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中村とうよう(1932.7.17-2011.7.21)・田中勝則(1959- )『ヴィヴァ! ボサノーヴァ 『ミュージック・マガジン』1998年9月増刊号』ミュージック・マガジン 1998.9  田中勝則『中村とうよう 音楽評論家の時代』二見書房 2017.6  Elizeth Cardoso (1920.7.16-1990.5.7) "Barracao" "Manha de Carnaval"

中村とうよう(1932.7.17-2011.7.21)
田中勝則(1959- )
『ヴィヴァ! ボサノーヴァ
『ミュージック・マガジン』1998年9月増刊号』
ミュージック・マガジン 1998年9月刊 176ページ
購入年月日・書店 不明
2017年12月4日再読
http://musicmagazine.jp/published/mmex-199809vb.html

http://diskunion.net/latin/ct/detail/WOR23731 

「粋でオシャレでクール。
軽妙な躍動感に潜むブラジル音楽の豊饒を100枚のCDで

<もくじ>
はじめに(中村とうよう)
ボサノーヴァ年表/ポルトガル語の表記について(中村とうよう)
ボサノーヴァ誕生の背景(中村とうよう)
ボサノーヴァをめぐる、さまざまな人間模様(国安真奈)
創始者ジョビンの音楽的なルーツ(田中勝則)
[インタヴュー]
ロベルト・メネスカールが語るボサノーヴァの自然さ(聞き手=田中勝則)
ボサノーヴァの本質(対談=田中勝則×中村とうよう)
海外に浸透し、多様化したボサノーヴァ(中原仁)
ボサノーヴァ以後のブラジル音楽シーン(竹村淳)
ボサノーヴァ、ブラジル、そして日本への想い(小野リサ)
CD BEST 100[選盤=中村とうよう]
(五十嵐正、板橋純、北中正和、切石智子、栗原英樹、笹子重治、真保みゆき、高橋研二、竹村淳、田中勝則、中原仁、中村とうよう、祢屋康、原田尊志、深沢美樹、松永記代美、山本幸洋、若杉実)
あとがき(中村とうよう)
グループ名・人名索引」

https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=377288355


ヴィニシウス・ヂ・モライス(Vinícius De Moraes 1913.10.19-1980.7.9)
トン・ジョビン(Antonio Carlos Jobim 1927.1.25-1994.1.28)
ジョアン・ジルベルト(João Gilberto 1931.6.10-2019.7.6)
ナラ・レオン(Nara Leao 1942.1.19-1989.6.7)
マリア・ベターニア(Maria Bethania 1946.6.18-)
等々のCDを次々に買っては聴いていた頃
(たぶん2000年頃?)
に読んだ本を久しぶりに再読。

「CDベスト100」の内、20枚以上持ってます。
当時はまだユーチューブなんてなかったので、
中古レコード屋で毎週漁ってました。
Napster も利用してたかなぁ。

監修=中村とうよう
協力=田中勝則
と記載されていますけど、お二人の共編著でしょう。

「まずはとうようさんと二人だけで編集会議、
とうようさんとぼくの間で原稿の書き分け分担をまず決めて、
さらに何人かの筆者の皆さんに依頼する算段を考えた。

同時に「CDベスト100」のセレクトもしたのだが、
さすがにいま見るとまだボサ・ノーヴァのCDが
さほど出ていない時期に選ばれたリストという感じ。

それでも依頼した原稿はどれもしっかり書かれているし、
とうようさんとぼくとの20ページ近くに及ぶ対談なんて、
いま読んでもかなり面白い。

この時点ではとうようさんだけでなく
ぼくもブラジル音楽にノメリ込んでいたわけでなく、
ちょっと距離を置いて見ていたせいで、
ボサ・ノーヴァのルーツになった30年代サンバなども含めて
ブラジル音楽を深く掘り下げながらも、
ちゃんと自制心が働くのでマニアックな話に終わらず、
ボサ・ノーヴァの本質はもちろん、
ブラジル音楽全体、
さらにはポピュラー音楽全体の本質にまで辿りつこうとしている。
 … 
とうようさんは自分がブラジル音楽に関わるのはこれが最後だと、
編集中から何度も言っていた。
どうしてもぼくに協力してもらいたかったのはそのせいだったようだ。

60年代にボサ・ノーヴァとの出会いではじまった
とうようさんのブラジル音楽との関わりは、
結局そのボサ・ノーヴァに戻って締めくくられたことになる。」
田中勝則『中村とうよう 音楽評論家の時代』
p.498「第14章 20世紀のポピュラー音楽を総括 4 『ヴィヴァ! ボサノーヴァ』」

田中勝則『中村とうよう 音楽評論家の時代』
広島市 大和プレス(発行)
二見書房(発売) 2017年6月刊
2017年11月19日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4576171003


