「謝罪は煽り」考察

初めまして。
 皆さんは人生の中で、誰かから謝罪されて「煽られてるのかな?」と感じたことはありませんか?きっとあるでしょう!そんな貴方と、謝罪が煽りに感じられる理由や条件について考察することが、本記事の目的でございます。そんなことは思ったこともない聖人の貴方にも、庶民の視点が少しでもわかるようになればと思っております。
 なお、本記事の内容は私の完全に主観的な視点で語られており、決して”正しさ”を求めるものでないことをご承知おきください。また、本記事における「煽り」とは、「相手の感情を逆撫でしたり挑発したりする行為」の意味で使われています。

①謝罪の本質

 突然ですが、私はお腹がすいたらご飯を食べますし、眠ければ寝ます。制約がない限り、皆さんもきっとそうして生きているでしょう。いたってシンプルに、人間の行う全ての行為は欲望に忠実であり、それは謝罪という行為についても同じだろうと私は考えています。これはとても大切な前提となるので、念頭に置いてください。
 ところで、謝罪の意味は、wikipediaによれば以下の通りです。

謝罪(しゃざい、英語: Apology)とは自らの非を認め、相手に許しを請う行為である。(2020年5月10日時点)

重要なのは、謝罪は「自らの非を認める」ことにとどまらない点です。結局は相手に許してもらいたいから行うのが謝罪というわけですね。それでは、「許してもらいたい」理由って何でしょうか。
 理由は様々あると思いますが、「相手との関係性を修復する」という目的から逸れることはないだろうと私は考えます。友人関係であれば言わずもがな、赤の他人に対しても謝罪するのは、許してもらうことで加害者-被害者の関係から無関係に戻したいからである、と解釈するわけですね。ちなみに「いやいや自分は良心の呵責に駆られて謝罪しているんだ」という究極の自己満足を求める人がいても私は否定しませんが、謝罪には常に相手がいることを忘れてはなりません。
 そして、謝罪の本質から外れた謝罪行為は、煽り要素を備えている可能性が非常に高いです。謝罪の言葉を述べた後に言い訳がましい説明をする人に憤りを感じるのは、「自らの非を認める」という点に反しているために起こる事象であり、「ごめんなさい。もう二度と貴方とは関わりません」みたいな態度の謝罪をする人は、「許しを請う」という意味から外れ相手の存在を蔑ろにしている点で不快感を覚える、というわけです。
 とはいえ、本質的な謝罪であったとしても、謝罪のみで関係性が修復できるとは限りません。損失に対して何らかの償いがなければ、元々あった対等な関係は失われてしまいがちです。

②「償いレベル」について

 「償いレベル」とは、損失に対する補填の度合いを指します。造語ですが、文字の通りです。以下の例をもとに、償いレベルについて考えてみましょう。

「私」は友人A(以下A)と食事をしていた。Aが料理を意図せずぶちまけてしまい、「私」の洋服を汚してしまった。Aは「私」に対して「ごめんなさい!クリーニング代は払うよ!」と言った。

この場合、Aは「私」に対して、服が元通りになる程度の償いレベルで許してほしいという意思を示しています。これが例えば、「服は弁償するね」とか「慰謝料も払うね」となった場合は、さらに高い償いレベルを提示することで許しを求めていることになるわけです。
 償いレベルは金銭的な内容にとどまらないことは皆さんもご存じの通りでしょう。むしろ、金銭的に解決可能なものであれば明確な指標があるため、償いレベルの妥当性が高まります。時間(遅刻とか)等の定性的な損失は適切なレベル設定が難しく、モメる原因を引き起こします。
 さて、賢明な読者の皆さんはお気づきでしょうが、償いレベルも重要なカギとなるのです。謝罪者と被謝罪者が想定する償いレベルの相違によって、お互いの心象が大きく変わります。
 また、ここで一つ重要な要素として、謝罪と償いは分離できるという点が挙げられます。謝罪のために償っているというなら、別に許してもらえる限り償う必要はありません。それならタダで許してもらう方がお得ですよね?

③具体例の説明及び個人的な感想

 さて、結論も目前です。長々と当たり前なお話につかれたことでしょう。もうすぐ終わります。
 友人Bの例をご覧ください。

「私」の友人B(以下B)はいわゆる遅刻魔である。この点について、「私」は承知の上でBと定期的に会う約束をしている。今日も会う約束をしていたが、相変わらずBは約束の時刻に遅れて到着した。Bはとても落ち込んだ様子で「私」へ謝罪した。
B「本当にごめんなさい……。いつも遅刻してしまって本当に申し訳ないと思います。治したいとは思っていますが、もうどうしようもありません。本当に申し訳ございません」

私はBの謝罪の仕方が、謝罪者から見て最もアドバンテージの得られる謝罪(被謝罪者から見て「煽られている」と感じる謝罪)だと考えています。その説明と共に「謝罪は煽り」論を解説していきます。

・前提となる関係性
 「私」はBの遅刻癖を承知の上で関係を保っているわけですから、この時点ではBとの関係は対等であると言えます。それが嫌なら関係を切るだけであって、Bの性質によって損を被ると感じない(待たされるのを苦に感じない等)、またはそれ以上のメリットがあるから関係を保っていることは言うまでもありません。

