内田樹(1950.9.30- )『そのうちなんとかなるだろう』マガジンハウス 2019年7月刊 240ページ 『街場の芸術論』青幻舎 2021年5月刊 282ページ
内田樹(1950.9.30- )
『そのうちなんとかなるだろう』
マガジンハウス 2019年7月刊 240ページ
2019年8月17日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4838730594
「「やりたいこと」を諦めたことも、
「やりたくないこと」を我慢したことも、
僕には一度もありません。
思想家・内田樹の痛快人生案内!
心と直感に従って生きればいい。無理して決断する必要はない。「なんとなく」選んだことが、自分にとって一番いい状態だから。豪快すぎる半生記!
いじめが原因で小学校で登校拒否
受験勉強が嫌で日比谷高校中退
親の小言が聞きたくなくて家出
大検取って東大に入るも大学院3浪
8年間に32大学の教員試験に不合格
男として全否定された離婚
仕事より家事を優先して父子家庭12年
昭和の時代を伝える「非日常写真館」も
<あとがきより>
「自分らしさ」という言葉が僕はあまり好きじゃないのですが、それでもやはり「自分らしさ」というのはあると思います。ただ、それはまなじりを決して「自分らしく生きるぞ」と力んで創り出したり、「自分探しの旅」に出かけて発見するようなものじゃない。
ふつうに「なんとなくやりたいこと」をやり、「なんとなくやりたくないこと」を避けて過ごして来たら、晩年に至って、「結局、どの道を行っても、いまの自分と瓜二つの人間になっていたんだろうなあ」という感懐を抱く……
というかたちで身に浸みるものではないかと思います。
僕がわが半生を振り返って言えることは、僕は他のことはともかく「心と直感に従う勇気」については不足を感じたことがなかったということです。これだけはわりと胸を張って申し上げられます。
恐怖心を感じて「やりたいこと」を断念したことも、功利的な計算に基づいて「やりたくないこと」を我慢してやったこともありません。僕がやったことは全部「なんだかんだ言いながら、やりたかったこと」であり、僕がやらなかったことは「やっぱり、やりたくなかったこと」です。
というわけですので、この本はできたら若い方に読んでいただいて、「こんなに適当に生きていてもなんとかなるんだ」と安心してほしいと思います。
<目次>
第1章生まれたときから、嫌なものは嫌
■小学校で登校拒否
下丸子という町
「嫌」に理由はいらない
いじめが原因で不登校
兄の存在感
ビートルズに夢中
SFファンクラブ
都立日比谷高校
高校はもういい
■高校中退、そして家出
計画的に家出
ジャズ喫茶でアルバイト
たちまち生活に困窮
頭を下げて家に戻る
大検のために猛勉強
規則正しい浪人生活
■東大には入ったものの
天皇制を知るために、まず武道
駒場寮というアナーキー空間
嫌な先輩に回し蹴り
住処を転々
ガールフレンドの母親が天敵
「噂はいろいろ聞いてるぜ」
フランスへ卒業旅行
大学院入試に3回落ちる
第2章 場当たり人生、いよいよ始まる
■合気道という修行
内田家「士道軽んずべからず」
生涯の師との出会い
子弟システムのダークサイド
機を見る力、座を見る力
■翻訳会社アーバン・トランスレーション
翻訳会社でアルバイト
無職から二足のわらじ生活へ
早い、安い、ミスが少ない
翻訳業の限界を感じて
■研究者生活の実情
助手になったが仕事がない
32校の教員募集に落ちる
研究者が陥るジレンマ
神戸大学の話が流れる
「とんでも学説」が一転
神戸女学院大学へ
「内田樹の奇跡のフランス語」
人間は基本的に頭がよい
■離婚、そして父子家庭
男として全否定される
4歳年上、女優の妻
波瀾万丈だった義父の人生
12年間の「父子家庭」
仕事より家事育児を最優先
仕事で成功することを求めない
書きたいことは山のようにある
空き時間は天からの贈り物
第3章
生きていくのに一番大切な能力
■仕事のやり方を工夫する
ホームページを立ち上げる
発信したいことを次々アップ
出版社から声がかかる
東京一極集中がなくなる
■批判するより褒める
たくさん本を出せる理由
人の話からアイデアが生まれる
その人の一番いいところを見る
■決断や選択はするな
教え子と再婚
強く念じたことは実現する
いつどこに自分がいるべきか
「人生をリセットする」前に
やりたくないことはやらないほうがいい