「音楽評論家は20世紀をどう生きたのか?
『ニューミュージック・マガジン』(現在の『ミュージック・マガジン』)と『レコード・コレクターズ』を創刊。ラテン音楽、フォークからロック、ブルース、ブラック・ミュージック、そしてワールド・ミュージックと、多彩な音楽に関わり、日本のポピュラー音楽評論の基盤を築き上げた中村とうようの人生を追う。

「この本は、単に中村とうようなりポピュラー音楽が熱かった時代を回顧しようと思って書いたわけではない。中村とうようという男の生涯を追いながら、音楽評論という新しい文化はいったいなんだったのか、そして彼が一生をかけて語ってきたポピュラー音楽というのはいったいどういう音楽だったのかを、ひとつひとつ具体的に見つめ直そうと思って書いた。」 (まえがきより)

1960年代中頃から20世紀を通じて、日本におけるポピュラー音楽の音楽評論の分野を牽引してきたのが中村とうよう(1932-2011)さんでした。

特に69年に『ニューミュージック・マガジン』を創刊してからは、自身の雑誌という確固たる評論の場を持つという、日本独自の評論スタイルを打ち出し、 さらにスケールの大きな活動をしてきました。そんな中村とうようさんの歩みは、戦後になって確立した新しい職業である「音楽評論」という分野の歩みそのものと言えそうです。

この本は、そんな中村とうようさんの生涯を追いながら、日本独自の音楽評論をどのように確立してきたかを追った内容です。 と同時に、日本の戦後において、ポピュラー音楽なるものがどのように浸透していったのか、その過程も克明に知ることができます。

フォークやロックをリアル・タイムに聞いてきた団塊世代にはもちろん、世界中のポピュラー音楽を幅広く聞く現代の若者まで、幅広い世代に読んでいただきたい1冊です。

1 音楽評論家の突然の死
2 京都府峰山町で過ごした少年時代
3 京都大学時代にポピュラー音楽に目覚める
4 さらに音楽にハマった東京での銀行員時代
5 苦しかった下積み時代
6 新人評論家、フォークと格闘する
7 『ニューミュージック・マガジン』編集長時代
8 ブラック・ミュージックへの道
9 燃え広がるブラック・ミュージック
10 『ニューミュージック・マガジン』から『ミュージック・マガジン』へ
11 大衆音楽の真実が見えてきた
12 ワールド・ミュージックへの道
13 「名誉会長」になっても続く制作意欲
14 20世紀のポピュラー音楽を総括
15 透徹した音楽観に辿りついた晩年
16 武蔵野美術大学での最後の仕事

田中勝則(たなかかつのり)
1959年、東京都生まれ。慶応大学中退。
1981年に『ニューミュージック・マガジン』で評論家デビュー。85年からブラジルで伝統的なサンバ音楽たちの録音をプロデュース。
本国をはじめ、アメリカやフランスなどでも発売されて好評を得る。また90年前後からはインドネシアなどアジアの音楽もプロデュース。
評論家としてもワールド・ミュージックの記事やレコード解説を幅広く執筆。
1997年からは自身のレーベルであるライス・レコードを立ち上げて、ワールド関係の最先端音源をリリースする一方、新録とSP復刻の両分野で自社制作盤を発表。
2013年からはフリーに戻って、武蔵野美術大学で中村とうよう展を企画・制作する一方、幅広く執筆活動とCD制作を手がけている。」

中村とうようさん(1932.7.17-2011.7.21)の評伝、
585ページの分厚い本を十日かかって読了。
とうようさんの五十年にわたる業績を駆け足でたどって、
頭がくらくらしてます。

無い物ねだりですけど、年譜・著書一覧・索引も欲しかった。

立川市曙町の都立北多摩高校に入学した1970年、
ロックファンの級友に教わって、
前年に創刊されていた
『ニューミュージック・マガジン』を毎月読むようになり、
とうようさんから色々なことを学びました。

大学を卒業して以降はほとんど読んでいませんでしたから、
とうようさんの業績について知らないことばかりな内容で、
読み応えたっぷりな本でした。

明治大学文学部学生の最後の年、
1977年7月30-31日の深夜、同級生(→妻)と一緒に行った、
高円寺の次郎吉で行われた
長谷川きよし・平岡正明・中村とうよう
「サンバ、サンバで三番電車まで」
というオールナイト・ディスクジョッキー
(『ニューミュージック・マガジン』1977年9月号 p.46-62)
https://www.suruga-ya.jp/product/detail/ZYAA7709

で、
エリゼッチ・カルドーソ(Elizeth Cardoso 1920.7.16-1990.5.7)
https://ja.wikipedia.org/wiki/エリゼッチ・カルドーゾ
https://www.wikiwand.com/en/Elizete_Cardoso
の歌う「バラコン」を初めて聴いたなぁ。