・謝罪の理由
 謝罪の理由については①で述べました。今後も「私」と関係性を保つため、あるいは究極の自己満足ですね。ですが既に「私」はBの遅刻癖を了承している以上、前者は理由になりえないので後者の自己満足による謝罪だと言えます。

・Bは償いレベルを設定しない
 ②の通り、金銭的なものと違って時間などは償いレベルを設定しづらく、お互いが納得する償いレベルの設定はかなり難しいでしょう。とはいえ今後も関係を続けていくために何をすべきか、Bは一切提案をしません。
 補足しておくと、「私」はBに何かを要求し支払わせる(=償いレベルを設定しBに実行させる)ことで話が解決する場合があります。免罪符は相手に決めさせることで後から文句を言わせないため効果的です。

 以上3点を考慮してBの謝罪を解釈しなおすと、「私の不安を払拭するために今の関係を肯定しろ。自分は何も是正できないから、要求があればどうぞ」となるわけですね。どうでしょう、少しは謝罪が挑発に見えてきたでしょうか。謝罪者の反省している色が強いほど、その自己中心的な本音とのギャップが大きくて煽られている感が増します。
 いっそBが謝罪しないのであれば、「私」はBの性質や過失を認めた上で今後の関係を断つかどうか判断するだけです。Bが「私」との関係を断たれて困ると本気で思うのであれば、「私」が納得する償いレベルを提案し実行するだけです。その労力に見合わない(あるいは本当に補填できない過失である)と謝罪者が確信している場合、謝罪は単なるわがままに成り下がります。

 総括すると、「謝罪という行為には相手との関係を整える必要があり、謝罪者が保身のためだけに行う卑俗なものではない」のだと私は思います。

④まとめ

 以上、本記事の①~③をまとめた結果は下記の通りでございます。

a. 謝罪者に被謝罪者との関係性を修復するつもりがない場合(謝罪の本質が失われている状態)
b. 謝罪者-被謝罪者間において設定された償いレベルが妥当性を欠いている、または設定されていない場合
aまたはbの条件を満たす謝罪は、被謝罪者との間にある今までの関係性を失わせる行為であり、煽り要素を含んでいる。

 2つの条件のいずれかを満たす謝罪は煽りと捉えられる危険性があります。①の中で例示はしませんでしたが、aに該当する謝罪とは端的に言えば「形だけの謝罪」ですね。一般的に謝罪に腹を立てるケースはaの条件を満たしていることが多いと思います。bについては私が③で出した謝罪者Bの例によってある程度納得のいくものとなったのではないでしょうか。

⑤おまけと補足

 真面目に読まないようにしてください。

・子供を殺された親に対して、殺人者が謝罪をする場合
 これは明確に条件bに該当するため親視点でこの謝罪は煽りです。実際、謝られたところで子供は生き返らないし、仮に故意に人を殺した人間から「殺してごめんなさい、二度としません」と言われて「償いレベルが妥当だから許すね」とはならないでしょう。
 ちなみに私見ですが、刑法上の問題になった場合の謝罪は個人間の領域を超えて、公権力(市民)に対して許しを請うものに変化します。この場合、殺人者の謝罪は子供の親に対しての謝罪というより、被害者を通して社会全体へもう一度受け入れてもらえるよう許しを請う行為だと認識できます。罰を与えるのも許しを与えるのも公権力ですからね。

 加えて、過失に付きまとう「責任」という言葉は基本的に共同体と共にあります。個人間での責任の所在は結構うやむやになるものですが、共同体とのかかわりの上ではそうもいきません。なぜなら、責任を取る・取らせることは共同体の存続にかかわり、構成員の行動規範に直結するためです。本記事における謝罪の例はこの点を考慮し、責任をある程度無視しつつ(償いレベルが責任問題を一部解決しているため)個人間の謝罪に着目しています。

⑥終わりに

 私はよく人に謝罪する人生を送っています。きっと私は多くの人に不快な思いをさせながら生きていることでしょう。人間関係に関するすべての行為はパワーバランスによって決定されると認識し、謝罪する・しないも、許す・許さないも全て強者が判断するのだと感じた時、この考察自体が無意味なものに思えたことは否定しません。
 結局のところ、どちらの方が相手に依存しているのか、そのギャップによって関係を継続するか否かの確認作業を行い続けることが社会的動物の根幹にあって、インシデントによる反応のひとつが謝罪なのだと思います。もし皆さんが謝罪されて「煽られているな」と感じたり、謝罪をして「謝罪する意味ある?」と思うシーンに出くわした場合は、一度相手との関係性を振り返ってみるとよいでしょう。相手を許す必要性も、また相手に許される必然性も、根拠のない道徳から生まれたものかもしれませんので。

 以上で本記事の内容は終了です。あまり納得のいく内容ではないとか、私怨だろとか、謝罪にそんな深い意味はないとか、お前が劣等感抱えてるだけ等の指摘もあると思いますが、最後までご高覧くださいましたこと心より御礼申し上げます。皆様のライフイベントの一つとして謝罪がやってきたときに、少しでも助けになれば幸いです。

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