子どもたちが自分で人生決めるために

FEIS運営の稲澤です。

今回お話したいことは、子どもたちを自由にのびのびと、自立した人に育てるにはどうすればよいかというお話です。

1998年に「詰め込み教育」が批判されてゆとり教育が始まったころから、
子どもたちが自分の人生を自分で決められるように、という願いを、
学校の先生だけでなく、保護者の方も持ち始めてきました。

そしてその一方、ゆとり教育は学力低下を招くということや、受験戦争の激化によって、いわゆる「子育てママ」という、幼少期の頃から英才教育・エリート教育を子どもに受けさせる保護者も出てきました。

そんな中で、子どもたちの意思を尊重する教師・保護者の方は、子育てママたちに対抗するような形で、「何も押し付けない教育」というものをしてきました。これは、子どもたちがしたいことを自分で見つけてほしいという願いで、教育者の側は子供たちに何も強制させないというような教育です。


しかしこれは、本当に子どもたちに、自分の人生を自分で切り開こうとさせているのでしょうか。

教育の中で、虐待というのは一つの大きな問題です。これは、子どもを育てようとするあまり、感情があふれ出てしまい、子どもに手を挙げてしまうというものです。子どもをきちんと教育しようとして、子どもに強い強制力をかける、暴力をふるう。

形は少し違いますし、問題かどうかは個人によりますが、「子育てママ」はある種虐待の構図をとっているようにも思えます。幼少期から子どもに半ば無理やり勉強させることは子供たちの個性をなくす危険性を持っています。
この感覚は、恐らく多くの人が持っていることでしょう。


では、「何も押し付けない教育」はどのような構図をとっているのでしょうか。これは一見、何も暴力的でなく、のびのびとした理想の教育にも思えます。しかしこれは、同じく教育問題の中の1つである、ネグレクトと同じ行為となっている場合が多いです。
ここが、おそらく「何も押し付けない教育」を行っているひとが見落としがちなポイントです。何も押し付けないということは、親が誰であっても同じように子どもが育つということです。つまり、そのような最低限レベルの個性しか子どもは身に着けられない場合があるということです。
もちろん、その子がとてもアクティブであれば、親の力を借りなくとも成長できますが、そのためには、その子どもが、そのタイプであるかを見分ける必要があります。

本当に大切なのは、自分の子どもが、もしくは児童生徒が、どのようなタイプで、どのような段階(押しつぶされそうなのか何もされていないのか)にあって、どのような教育が適切かを考えることです。
もちろん、これ以外にも、教育を語る要素はあるので、子どもを見る際の一つの視点だと思ってもらえれば嬉しいです。


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