歩く

線維筋痛症/1回目克服闘病記2003~2009/twitterより箇条書き

① 線維筋痛症はステージや不完全型かにもよりますが、私が一度目発症したのが2003年7月。きっかけは事務所移転に伴う物理的環境の変化(特に床の硬さ)でしたが、それ以前に仕事上の大きなストレスを経験した後でしたから、一般的に言われるようにストレスとの関係も否定できないのかもしれません。

また、胆のう摘出後に筋痛症を発症する人も少なくないようですし、私も胆のう摘出した翌年に筋痛症になりました。

② 元々足腰は強い方でしたが、先ず教室事務所移転後3週間後に膝痛で立って授業が出来なくなり、次に腰にきて椅子に座ることが困難に。

以来2年間原因が分からず、色々な病院であらゆる病名をつけられ遺伝子検査までしましたが原因が分からずで痛みに苦しむのみの地獄のような日々。

発症後、自宅も引っ越したのですが、引っ越し先では体が痛くて寝れず、前のマンションでしか寝れないと分かり二重生活を開始(これで巨額の支出)。


③ 2004年から2005年は立ち座り続けることが出来ず車椅子生活になりまし。この頃、唯一体が自由になるのは湯船の中だけの生活が続き、回転いすの座面に何枚もマットを敷いて座っていてエコノミー症候群になるなど苦しい時期でした。

妻に補助の為に仕事を辞めてもらい私自身は仕事は続けていましたが。
この頃に3回目の不治の病名の確認のために地元で膠原病No.1の医師に診てもらいに、決死の覚悟で妻の運転する車の中で横になり片道1時間半かけて診察と検査。

2週間後に再診で検査結果を同じ道のりで聞きに行きました。

④ 精密検査の結果、それまでに診断された病名は全て誤診と分かり、
地元の整形外科でのリハビリで回復するはずですと。

椅子から崩れ落ちるほどに緊張と安堵でしたが、リハビリのみで本当に回復するのかという疑問は残ったまま帰宅、

地元整形外科の医師に報告してリハビリ開始となります。

⑤ この時点で私はそれまでの医師たちの心ない診察態度・言葉や画像診断で異常なしならどんなに痛みがあっても、そこで終わりという西洋医学に半分疑念を抱くようになります。

結果、医師に内緒で整体にも通い始めることに。

この西洋医学への疑念と東洋医学への盲信が二度目の闘病期に悲劇を招くことになります。

※話は今現在のことになりますが、私はまだ両手でPC入力すると腕肩や体が痛くなるので、ほぼ右手の指だけでキーボードを打ちます。ですが、やり過ぎると落ち着いている右腕右肩にも痛みを感じ始め寝込むことに。
更に進むと首の付け根や肋骨まで痛くなります。これを総合病院の整形外科で相談しても単に「猫背だから]の一言です。

※筋痛症は近年注目されている「筋膜」のせいもあるのではと私も思うのですが、これを安易に民間療法などで治療するのはよく考えないと私の様に取り返しがつかないことになります。

「筋膜や骨格のズレ」など存在しないという先生方とそれを主として治療する人たちの狭間で私は今回二度目の闘病では散々苦しみました。

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⑥ 最初の筋痛症発病から2年後に全て誤診と分かり、地元整形外科でのリハビリ開始ですが、この段階で5分以上立てない状態。信号待ちの時もとても立っていられない程つらかったのを覚えています。

主に両肩甲骨と左股関節痛と不安定感、腰痛(仙腸関節)と左ひざ痛が顕著で、3年目2005年から2006年はその各部痛みを取る民間療法(整体ですが費用はかなりかかりました)に頼りながら整形外科リハビリに週4回通いました。

⑦ この日々は結果2007年春まで続きますが、この間の投薬は心療内科の安定剤と抗うつ剤のみ。
民間療法と週4回のリハビリに加え、個人的には立てない状態から先ずは自転車につかまり短距離歩行訓練を開始して車椅子不要を目指しました。

最初は、町内一周すら出来なかったです。

何かに掴まることはひざを痛める恐怖心がなく下半身への負荷を減らし私には効果的で、結果、よちよち歩きは可能に。

⑧ 単純に当時と今の再発後の症状を比べることは出来ませんが、大きな違いは他の病気(今回は激痛のストレスから狭心症になりステント留置)を抱えながらの筋痛症の対応の方が複雑で難しいとは言えます。

勿論、当時も必死でしたが車いす不要からの自転車リハビリは2008年まで続き歩行可能に。また整形外科での段階的な腰のけん引がこの時期は効果大でした。要は、体の状態によって東洋医学と西洋医学を使い分けることも大切と言えます。

こういう風に書くと回復期はすんなりいったと感じるかもしれませんが、勿論、首から下の全身痛や両腕両脚の違和感は強く、PCメール等は小さな空箱の角で打っていたほどです。

ただ2007年の4月と2008年の4月では一年経つと大きく変わりました。本格的な回復期は発症から6年目で、この時のリハビリテーマは「歩く」でした。

2008年の4月から毎回バス停を2つずつ増やしながら中距離の歩行を始め
帰りは交通機関で戻る練習を半年間するとその間の往復歩行が可能に。

二度目の闘病はもう再発後丸6年以上ですから、早くこの時期に入らないかなと思っていますが、当時と年齢も違いますし幾つかの病が絡み合っているので1回目のようにはいかないですね。
1度目筋痛症最悪時は、雨に濡れるベランダの自転車を見ながらもう二度と乗れないと思ってました。ですが、2009年まで長距離往復歩行を繰り返した後にその自転車を修理して、競輪選手が練習するような坂道をこいで山の中腹にあるダムにまで乗れるようになったのです。

つまり、一度目克服後に分かったのは「諦めないで生きる」でした。

今回も必ず活路がと信じています。

⑨ 私個人の意見ですが、筋痛症は人生の中でのショックな出来事、対人関係の大きなストレス、出産や大きな手術、自宅新築後などの疲労、将来の不安等に時間差で身体的物理的要因が加わった時に発症するのではないかと考えています。

私は元々薬の副作用が強く出る体質で強い鎮痛剤は使えないのもあり(リリカ、サインバルタなどは全く体に合いません)心療内科の投薬でしたが、

痛みは、ある意味、心の叫びかも知れません。

⑩だから、線維筋痛症は高次脳機能障害とも言われるのかもしれません。 訳の分からない長期激痛は耐えがたく、「誰か助けて下さい」の心の叫びが痛みという形で表れるのかと感じる時もありました。

私の場合は一度目克服に7~8年かかり、仕事で無理をして数年後に再発。

ふざけるなですが、回復期まで踏ん張るしかないようです。


今回も最後まで読んで頂き有り難うございます。

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※全身痛再発7年目で外部の学校には指導に行けませんので、サポートは本当に有り難いです。投稿内容にご納得の上、何らかの形で英語指導の機会を与えて頂ければ幸いです。よろしくお願いします。 HP⇒https://feedback01.webnode.jp/ 福岡県 北九州市 小倉南区