見出し画像

AI時代の語学学習について思うこと

最近どうにもサボりがちになってしまいました。
バタバタしていたとはいえ、やりたいことを後回しにしてしまうのは良くないですね。取り戻したいと思います。

今日はちょっと話題を変えて、「AI時代の語学学習の必要性」についてです。

私も日頃からChatGPTをお供に語学学習に励んでいますが、「これだけAIで語学力をカバーできるなら、もう自分で学習する必要はないのではないか」という話はよく聞きます。

これに対しては、私の意見はこうです。

基本的な会話だけとか、「意味が分かれば良いレベル」に関しては、そうかもしれないと思います。

ですが、下記2点が問題かなと思います。

①自分オリジナルの表現をしたいと思う人」は、やっぱり自分で習得する必要はあるんじゃないだろうか。
⇒主に言葉を大切にしている人

②完全に知識がないと、『この表現おかしいかも?』というアンテナが働かないので、知らないうちに重大なミスをやらかす可能性があるのでは?
⇒主に仕事で使う人かな?

①について

日本語を書くときもそうですが、細部のニュアンスの違いって、個性が出ますよね。本来は違う意味の言葉を、「あえて」選択して使うっていうようなことも出来るし、こだわりぬいた、自分だけが納得する表現をすることもできます。

この辺りは、実用レベルというよりも、「創作」とか「自己表現」の話になると思いますが、これを外国語でしたいんなら、やっぱり自分でその言語の感覚を理解して使いこなすことが出来ないと、無理ですね。

AIでも十分伝わるし、良いものは出来ると思いますが、やっぱり自分の内面を完全にAIが理解して表現してくれるわけではないので(今後そんなことも出来るようになっちゃうのかもしれませんが)、「自分の言葉」を大切にして相手に伝えたいと思う人は、やっぱり学習して、自分の言葉を使うことって、必要だと思います。

②について

仕事などで外国語を使う場面も多いと思いますが、そういう時にAIを使って、全然見直しをしなくなると、「このニュアンスちょっと変に伝わる可能性があるんじゃない?」っていうアンテナが立たない可能性もあるんじゃないかな?と思います。

仕事で使う外国語に関しては、効率化の為にもAIを使うのは、すごく良いと思うんですよね。私も使いたいです。

でも、どうしても日本語とその言語のそもそもの思考体系の違い等で、原文の日本語をそのままキレイに翻訳することが難しい場合ってあると思うんですね(私はそこまで外国語スキルが高くはないので、推測ですけど)。

今ちょうど、洋書や日本語からの翻訳(英語版転スラ)をChatGPTに解説してもらいながら読んでいて特に思うんですけど、やっぱり日本語にはない感覚とか、日本語だと抽象的で済ませられる部分を、英語的な考えだと収まりが悪いのかな?とか、そういう違いがいろいろあるなー、と思ってるところなんですよね。

なので余計思うのかもしれませんが、AIを使ったとしても、「これって本当にこの表現で大ジョブなのかな?」と疑えるスキルは、最低限必要だと思います。

もちろん、もっともっと精度もあがるでしょうし、AIへの指示の出し方のレベルなどでカバーできる部分もあると思いますが、それでもやっぱり、最後の感覚って自分で判断しないと、危ないところはあるんじゃないかなと思います。

そうなると、結局のところ翻訳とか通訳の仕事って、すごくレベルが高い仕事をする人は、やっぱり必要だと思うんですよね。
その文化まで理解して、かゆいところに手が届くとか、それこそ空気を読んで「そのまま通訳したらまずいから、ここはぼかしておこう」みたいに判断してくれる人とか。

だから、語学力そのものはもちろん必要だけど、もっと必要なのって、「言語圏の文化の違いへの理解度」とか、その仕事のフィールドそれぞれで必要なことへの対応力なんじゃないかなと思います。

まとめ

①にしても②にしても、「ある程度伝われば良い」っていうだけなら、全然AIで良いと思います。多少は失敗しても良いとか、許されるという場面であれば。

ですが、「絶対に誤解をされたらダメ」なところとか、「純粋な語学力以外の力が必要な場面」では、やっぱり人間の手が必要だと思います。
人に頼んでもいいけど、結局は自分の感覚を鍛えるのが一番間違いなくて良いんじゃないかなと、個人的には思います。

あとは、その為の土台としても、やっぱり文学、国語の力ってすごく大事。
表現力とか語彙力って、結局はそこなので、国語である日本語で、そのあたりの幅が少ないと、AIの翻訳のニュアンスを「もっとこうして欲しい」っていうポイントに気付けないんじゃないかなと思います。

今日はこんな話題でした。
また今度は読書の続きをします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?