どちらへ行っても同じ目的地に
誰と結婚してもそこそこ楽しい
後悔は2種類ある
匿名の発信は無意味
触覚的に世界を理解する
どちらかに決めない
非日常写真館
コラム
1966年の日比谷高校【その1】
1966年の日比谷高校【その2】
1966年の日比谷高校【その3】」
1950年9月30日東京大田区下丸子生まれな
内田樹さんの
「「自叙伝」です。
もうそんなものを書くような年齢になったんですね。」
p.228「あとがき」
1955年1月生まれの私が中学三年生の時に読んだ
『中央公論』1969年5月号に掲載された
庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』
の主人公カオル君と同学年な
日比谷高校の生徒だったウチダ君の「私の履歴書」を、
五歳年下な
東京都北多摩郡神代町(現在は調布市仙川町)生まれの私は、
1970年代以降の同時代を生きていた自分自身の体験や記憶を
時々思い出しながら、一気に通読してしまいました。
「離婚したのは1989年4月。
結婚したのは1976年、25歳。
13年暮らした妻から、
「あなたとは一緒にいたくない」と宣言された。
4歳年上で、
10代から舞台女優、テレビ女優として働いていた人ですから、
実年齢の差以上に「大人」の人でした。
…
離婚が決まったときに、父か母か、どちらと暮らすか、
娘に選んでもらうことにしました。
6歳の子どもにとってはずいぶん残酷な選択だったと思います。
娘は「3人一緒はダメなの?」と両親の顔をうかがい、
僕が首を横に振るのを見て、
しばらく黙って涙を流してから顔を上げて
「じゃあ、お父さんと暮らす」と言いました。
…
何年か後になって、
「あのときどうしてお父さんを選んでくれたの?」
と娘に尋ねてみたたことがありました。
「お母さんと暮らしたら、
お父さんともう会えなくなるかもしれない。
でも、お父さんだったら
『お母さんに会いたい』
と言えばいつでも会わせてくれそうな気がしたから」
という答えでした。
賢い子だなと思いました。」
1982年生まれのお嬢さん・内田るん
https://twitter.com/lovelove_kikaku
https://honsuki.jp/reviewer/uchida-run
内田樹(1950.9.30- )
『街場の芸術論』
青幻舎 2021年5月刊
282ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4861528399
「内田樹氏による芸術論集成、「街場」シリーズ最新作!!
思想家・内田樹がこれまで発表してきた文章の中から、アートに関する評論を編んだ「芸術論」がついに誕生!
芸術を生むための基層となる表現の自由や言論の自由、民主主義について考察し、三島由紀夫、小津安二郎、宮崎駿、村上春樹、大瀧詠一、キャロル・キングなどのアーティストとその作品を、ウチダ的視点で読み解きます。
また、劇作家・演出家、芸術文化観光専門職大学学長の平田オリザ氏との特別対談を収録。日本と世界、反知性主義、コロナ禍における社会のあり方を存分に語ります。
分断されて閉塞感が漂う社会のなかで、人間の精神は常に希望に満ちている。そう感じさせてくれる、知的好奇心にあふれた<芸術への世界>が開かれた一冊。」
http://blog.tatsuru.com/2021/05/03_1416.html
内田樹の研究室 2021-05-03 14:16
『街場の芸術論』序文
「本書に登場するのは、固有名詞を挙げれば、小津安二郎、宮崎駿、三島由紀夫、村上春樹、大瀧詠一、キャロル・キング、ビートルズ、ビーチボーイズといった方たちです。映画作家、小説家、ミュージシャンとジャンルは多岐にわたります。共通しているのは、僕が個人的に偏愛している人たちだということです。
僕が彼らを論じるときの立ち位置は、学者でも、批評家でもありません。あくまでも一ファンとしてです。 一ファンとしてそっと読者の前に差し出すというのが僕のスタンスです。」
「できることなら自分が死んだ後も、その作品の真価を伝道し続けてくれる後継者を絶やさないように心掛けるのがほんとうの「ファン」ではないか。とりあえず僕はそう考えています。
ですから、この本を読んで、これらのクリエーターたちの名前をはじめて知ったという人が「そこまで言うなら、ちょっと読んで(観て/聴いて)みようかな」と思ってくれるたら、それだけでこの本を出した甲斐はあったと思います。」
