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だから、春馬君は生きている👍人は忘れられた時…本当に死ぬ。

前回までに、YouTuberのイチベイさんやかめちゃんの情報から、どうやら三浦春馬君は生きているかもしれないと言うことをここに書いたけれど…

闇雲にそれが真実だと言っている訳ではなく、それは、最終的には真実を知っている人達にしかわからないのだと思う。

この世の中には、明かされないことが山ほどあって…私たちが信じている世界そのものが嘘に満ち溢れているのであるから。その人によって、同じ時代に生きていたとしても、見えている世界はまるで違うのだ。個人にカスタマイズされた世界が目の前で繰り広げられている訳なんだよね〜💦

世の中の誰でも知っていて認識されていることであっても、本当の事だとは限らないし…大多数の人が言っていてるからとか、権威のある人物が言っているからとか、有名人が言っているからとか、大きな企業が言っているからとか、政府が言っているからとか、例を挙げればキリがないけど、それはなんの証明にもならない。

だから、少数意見だから間違っていると判断するのもおかしいし、無名の人が言っているだけだからとか、ただの一般人が言っているだけからとか、無名の企業が言っているだけだとか…それが間違っているとも限らない。

そう言う風に考えると、真実を追い求めて行っても、なんのプラスにもならず、むしろ、自分自身の事を考える時間が減ってしまう分、自分に向き合う時間がなくなってしまうと言う風にも考えられる。偶像崇拝、他人軸に偏る訳だ。物事は、こだわって突き詰めるよりも、風景として受け流す潔さも必要なのかもしれない。

私達は、肉体が滅びて、息をしなくなり、心臓が止まってしまって生体活動が終わった瞬間を死と捉えているが…果たして、そこで終わりなのだろうか?!肉体に魂が宿り、肉体が滅びても何も変わらず魂が存在するとしたら?!

死は怖いもので、死んでしまえば何もかもが終わってしまって、死は悪いもので生きていることのみが最善なのだろうか?!

人間が肉体の死を迎える時、どんなに悲惨な死に方で、肉体は苦悶の表情を浮かべていたとしても、実は、快楽ホルモンが分泌されるので、苦しみはなくて、逆に今までに経験した事のないほど気持ちが良いのだと聞く。

死は怖いもので、死んだらおしまいと思わせて置いたほうが、支配する側としては、それを脅しに使えるのだから、そう言う思考になるように思わされているとも考えられる。

人間は、恐怖を煽られると弱いし、本意でなくても従ってしまう傾向にある。それは、過去の歴史をみても明らかで、人間の想像力は…毒にも薬にもなると言う訳だ。実際に起こっていなくても、起こったと想像してしまうから怖いのだから。

さて、ここに死について述べたのは、春馬君が死んでいると確信したからではなく、単に私個人の死生観を述べたに過ぎない。

いろんな可能性を考えた時に、私がどのように考えて、そう思うかの根拠を示したかったのである。

例えこの世に肉体として存在をしていないのだとしても、ファンはもちろんのこと、今回の事件で、強烈なインパクトを与えられた多くの人々の集合意識の中に、彼の存在が刻み込まれて、今も生きていると思えるから。

全てが計画されて進められているかの如く…2020年7月のあの日以後も、本人が不在にもかかわらず、彼の作品が次々と世の中に出され続けて行った経緯が、何かを物語っているようにもとれるから悩ましい。

顔が変わっていようが、どんな暮らしをしていようが、春馬君が幸せならそれで良いと言う気持ちは、未だに揺るがない。

それに、みんなの記憶の中に、その存在が燦然と輝いている以上、三浦春馬は今もなお生きている👍そう思う。

人間の本当の死は、その存在を知る人が居なくなった時、初めて訪れるのだから。

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