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『小説新潮』2020年9月号  いしいひさいち(1951.9.2- )「剽窃新潮 第3回」  筒井ともみ(1948.7.10- )「もういちど、あなたと食べたい 第十回 須賀敦子さんと「フ・リ・カ・ケ」  日記 2020年10月10日

日記
2020年10月10日

『小説新潮』
2020年9月号
新潮社 2020年8月21日発売
福岡市総合図書館蔵書

https://www.amazon.co.jp/dp/B08F6MVHYX
https://www.shinchosha.co.jp/shoushin/?sho20200821

https://www.shinchosha.co.jp/shoushin/backnumber/20200821/

いしいひさいち(1951.9.2- )
「剽窃新潮 第3回
 ヒロオカ先生に編集者のヤスダくん。
おなじみのキャラクターが業界の内幕を暴きまくる
問答無用の文壇マンガ」p.165

四こまマンガ二篇とも
広岡先生と安田くん

↑これは『小説新潮』2023年4月号 第34回 ですが…

「私の著作の電子書籍化はどうなっておるかね。
えっ 広岡センセの世代の作家の方々は
電子化に興味がないとばかり思っていました。
我々の世代も関心は持っている。
オファーを待っておったのだ。
さっそく担当者に連絡させます。
ニベもなく断ってやろうと待っていた。
どんな世代やねん。」

「この巻頭の女性作家は剽窃をやらかして
干されていたのではなかったかね?
なんでもその後、売文社の社長が
溺れているのを助けたそうです。
昔から業界でよく言われるジョークだね。
ははは
ところがほんとうに救助したらしいんです。
え? たまたま海岸で?
いえ 酔っ払ってホテルのバスタブで。
はぁ!?」

(笑)いしい商店
 漫画家いしいひさいち公式ウェブサイト
https://www.ishii-shoten.com/honnmaru/doma.html
を、ご覧になっていなければ、ぜひどうぞ。
ファンの方なら、ご存知でしょうけど。

https://twitter.com/kagonoikeazuki
白玉あずき @kagonoikeazuki
「本を読んだり展示を見たり猫と遊んだりの日常。
いしいひさいち関連の話が多いですが、
本人の呟きは一切ないアカウントです。」
https://twitter.com/kagonoikeazuki/status/1395591364214091779


読書メーター
いしいひさいちの本棚
登録冊数146冊 刊行年月順
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091204
冊数が多いのは、
連載掲載誌
『オール讀物』「忍者無芸帳」ほか
『小説現代』「わたしはネコである」ほか
『小説新潮』「剽窃新潮」
各号を一冊とカウントしているからです。
単行本の大部分は福岡市総合図書館が所蔵していなくて、
県内他図書館から取り寄せてもらいました。
我が家の本棚には30冊ぐらいしかありません。
昔、『漫画アクション』連載
「がんばれタブチくん」を読んでましたけど、
単行本は買わなかったなぁ。

マンガの本棚(登録冊数1862冊 作家名五十音順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091192

筒井ともみ(1948.7.10- )
「もういちど、あなたと食べたい 第十回
 須賀敦子さんと「フ・リ・カ・ケ」

「映画『それから』[1985]
『阿修羅のごとく』[2003]
『食べる女』[2018]
などの名脚本家が綴る、懐かしい人たちとの、
食にまつわるメモワール」
p.416-423 南伸坊 画

1948年7月10日東京都生まれ
成城大学文芸学部卒業な
女性脚本家・小説家、
筒井ともみさん
https://www.allcinema.net/person/122942
https://ja.wikipedia.org/wiki/筒井ともみ
を、この連載を読み始めるまで知りませんでした。

「初めて須賀敦子さん[1929.1.19-1998.3.20]の本
『ミラノ 霧の風景』[白水社 1990.12]
を読んだとき、読んでいる間ずっと
「息をしていなかった」ように感じた。
この息止め体験は、過去に二度ある。
1973年に初来日した
ピーター・ブルック演出
『真夏の夜の夢』を日生劇場[5月3-20日]
https://pretheatre.ocnk.net/product/62
で観たとき、私は大学を出たばかりだった。」p.416

七歳若い、
1955年1月生まれな私は、
この公演をテレビの真ん前に座り込んで観た記憶があります。
明治大学文学部学生になった年で、
私が育った家にカラーテレビ受像機が登場したのは、
その一、二年前だったことも憶えています。

「生前の須賀さんとはたしか三回、おめにかかったことがある。
 … 須賀さんは「知的アイドル」のように慕われることを
愉しみながらも、その一方で、諧謔と距離もお持ちなのだ、
と感じた。」p.418

私は、勤務していた
聖心女子大学図書館(1978-86)の
カウンタ当番で、
非常勤講師(ダンテ『神曲』担当)をされていた
須賀先生(聖心女子大学卒業)を
数回見かけたことがあるだけです。

ナタリア・ギンズブルグ(1916-1991)
『ある家族の会話』
白水社 1985.12
他の訳者として注目され始める前でした。

https://www.amazon.co.jp/dp/4560041792
https://www.amazon.co.jp/dp/4560073570

https://www.amazon.co.jp/dp/4560043086
https://www.amazon.co.jp/dp/4560071209

読書メーター
小説新潮の本棚 登録冊数63冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11408157

須賀敦子の本棚 登録冊数8冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11273580

https://note.com/fe1955/n/n994273d5632c

https://note.com/fe1955/n/n271f327d0944

https://note.com/fe1955/n/n8c3244d36ba2

https://note.com/fe1955/n/n21ed11d670da

https://note.com/fe1955/n/n4ef393800ab0

https://note.com/fe1955/n/ndda2d132e136

https://note.com/fe1955/n/na1ea8c2c7d9c

https://note.com/fe1955/n/n432876b1618a

https://note.com/fe1955/n/n4e20572df4a6


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