目次
序章 表現の自由、言論の自由、民主主義
第1章 三島由紀夫
第2章 小津安二郎
第3章 宮崎駿
第4章 村上春樹
第5章 音楽と、その時代
特別対談 内田樹×平田オリザ
2021年7月3日 拾い読み
福岡市総合図書館予約3人
第5章 音楽と、その時代
「大瀧詠一の系譜学」
『ユリイカ』2004年9月号
「僕のビートルズ」
『サンデー毎日』2016年6月28日号
「ペットサウンズの思い出」
『大人のロック!』2008年夏号
「音楽との対話」
ブログ『内田樹の研究室』2007年5月17日
http://blog.tatsuru.com/2007/05/17_1019.html
「ジープヘッド・ベイの夜明け」
ブログ『内田樹の研究室』 2008年4月18日
http://blog.tatsuru.com/2008/04/18_2054.html
を読みました。
「60年代、僕[1950年9月30日生まれ]は熱心なビーチ・ボーイズ・リスナーではなかった。ラジオではよくかかっていたし、レコードを借りて聴いたこともある。
でも、自分では買わなかった。僕はビートルズやマイルスやコルトレーンのアルバムを買っていたからだ。
ビーチ・ボーイズはそれらの音楽に比べるとずいぶん微温的なものに思えた。時代はもっとぴりぴりした、もっと批評的なものを求めていたし、僕は時代の風儀にたいへん忠実な子どもであった。」
p.216「ペットサウンズの思い出」
「僕は[25歳で1976年に]結婚した。
妻[平野冴子(平野三郎 1912.3.23-1994.4.4 元岐阜県知事、元衆議院議員(自民党大野派)・次女 1947年生まれ)]
http://teppitsu.blogspot.com/p/blog-page_8.html
は僕の中にある「ビーチ・ボーイズ的なもの」をあまり評価してくれなかった。僕は彼女と暮した15年間、ビーチ・ボーイズを封印した。
1989年に彼女は去り、僕は幼い娘と残され、同居者の許可を得ることなしに音楽をかける権利を回復した。その最初の週にビーチ・ボーイズのヒットソングを収めた二枚組CDを買った。それから二年間ほど僕はビーチ・ボーイズとモーツァルトだけを音楽的滋養にして生きていた。
12年後に成長した娘が家を出るときに、「これ、ちょうだい」と言ってその二枚組CDを持っていった。その音楽は彼女にとって「子守歌」のようなものだったからだ。僕は『ペットサウンズ』のCDを買った。発売されてから35年が経っていた。」
p.217「ペットサウンズの思い出」
1955年1月生まれな私も、
高校生の頃(1970-73)、
「ビートルズやマイルスやコルトレーンの
アルバムを買って」いました。
ストーンズやキング・クリムゾンも。
当時読んだ、
片岡義男編訳『ロックの時代』晶文社 1971
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J92YKG
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=337754100
で、ブライアン・ウィルスンと
『ペットサウンズ』について知りましたけど、
まったく聴きませんでした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Pet_Sounds
https://www.youtube.com/watch?v=Mh_yhTyae08
読書メーター
内田樹の本棚(登録冊数24冊 刊行年月順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091557
https://note.com/fe1955/n/na4445be3cde9
内田樹(1950.9.30- )
石川康宏(1957.3.28- )
『若者よ、マルクスを読もう
III アメリカとマルクス 生誕200年に』
かもがわ出版 2018年9月刊
286ページ
鹿島茂 (1949.11.30- )他
『この1冊、ここまで読むか!
深掘り読書のススメ』
祥伝社 2021年2月刊
鹿島茂・内田樹
「『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』」
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