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知り合い遭遇恐怖症の処世術

私は、外出先で知り合いにバッタリ遭うのが苦手だ。
いわゆる知り合い遭遇恐怖症と言うやつだ。
一般的には、歳を取り神経が図太くなるにつれ軽減するものらしいが、私の場合はむしろ年齢と共に苦手な人は増え、悪化している気がする。
これは内向的とかHSP気質というよりも、幼少期の育ち方の問題かもしれない。

こんな性格でも、独身時代はさほど実害は無かった。
ところが結婚し子育てをする身となると、色々と支障が起きた。
結婚出産を経験すれば、自分の事で悩む暇などなくなるだろうし、経験値も上がるはずという私の思惑は外れ、母となったとたん自分の本質的な欠けを思い知らされたのだ。

日常生活の中で、自分は結婚や子育て、いや社会生活自体向いていなかったのでは?と疑念を抱くことはしばしばある。

例えば主婦が避けて通れないスーパー。
私は苦手なご近所ママに遭いたくないので、週末なら正午頃、平日なら閉店間際に行くようにしている。
駐車場に見覚えのある車を見つけた時は、もちろん引き返し違う店に行く。
いい歳をして情けない話である。

克服を試みたことはある。
地域コミュニティに馴染むには子育て期のネットワーク作りが肝心と気負っていた頃は、遭遇しそうな相手によってトークを何パターンも用意した上でスーパー通いをしていたものだ。(我ながらHSPらしいと思う。)
しかしそういった対策じたいが心を萎縮させる要因であり、刺激を避けることが対処法の一つと知ってからは、克服心を発動せずに済むようスーパーが混む時間帯を避けることにした。

またかつてスポーツジムにはまっていた影響で、数年前よりぼちぼち再開している運動教室もなかなか悩ましい。
フルタイムで働く私が家事の合間に行けるのは、ジムではなく近所の体育施設とか公民館の運動教室ぐらいなのだが、ジムに比べると選択肢が限られる中、せっかくいい教室を見つけても顔見知りがいるとどうも躊躇してしまうのだ。

名前を知らないような人ならまだいい。
しかしお目当ての教室にかつての同級生や娘の友達のママがいると、見学の時点でやる気が失せる。
入れ替えの際にロビーや玄関ですれ違うことを考えると、その前後の時間帯の教室も避けたい。
参加していた教室に後から顔見知りが入会してきて、たちまちやる気が萎えたこともあった。

そうして私は内容的にも時間的にもピッタリな教室を諦め、自宅から少し離れた教室を探しては転々とする根無草なのである。(ちなみに独身時代は時間があったので、もっと遠くのジムに通っていた。)

ところでスーパーや運動教室なら自分でコントロールもできるが、学校の行事となるとそうはいかない。
過去2年ほどはコロナで行事が減り随分救われたものの、コロナ前は苦痛だった。

娘が幼い頃は参観や親子レクがあるたびに半休を取り、気合いを入れて行っていた。
しかし最初から最後まで真面目に参加すると、ランチで合流し連れ立ってやってくるガッチリママ友グループとか、行事終了後に学校近くのファストフード店やH家に集結する親子グループが、嫌でも目に入る。
私は、群れに加わりたいわけでもないのに、その光景にモヤモヤする自分が嫌で仕方がなかった。

そんな学校行事も、学年が上がるにつれ参加しない親が増えた。
娘も「別に来なくていいよ。」と言うようになり多少気が楽に。
以来、よほど重要な行事でない限り夫に行ってもらうか、夫がダメな場合は仕事中に会社を抜けチラッと顔を出し、そそくさと仕事に戻ることに決めた。

さて。
若い頃はこの気質をどうにかしたいと自己啓発本を読み漁ったりセミナーを受けたりした私だが、最近は気力の衰えもあり、自分はもうこの自分で生きていくしかない、と悟りにも似た境地に至っている。
とは言え現状不満タイプなだけに、この先も悩みを引き寄せては禅問答みたいな議論を脳内で繰り広げることだろう。
が、それも書くネタとなるならそう悪くない。
そう思えるnoteの存在はとても貴重だ。

また、ヘタレな母の一番の被害者と言えば娘だが、この娘が母に似ずポジティブな子に育ったのは幸いだった。

むしろ娘のキャラのおかげで子育て絡みの人間関係(要するにママ友関係)では幾度も助けられた。
ポジティブ気質が必ずしもメリットばかりではないと知る今は、残念な点も無いではないが(これについてはまたいつか。)、それでも自分よりはよほど生きやすそうな娘を羨ましく思う母なのである。

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