判につながります。

どちらもあり得ますが、補完し合うための公平性が、できる人できない人というようなカテゴリー分けによって生じる問題というのは意外と私たちが思っているより闇の深い問題なのです。

また、『健常者』と『障がい者』についてもそうなのですが、人より劣っている部分を卑下してしまうことや、一定のカテゴライズされたコミュニティから逸脱していることに対して、立場をしたとしてみるのは同じ人類としては楽しくないです。上記の『耳で聴かない音楽会』はそういった現代だからこそ、誰でも楽しめるダイバーシティ(多様性)を広げた取り組みとなっています。

また、菜食主義のヴィーガンについて最近面白い記事を発見しました。ヴィーガンの中にも肉を宗教上の理由でたべれなかったち、肉がたべれないことで友好関係をうまく築けいないといった問題も生じているのは確かです。

日本ではまだ流れは来ていませんが、近い将来こうしたメニューも確実に増えてくるでしょう。よく、マグロやタイの養殖が天然物と見分けがつかないと、むしろ養殖の方が美味しいと言われている昨今ですが、いずれ肉に関しても、肉そのものから肉というものを生成しない技術が確立されるはずです。

その『食』の常識は変わります、アレルギーで味わうことのできなかった食材がまたたべれるようになったり、宗教上の理由で食べることのできなかった食材がたべれるようになるのです。

だからこそ、人はテクノロジーという方法を使って新しいことに挑戦し続けます。

フェアな社会を考える。今の日本には近代の凝り固まった観念をぶっ壊す時なのかもしれませんね。

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