Elizeth Cardoso, Jacob do Bandolim e Zimbo Trio
"BARRACAO"
"CAROLINA" (1968.2.19)
Ao Vivo no Teatro Joao Caetano
https://www.youtube.com/watch?v=U0dsq1LxXZk



Elizeth Cardoso, Jacob do Bandolim e Zimbo Trio
"ATE AMANHA"
"CARINHOSO"
"ESTA CHEGANDO A HORA" (1968.2.19)
Ao Vivo no Teatro Joao Caetano
https://www.youtube.com/watch?v=agwOboXl-oo


https://ja.wikipedia.org/wiki/エリゼッチ・カルドーゾ
「1968年2月19日のジョアン・カエターノ劇場における、ジャコー・ド・バンドリン、エポカ・ジ・オウロ、ジンボ・トリオとの共演は歴史的なショーとして知られる。この日の夜、リオは激しい豪雨に見舞われた。ショーの主催者たちは悪天候からチケットの売れ行きが思わしくなく心配していたが、ショー開始直前に豪雨が止み、満天の星となると、彼らの競演を見聴きしようと集まった観客で満席となった。このショーは音源化され発売されており、どれも素晴らしいといわれるが、特にジャコーの演奏でエリゼッチが“Barracão”を歌うあたりで最高潮となる」

Elizeth Cardoso, Zimbo Trio e Jacob do Bandolim
ao vivo no Teatro Joao Caetano (1968.2.19)
Vol. 1 [Full Album] 1:18:08
https://www.youtube.com/watch?v=0v8DBzW1Gkk&t=1006s


Elizeth Cardoso, Zimbo Trio e Jacob do Bandolim
ao vivo no Teatro Joao Caetano (1968.2.19)
Vol. 2 [Full Album] 1:10:45
https://www.youtube.com/watch?v=FzE7mxGm50k&t=14s


Elizeth Cardoso
"Manha de Carnaval" (1977)
Elizeth Cardoso sings Manha de Carnaval, from Live in Japan
https://www.youtube.com/watch?v=R19Lr_oMgSc


とうようさんの著書を私は一冊しか持っていないないのですけど、
それが偶然、本書の著者・田中勝則さん(1959年生まれ)との共著、

『ヴィヴァ! ボサノーヴァ(『ミュージック・マガジン』1998年9月増刊号)』
なので、読み直しました。

「[2011年7月18日武蔵野美術大学で]折田育造さんとぼくがいるのを見て、ああ、来てくれたんだ、ありがとう、とわざわざお礼を言った。
ぼくはこんなことで礼を言うとうようさんをはじめてみた。

とうようさんが自宅マンション[立川市柴崎町2丁目]から飛び降りて亡くなったのは、それからたった3日後である7月21日のことだった。その間、ぼくが知る限り、とうようさんと会った人はひとりもいない。たったひとりですべてを決めて、決行したらしい。
 … 
最後の[『ミュージック・マガジン』連載]「とうようズ・トーク」
「ぼくは今や79歳の老人。老人の生き方の問題って人それぞれで、一般論で語れる部分ばかりじゃないんですね。

でも自分ではっきり言えますよ。ぼくの人生は楽しかった、ってね。この歳までやれるだけのことはやり尽したし、もう思い残すことはありません。

最後の夜が雨になってしまったのがちょっと残念だけど、でもあたりにハネ飛ぶ汚物を洗い流してくれるんじゃないかって、思ってます。実はこのマンションを買ったとき、飛び降りるには絶好の形をしてると思ったんですよ。

という訳なので、読者の皆さん、さようなら。中村とうようというヘンな奴がいたことを、ときどき思い出してください。」

とうようさんは小雨の降る立川の自宅マンション[8階]のベランダから飛び降りた。全身打撲の即死。腰から先に落ちたらしく、その後に頭を打ったのか、血は流れていたものの、顔はきれいに残されており、本人が心配したような汚物が飛び散ることにはならなかった。お葬式では、とても整った死に顔を見せていた。」
p.570「第16章 武蔵野美術大学での最後の仕事 8 燃え尽きて自死」

読書メーター ブラジル音楽の本棚(登録冊数21冊)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091255

https://note.com/fe1955/n/nf9910dee5673
セルジオ・カブラル 『ナラ・レオン 美しきボサノヴァのミューズの真実』
荒井めぐみ訳 ブルース・インターアクションズ 2009.12
坂尾英矩『ボサ・ノーヴァ詩大全』中央アート出版社 2006.7
Elizete Cardoso (1920.7.16-1990.5.7)
"Apelo" (1966)
"Chega de saudade" (1958)


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