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これからのAI界隈について言いたいこと

2023年の今年を振り返ると


とにかく世間は「現実を見ていない」と思えることばかりでした。

例えば去年、2022年12月では「絵柄に著作権は存在しない」「よほど元の絵と似ていないと著作権違反にはならない」という結論しか無かったのです。

ところがどうでしょうか。
俺が「そんならAIで似たような絵を出してやるか」と行動したら、
NHK、毎日新聞、ニコニコ静画、ありとあらゆるところが「AIの悪用」と扱われるではありませんか。

結局のところ、みんな何の具体的なイメージもなく、言葉だけで法律とかルールとかを語っていただけなのです。そしてそれは何の意味もありませんでした。


法律としては何も問題がない。

しかし「絵師さんが悲しんでいるよ!!!!」と叫べば白が黒になる。
じゃあ白が黒になったところで結局どういう結論になったのか?といえば「何の結論にもなっていない」。

推進の方向でも規制の方向でも、この国は何も進んでいない。

今年はAIに対する議論は進んでいない、
それどころか去年と比較すると後退すらしていると思います。



それはAI推進派も反対派も同様です。

NHKも毎日新聞も俺のことを大きく扱うというのなら、ちゃんと今後の議論に繋がるような話にしてほしいわけです。訴訟してきたSkebも現状具体的にはどういうことになっているのか何の話も出てきません。

今年の8月頃にSkebのなるがみは「SkebスタッフはAIイラストを目で見て判断できる」などと赤松健国会議員に豪語していましたが、それは今でも見解は変わらないのでしょうか?

Skebは納品されたイラストをスタッフが目視で確認しているなどというのはもう機能していないでしょう。スタッフがちゃんと目視でチェックしているというのなら、この1年間でSkebは「納品されたイラストはAIなのかそうでないのかの揉め事が一切なかった」なんて普通に考えてありえません。

文化庁は国民に対して何を言いたいのかすら伝わらない議論を続けており、AI推進派はいざ具体的な話になると曖昧な態度になり、AI規制派は規制をしろと叫ぶだけで具体的な中身は何もない。

今のところAIの技術に対しての議論というのは、もう中身のない「無」に近いのです。


議論が腐敗していく。

クリエイターたちは「AIを使っていると言わなきゃいい」と学んでしまったため、AIを巡る議論に参加する人間はこれからどんどん減ることになるでしょう。

よって議論の質は更に腐敗していくと思われます。

この1年間だけでも相当おかしくなっています。
AI推進派側が「絵柄を学習するのは危ない」などと主張しているのを何度も見ました。「無断学習をするな」というイラストレーターの主張に同意する者すら多数現れました。去年の2022年10月から12月あたりではほとんど見たこともない主張です。

そもそも絵を描いていない者たちにとって一番幸福な結論は「規制」です。
殺し合いではありません。

本来アーティストは殺し合いをやっているのです。
戦っていない者はそんな汚い現実を認めることなんてしません。

2024年はAIに夢見る者たちによる、
自主規制しろという主張が更に加速するでしょう。

MMD界隈も、界隈がある程度成長した辺りから急激におかしくなっていきました。「ローカル規約で.pmx拡張子変更禁止」など全く意味不明なオレオレ規約が蔓延し、それがいつの間にか当たり前になり、更におかしな主張を叫ぶ者が増加し、それをおかしいと思う者は姿を消し、やがて意味不明な主張しか出来ない狂人しか残りませんでした。

既にイラストAIの界隈でも同様の事例が発生しています。

問題は中国を始めとした海外では技術・規制の議論が進んでいることです。
日本国内が腐ったところで海外はまともにやっています。
更に日本という国は没落していくだけでしょう。
結局誰も具体的には何も考えていないのです。


もうおわりだね


個々で、先に進むか。止まるのか。


界隈というものが腐敗していく以上、
これから先は個々の話となるわけです。

元々アーティストというのは孤独な存在でした。

その孤独に戻り、先に進むのか。
先に進まない界隈に留まるのか。

アーティストとしては孤独に戻るしかありません。

「AIを使用しているのに一切AIを使用していないと主張する者が勝者」

そんなルールになってしまった以上は、そのルールに従い個々で孤独に戦うしかないのです。

考えれば考えるほどアタマがおかしくなりそうですが、現実に対応するしかありません。


Goodbye.


結論。


2023年、おわり。

ありがとうございました。