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「パフォーマー・ボディワーカー・セラピストのための"赤ちゃんの発達の動き"」のATMグループレッスンをすること

2023 「パフォーマー・ボディワーカー・セラピストのための"赤ちゃんの発達"の動き」の試み

今回、あたらしい試みとして、
パフォーマー・ボディワーカー・セラピストのかたがたを対象としてレッスンをおこなってみます。
トライアルモニターを募集していますので、
ぜひご参加いただきご感想にご協力いただけたらうれしいです。

わたしがフェルデンクライスをはじめたきっかけは、どうしてもダンスがうまくなりたかったから、でした。

わたしは、大学を卒業してから、いまはないのですが、パパ・タラフマラというパフォーマンスグループの研修生になって、真剣におどりはじめました。
とても遅い出発で、あまりに踊れなくて、
その当時あった、さまざまなからだに関係するWSに参加しました。
たとえば、まだその当時、日本に紹介されたばかりのピラティスのレッスン (まだ大きなマシーンをつかってやるスタイルでした!) に
なけなしのお金をつかって習いに通った記憶があります。

でもどこにいってもいわれたのは、
「とまるさん、もっとがんばってやってください」「根性がたりない」「必死になってください」という言葉でした。
もちろん、これは当時の時代的な背景もあるのですが〜 (今はもちろんだいぶ違いますよね)

「わたしはこれ以上なく限界にがんばってるのに、、なぜ?」と、ない頭をはてなマーク???でいっぱいにしながら、くるしくなったものです。
(わたしはお豆腐メンタルなので、その都度家に帰ってないていました 笑)

そして、あるときに西荻窪で、フェルデンクライスのグループレッスンを受けたのです。

そのときやったレッスンは、いまでも覚えています。
うつぶせで寝ころがって重ねた手の上で、わずかにあごを動かすというものでした。
しかもレッスンの間中
「がんばらないで〜」
「もっと動きを小さく〜」
といわれて、わたしはレッスンの間、あごをほとんど1ミリか2ミリしか動かさず、
「こんなことで、身体変わるはずないでしょ!」
という気もちでいっぱいだったんです。

ところが、終わったあとに立って、衝撃でした。
いままでやったどんなレッスンよりも、からだが変わっていたんです。
わたしが、わたしのからだ全体を把握したはじまりだったんだとおもいます。

それですぐその場で、フェルデンクライスの先生になるコース(ティーチャーズコース)にいくことを決めて、今にいたります 笑

フェルデンクライスを続けていき、
あとからこの体験を振り返ってみたときに、わかったことがあります。

わたしは、おどりはじめた当時、自分のからだの地図が希薄だったのだとおもいます。
もうすこしいうと、意識できているところが少なくて、無意識のところが多かった。
だから「がんばって」といわれると、意識できるところは最大限がんばって動かすのですけど、
無意識のところは動いていなくて、はためには、がんばってないようにみえたのだとおもいます。

その当時の自分の感覚の一端をおもいかえすと、
たとえば、上半身と下半身を別々のものと考えていて、ちぐはぐで、つながりを感じることができなかった。
足が地面をおして地面から力をうけて、その力がからだのなか(特に背骨)をとおりぬけて、動くことができる、天のほうにのびていくことができる、ということ、
それをイメージではなく、
フェルデンクライスのレッスンで、からだの実感をとおして感じることができるようになってから、
わたしは自分のからだをひとつの繋がりをもつものとして、感覚することができるようになったのだとおもいます。


わたしの未熟な体験のお話しで恥ずかしく、あてはまらないかたも多いとおもうのですが、
フェルデンクライス的に、無意識を意識化されたいかたはぜひいちど〜からだの初心のかたからベテランのかたまで〜ご参加いただけたらうれしいです✨
まだまだお話ししたいことはありますが、
今日はここまで〜☺︎

🍀レッスンのご予約・お申し込みはこちらからもどうぞ
https://rakuraku-feldenkrais2.peatix.com/










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