定義と情報、そして方程式
本日、42回目の誕生日を迎えた我が家の旦那様の誕生日プレゼントが届きました。
いつもは一緒に買い物に行くのですが、今年は外出せず、ネットで購入。こんな時にも荷物を届けてくれて誕生日の喜びを感じさせてくれる配達業者の方には本当に感謝です。
到着したプレゼントは前から欲しがっていたタブレット。
我が家にはiPadがあるのですが、これはほとんど私が仕事で持ち歩いてしまっているのと、旦那様が持ち歩くには少々大きいと思っていたそうで、コンパクトなサイズのタブレットを長年欲しがっていました。
というわけで、今年は在宅ワークで頑張っている旦那様用にタブレットを購入。
思った以上に喜んでくれました(*^◯^*)
そして、知人からもらったちょっと珍しいコーヒーを挽き、早速届いたタブレットに夢中の旦那様にそっと出したところ。
「あれ?これ、コーヒー???」
確かに珍しいコーヒーではあったものの、色や香りは確かにコーヒー。商品表示を確認したがやはりコーヒー豆。確認した上で『コーヒーだよ』 と回答した時に思ったこと。
なんで旦那様は確認したのだろう。
旦那様の頭の中には、一般的なコーヒーである「コーヒーの木の種子(いわゆるコーヒー豆)を焙煎し、砕いて、湯や水で抽出した飲み物」という【定義】があり、コーヒーの色や香りは「濃いめの茶色や黒っぽい色をして、香ばしい香り」という自分自身が見たり味わった体験や人から聞いた【その他付随した情報】を掛け合わせた【方程式】でコーヒーと判断している。
今までの情報と異なると人は「ん?」と思う。
そう考えると、すべてのものは今まで生まれて育ってきた過程の中で覚えた、定義とそれに付随する情報を組み合わせた方程式でできているじゃないか!
…と当たり前のことなのですが、なんだかすごいことでも発見したような気になり、無性に感動した今日。
どんなことも、決め事=定義がないと何も話はできないし、伝わらない。
しかし、一歩間違えれば変な価値観が出てしまう。個人的な「主観」が混在した単なる価値観で作り上げた「方程式もどき」。
事実を定義づけするのはいいのだが、個人の主観満開の方程式もどき話は成長を止める。(ような気がする。)
例えば、私の仕事で言えば「お金をかけることが綺麗な肌を作る」といっ方程式もどき(もはや羨ましさの塊の方程式)を言う実際行動に出ていない人は、「お金がなければ綺麗になれない」という誤った方向に走り、ともすれば、「お金がないから綺麗になれなくても仕方ない」という、限界点・目標が下がりやすくなる。というか、やらない言い訳をするようになる。
いくらお金をかけてエステを受けても高級な化粧品を使用しても食生活や睡眠時間、お手入れ方法などその他条件が最悪であれば肌は綺麗にならないし、高い化粧品でも中身を知らず粗悪品を使っていたらそもそも効果に繋がりにくい。身体に優しく健康的な生活や正しい知識を得ることで肌は格段に綺麗になる。
私の子供の頃の話なのですが、今思い返せば恐ろしい方程式もどきの話。
子供の頃から化粧品が好きだった私は、将来自分のブランドの化粧品を作る!と、夢の話を周囲の大人に話したところ「どうせ無理だよ」という言葉が返って来たことがる。
この回答を返して来た大人に理由を聞くと「そういう夢を叶えられるにはルールがあって、お金持ちで才能があって頭がいい人しか実現しないと決まってる。そんな時間の無駄なことを考えるより現実的なことを考えなさい」という意味不明な回答で、「そうなのか?」と首をひねりながらなんとなく時がすぎた。
これは、今思えば他人が勝手な主観でできた方程式に私を当てはめて「無理」と判断したのだと振り返って思う。(今進んでるからw)
私の周りの主観的で否定的な意味不明な方程式もどきな事を言う人は、実際には自分は未経験な人が多かった。おそらく真っ向から否定的なことを言う人は情報と思いこみだけで実際は未経験がほとんどではないかと思う。
どちらかと言うとやらない(やらなくていい)言い訳探しに見える。
勿論経験済みでアドバイスを沢山してくれる人も勿論いたが、アドバイスをしてくれる人はそもそも真っ向から否定はしない人が多かった。
〜方程式もどきや主観情報というのは、人の可能性を取り上げてしまう怖い行動なんじゃないか〜
私がこれからしたい事は色々な壁があるかもしれないし、挫けそうになることもあるかもしれない。
今は在宅ワークや外出自粛もあり情報が欠かせない状況で、少なくとも可能性を失う方程式や情報を入れることも発信することも避けていきたいなと思う。
旦那様のコーヒーから思ったことでしたw
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?