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便利と不便

在宅ワークやWEB授業など、ここ最近急速に色々なものが「便利」になってきました。

欲しい情報はある程度のことなら現地に行かずともネットですぐに調べることができ、ネットが普及しなかったら会うことがなかった人々とも繋がることができる世の中。

そして私の親世代では叶わなかったビジネスチャンスや勉強の機会、多くの才能が世の中に出しやすくなっている。

可能性が無限に広がり、限界なんてほとんど無いんじゃないかと思うくらいの世界。反面、便利なことと不便なことが紙一重だという昭和生まれの完全個人的感想です。

■ふと


こんなことを最初に思ったのは今から25年くらい前。

当時私が所有していたのはPHSだったけれど、電話を携帯しているということに大人な気分だった。
今まで友人と待ち合わせは「●時に●●駅の●●口の前にある●●の前で待っててね」と場所と時間を細かく指定していた。

それが、電話を携帯することで電波さえあれば連絡がつくようになり「●時くらいに●●のあたりで待っていてね。着いたら電話するね」といった曖昧な約束に変わっていった。
(心の中で勝手に「ふんわり待ち合わせ」と読んでいたw)

一歩外に出たら相手と会えるまで、相手の乗っている電車が遅れようが約束の場所で待っていた頃と、遅れることがあったら他の場所で時間を潰せることに違和感を感じるようになった。

■便利になると共に起きた気持ちの変化

曖昧な「ふんわり待ち合わせ」が日常になりつつあった頃。私の気持ちにも変化が出てきた。

「待ち合わせの場所を細かく把握してなくても、着いたら電話すればいい。」とか、「絶対にこの電車に乗らないと相手を待たせてしまうので」と思う回数が確実に減っていた。

私の場合ではあるけれど、連絡がつくのが便利になったものの、つかない方が相手を重んじて待ち合わせができていた。(ような気がする)

恋人関係でもそう。
固定電話での会話しか方法がなかった頃は相手の帰りが遅いと「仕事で疲れていないか」「何かあったんじゃないか」と心配の割合が多かった。
今はどこでも連絡がつくせいか、連絡がつかないとよからぬ疑惑が割合を占める。

生まれた頃から携帯電話のような便利なツールがある今の世代と、携帯電話がない時代からある時代に移行した私では違うが、なんだか、便利になればなるほど不便が紙一重だと感じている今日この頃。

まぁ、自分が希薄になるかならないかは自分次第なので、便利さに流される部分と流されない部分。

全て流されてしまうと、様々なツールを操作している側から操作されている側になりかねないので

バランスをとって、楽しみながら私なりに過ごしていきたい。

という、ちょっとした独り言。

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