JASRACに対する批判と援護について思うところを述べたい

初めまして、Tetsuyaと申します。
初投稿がこのような内容で申し訳ないなーと思いつつ、でも抑えきれないこのモヤモヤしたものを言語化したいと思いnoteを書くことにしました。

「音楽教室の楽曲も著作権の使用料必要」教室側敗訴 東京地裁

先日このようなニュースがありまして、「そりゃそうだよね」といった納得の意見や「いやおかしいだろ!」という批判的な意見が飛び交っています。これだけ沢山の人が音楽という文化の発展について考えているのは非常に有り難いものですが、Twitter上ではちょっと残念な感じになっているのです。それはデマや思い込みによる批判や攻撃的なツイート、それに対して指摘をリプを送る両者に対してなんですね。ちょっとその話、したいと思います。

JASRACを批判する人達は敵を見誤ってる話

批判している人達のツイートや発言を見ると、全く根拠のない他人の発言やデマを根拠にしちゃってて、何の説得力も生んでいないのがほぼ9割という状態です。しかもその殆どは音楽やエンタメ産業と全く関わりのない人達で、いわゆる余計なお世話だったりします。批判の内容や材料は大体同じなので定番な例と共に述べていきます。

・街から音楽が消えた
 今まで街にどう音楽が溢れていて、どう消えたのかの比較や根拠がありません。路上ミュージシャンが減ったことなら警察や地域の取り締まりが強化されただけでJASRACのせいではないし、音楽を聴く人が減ったというのは、ネットや技術の普及によって音楽の聴き方が変わったからそう見えるだけ。商店街やお店で流している音楽は有線放送が大半で、有線事業者が音楽の使用料を払っているのでそのお店は有線放送の利用料しか払っていない。JASRAC別に何も悪いことしていないんですよ。

・分配が不透明
 権利者には事細かく透明です。そもそも制作に関わってもいない他者に対して透明である必要がないので、余計なお世話です。もしJASRACに委託している曲が他者に利用されたのに分配されていないのだとしたらそれは問題ですので速やかに契約書を確認しましょう。

・教育なのに使用料を請求するのはおかしい
 教育のために、学校法人での使用は条件を満たせば使用料がかかりません。対していわゆる一般的な音楽教室は「音楽文化の発展」を掲げていても「教えるビジネス」であって教室側が儲かる仕組みが基本。ビジネスではなく本当に音楽教育のためなら学校法人にすればいいだけなんです。

・JASRACが独占している
 していません。長年の歴史と海外との連携性が高いため最も利用されているだけで、他にも著作権管理事業者はあります。納得いかないのであれば数ある音楽の中からわざわざJASRAC管理楽曲を利用する企業や個人を批判するか、JASRACより優れた著作権管理事業者を作ればいいのです。

・JASRACが私腹を肥やしている
 一般社団法人のため肥やすことができない上、肥やしている事実もデータも証拠もありません。

・ライブハウスを救え
 JASRAC関係ありません。

という感じですね。そもそも多くの方は著作権法はおろか、音楽がどのように巡り巡って自分の耳に届いているのか知らないと思います。実際のところはJASRACではなく、それを利用する企業や人といった社会にJASRACが悪いと勘違いしてしまう原因があります。

皆さんの夢を壊してしまい申し訳ありませんが、音楽は著作権ビジネスが中心です。JASRACはあくまで音楽を作った権利者に頼まれて使用料を集めているだけなので、もしそんな著作権ビジネスに文句があるなら批判するべきはJASRACではなく、音楽家です。もしくはあなたの手で、社会と音楽家にとってWIN-WINになる新たな仕組みを作って頂きたいです。批判するより後者の方がワクワクしませんか?

JASRACデマへの指摘がネガキャンになってる話

JASRACのデマや批判する人について述べましたが、今度は反対に有識者や権利者に対してのお話です。
私自身もたまに呟きますが、沢山の先輩方や音楽家の皆さんがJASRACを批判している人に指摘リプを送ったりしていて、何とかそれがデマだと、間違っていると伝えようとしています。しかし、あれは逆効果だと思いました。

JASRACを批判している人に有識者達が指摘リプを送ることによって、JASRACの事を言うと噛み付かれる、ほれみたことか、という構図が出来上がります。振られた側なのに振ってやったと周りに自慢するみたいなやつです。たまたまそんなツイートを見た第三者からすれば寄ってたかって指摘リプを送っているように見えるのでどちらがまともか判別が付きません。その結果ネガティブキャンペーンになってしまうのです。

加えて、煽り口調に捉えられる書き方やポエムみたいな書き方の指摘もちらほらと見かけます。どれだけ批判してくる相手が間違っていてもこちらの書き方が相手に寄せては元も子もないです。

全員ではないですが、JASRACを含む著作権管理事業者の前提を無視した批判をしている人達は、そもそも本気で音楽文化を発展させようだなんて思っていない(思ってたらちゃんと勉強してる)か、本当に無知かのどちらかが大半です。指摘したところであまり意味はありません。指摘すればするほど「これだからJASRACは」「論破してやった」と相手が相手の価値観の中で気持ちよくなるだけなので、そんな「私は社会の事をちゃんと考えています」アピール全開な承認欲求の自慰行為に付き合うのはとっても時間の無駄です。

間違っている事を間違っていると言うのは大切ですが、言い過ぎも良くないと思います。「あの人何言ってるんだろう」と冷ややかな目で放置するのはいかがでしょうか。

終わりに

こんな現代だからこそ、単にJASRACを批判するのではなく、「これまでの音楽の著作権の考え方って古いんじゃないの?」「時代にあってるの?」「もっと音楽の発展に有益な新しい仕組みが作れるんじゃないの?」という方へ議論や追求をした方が未来の音楽文化にとって生産性が高いんじゃないかなって思います。

戯言を読んでくださりありがとうございました。




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