空飛ぶ営業マンから高級住宅ブランドの創業者へ【フェザーホーム千田の過去|前編】
フェザーホームの創業は2021年2月のこと。「いつの時代も最高の笑顔と心地よさを提供する」を掲げ、札幌を中心にフルオーダーの注文住宅をお客様に提供し続け、創業からわずか3年で売上20億円を突破。いまや札幌の高級住宅ブランド企業として急成長を遂げています。
弊社代表の千田のリーダーシップのもと、フェザーホームは独自の文化と強い企業価値を築き、社員数は15名を超え、いま現在も多くの方に入社いただいている状況です。
もともとは北海道の大手ハウスメーカー、上場企業である土屋ホームの常務取締役だった千田ですが、このインタビューでは彼の生い立ち、土屋ホームでの苦労に迫ることで、創業にいたるきっかけを探っていきます。
本日はその前編。
スキージャンプ選手として活躍するも、突然引退を余儀なくされた千田が、どのようにハウスメーカーの営業職に汗を流すことになったのかに迫っていきましょう。
スキージャンプ選手から営業マンへの転身
オリンピックを目指した少年時代
北海道北部、人口3,000人の小さな町で育った千田は、冬はスキー、夏は野球に熱中するスポーツ少年でした。スキージャンプにおいてはオリンピック選手を目指し、地域の大会でメダルを獲得するなど、輝かしい成績を残していました。
「オリンピックで金メダルを取り、周りの方々に感謝の気持ちを伝えたい。そして目立ちたいという思いが強かったですね」と当時の情熱を語ります。
土屋ホームでの「空飛ぶ営業マン」としてのスタート
高校卒業後、千田社長は「空飛ぶ営業マン」として土屋ホームに入社しました。土屋ホームは言わずと知れたスキージャンプ名門で、オリンピック選手を多数輩出しています。「空飛ぶ営業マン」とは、土屋ホームのスキージャンプ選手のことを指す社内用語で、競技を続けながら会社の顔として活動することが求められました。
「当時は学生の大会で優勝したりしていて、土屋ホームからスカウトされたときは嬉しかったですね。スキージャンプを続けられるだけでなく、会社のサポートも受けられるので、非常に恵まれた環境でした」と振り返ります。
大怪我による競技引退と営業への転向
しかし、スキージャンプ中の大怪我により、競技を続けることが難しくなりました。右手の骨折や鎖骨の骨折といった深刻な怪我が原因で、いわゆるイップス状態となりスキージャンプからの引退を余儀なくされました。
「空中でバランスを崩して手がついてしまい、手が折れてしまいました。その後も何度か怪我をし、恐怖心が抜けずにジャンプができなくなりました」と語る千田。その時の悔しさを今でも忘れていないそうです。
営業マン時代の苦悩と転機
サボりの日々と自問自答の時期
怪我によりスキージャンプを続けることができなくなった千田は、会社から二者択一を迫られます。引退して退社するか、営業マンとしてイチからやり直すかの選択です。
迷った末に千田は営業マンとしてのキャリアをスタートさせました。
しかし、それまで営業経験はおろか、ビジネスの経験もなかった千田。最初の2年間は成果が上がらず、なんと仕事をサボる生活を続けていたそうなのです。
「朝会社に行って、掃除したふりをして朝礼に出て、仕事をしてきたふりをして夕礼に帰る。とんでもない生活をしていました」と当時の状況を語ります。
この質問に対して千田は「新川のアミューズメント施設、キャッツアイの駐車場で昼寝をしたり、海に行って時間を潰す日々が続いた」と回答します。
「キャッツアイの駐車場で車の中に寝転がって、『今日は何しようかな』なんて考えていました。海に行ってぼんやり波を見ている時もありました」と当時の様子を具体的に語ります。
「いま考えると完全にクズ社員です。よくないですよ。うちの社員がこんなことをやってたら『おい、どうした?』と聞いちゃいますよね」
友人の住宅購入をきっかけとした意識改革
当時の千田はハウスメーカーの営業職を辞めて「焼き鳥屋さん」を作ろうとしていたそうです。しかし、そんな千田にも転機が訪れます。ある友人の存在です。
彼はスキージャンプでオリンピックにも出場経験のある千田の幼馴染でした。地元で幼いころから同じ環境で育った同級生です。
ある日、その友人と食事に行った際、友人は「じゃあ俺が家を買うから」と言ってくれたそうなのです。当時の千田も友人も年齢はまだ20代前半。千田は「え? いいの? 本当に?」と確認しましたが、食事の席の話だったので話半分に聞いていたそうです。
ところが後日友人に確認してみると「本当に家を買う」と言うではありませんか。それじゃあ、ということで、彼の家を担当することになった千田。スキージャンプ選手として引退を余儀なくされ、サボりがちだった営業マンの契約第1号として、大切な幼馴染の家を担当することになります。
「友人はですね、性格がクールなんです。あまり感情を表に出さない。でも新築住宅を彼が見たときのリアクション、喜びようというのがすごくて。めちゃくちゃ幸せそうだったんですね。クールな彼があれだけ喜ぶということは、ほとんどの人が喜ぶぞ? と感じたんです」
これをきっかけに千田は「住宅」というものが人々を喜ばせる力を持っていると感じました。
「そこからですね、変わったのは」
ここから千田はハウスメーカーの営業マンとして、自らを奮い立たせ、当時最年少で土屋ホームの常務取締役まで上り詰めることになります。
次回の後編では、住宅営業としての千田がいったいどんな成績で、どんなことを意識していたのか、そしてフェザーホームを創立するまでの話をご紹介します。
お楽しみに!
【後編】設立の話はこちらをご覧ください!
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