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そういえば、、、


その晩は

母はずいぶんと

元気がなさそーに見えた


・・・・・


夕焼けがきれいな頃


母がおむつの中に

う○ちをもらした(らしい)


ワタシクシは不在で

妻が取り替えた



妻に聞くと

「なんだか、反省してた」

らしい



その後、、、


「お風呂を沸かそうと思ったけど、、、」

とか


「洗濯物をたたもうと思ったけど、、、」

とか


家の中を

うろうろしてたらしい

(もちろん、どちらもできない)



ただ

迷惑を掛けたから

「なにかしなきゃ」

と、思っていたらしい


のである


(かわいい)


・・・・・


ボケた母は

「ものすごく明るくなった」


(たぶん、それが母の

 隠しきれない本質なのかもと思う)



正気だった頃の母は

とても先々まで心配する人だった


「○○になったら困るから、、、」


「○○にならないよーに、、、」


よく言われた



家のこと、子供のこと

夫のこと

すべてを先々まで考えて


まあまあ、しかめっ面の時が多かった気がする

(常に深刻で、常に先まで思いを巡らして)



それが、今は

「あーあ、なんにもできなくなっちゃって。ハハハ!」


かなり明るく能天気なのである


(そんな母を見てるのは

 コッチとしても気楽なのである)


・・・・・


ただ、

今回のう○ち漏らし事件で

ひとつのおもしろい事実が

透けて見える



かなり明るく能天気な母は

ワタクシの観察のモトの母であり



妻の目の前では

「社会的にちゃんとした思考を持っている母」

(つまり、以前の母)


ちゃんとした人としての、、、

振る舞いをしようとする母が在る


・・・・・



「失敗したら、落ち込んむ」

「深く反省する」

(のが、正しい姿)


なので、、、



「迷惑をかけないように」


「あー、迷惑を掛けちゃった」


「埋め合わせしなくちゃ」


的な

一般的なオトナとしての

振る舞いである


・・・・・


量子力学の「観察問題」


本来は「波」の性質があるのに

観察をすると「粒」の性質を持つ


とかいうのが、ある


つまり

観察者によって

「その振る舞いを変える」


とかいうやつである


・・・・・


量子としての私は


その観察者によって

振る舞いを変える


あたりまえで、自然で

それがオトナだ


(夏の暑い日に、60歳の男が

 あかちゃんと一緒になって

 公園の噴水でパンツ一丁で水遊びしてたら

 通報確実である)



誰かの視線を意識して

「その期待に応えて、ちゃんとしよーとする」のである


・・・・・



ワタクシにとって

意識する

その観察者は誰か?


だれの視線を気にしているか?



その視線に100%合わせて

振る舞おうとしてるか?

(合わせなければ、、、イケナイ)


その程度、その一択感


そんなところに

苦しみのもとが在るのかも知れない



とか、

思ったのである



でも、まー

基本的に


そうしてしまう、その行動が

「けなげで、かわいい」のである


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