見出し画像

津野海太郎(1938.4.6- )『ジェローム・ロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り』平凡社 2008.6  『したくないことはしない 植草甚一の青春』新潮社 2009.10  『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』新潮社 2013.11  『本の雑誌』2021年4月号 特集 津野海太郎の眼力  「平野甲賀の青春」『芸術新潮』2021年8月号  『編集の提案』黒鳥社 2022.3


津野海太郎『ジェローム・ロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り』
平凡社 2008年6月刊
2008年7月27日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4582834000
小学館文庫 
 2011年11月刊
https://www.amazon.co.jp/dp/4094086609

「「ウエスト・サイド物語」の巨匠は臆病な“密告者”だったのか?
『滑稽な巨人』(第22回新田次郎文学賞)の著者がさぐるアメリカ・ミュージカルの輝く光と深い影。」

「ショウビズ界の巨匠はなぜ密告者になった?
『踊る大紐育』『王様と私』『ウエスト・サイド物語』『屋根の上のバイオリン弾き』……。ブロードウェイ、ハリウッドの歴史に燦然と輝く数々の名作を生み、バレエ、ミュージカル界の巨匠として知られる振付家ジェローム・ロビンス。しかし彼が米国中に吹き荒れた「赤狩り」の嵐の標的となった末、かつての同志8人を名指しした「密告者」であったことは、あまり知られていない。
1998年夏、彼の訃報に触れた著者はそこで初めてこの事実を知る。幼少のころに衝撃を受けた、映画『踊る大紐育』の底抜けの明るさとは対極にある、彼の暗く重い過去。なぜ彼は密告者となったのか?
ロビンス自身が亡くなるまで沈黙を守ったというこの事実に疑問を抱いた著者は、さまざまな資料を駆使してその真相に迫っていく。やがてその背景に、人種、同性愛といった、当時の米国ショウビズ界が抱えるさまざまな問題が見えてくるーー。
アメリカ映画・演劇界の光と影を浮き彫りにした、平成20年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞の傑作ノンフィクション、待望の文庫化。

【編集担当からのおすすめ情報】
装丁は映画監督としても活躍される和田誠さん、解説は評論家で映画についての著作も多い川本三郎さんです。

目次
第1章 ジェローム・ロビンスが死んだ
 底ぬけの幸福感の記号 裏切りの記憶
第2章 非米活動委員会での証言
 振付家でダンサーです naming names ほか
第3章 ニューヨークのユダヤ青年
 三重のマイノリティ ユダヤ人移民の子 ほか
第4章 踊る水兵
 わが友バーンスタイン 同性愛とナショナリズム ほか
第5章ミュージカル映画、街へ
 ジーン・ケリー登場 世界劇場ニューヨーク ほか
第6章 密告前後
 愛人モンゴメリー・クリフト 脅迫 ほか
第7章 地獄の底か
 四十五年間の沈黙」

平凡社『月刊百科』連載。

ジェローム・ロビンス
(Jerome Robbins 1918.10.11-1998.7.29)は
ミュージカルの演出家・振付家。
代表作は、
『踊る大紐育』 1944
『王様と私』 1951
『ウエスト・サイド物語』 1957 等
https://en.wikipedia.org/wiki/Jerome_Robbins
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェローム・ロビンズ

本書巻末には13ページもある索引が付いていて
索引が必要なほど登場人物が多いのですが、
1940〜1950年代の
米国下院非米活動委員会による赤狩りという時代を
ジェローム・ロビンスを中心に描いています。

50年前のハリウッド映画やミュージカルに
興味があれば、とても面白い本です。

「本書は、この現代アメリカを代表するダンス界の巨匠の政治的裏切りという、いかにも20世紀的な暗いできごとがなぜ生じてしまったのかをさぐるミステリー小説ふうの仕組みになっている。

ロビンスの盟友レナード・バーンスタインやカムデン&グリーンの脚本家コンビはもとより、ジーン・ケリー、ダニー・ケイ、モンゴメリー・クリフト、エリア・カザン、ゼロ・モステル、はてはブレヒトやクルト・ヴァイルにいたる多彩な人びとが、大恐慌とニューディールから米ソ冷戦下のマッカーシズムへとつづく一本の糸につながって、20世紀史の裏面からぞろぞろとひきだされてきた…」
p.334 あとがき

カムデン&グリーンのコンビは
ミュージカルの脚本家で、
映画では
『踊る大紐育』 1949
『雨に唄えば』 1952
『バンド・ワゴン』 1953
等々を書いています。
和田誠さんによる、
この二人へのインタビューを読んだ記憶がありますけど、
どの本に収録されていたのか書名を思い出せません。
ゼロ・モステルは俳優です。
https://www.allcinema.net/person/3468
https://www.allcinema.net/person/3467

https://www.allcinema.net/person/39384

津野海太郎(1938.4.6- )
『したくないことはしない 植草甚一の青春』
新潮社 2009年10月刊
2009年12月8日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4103185317

「下町の木綿問屋に生まれた甚一少年は、いかにしてJJ氏となったのか? 
百年前に生まれた、日本一POPな男。外国に行ったこともないのにニューヨーカーみたいで、貧乏なのにお洒落、若者を夢中にさせた老人―。
J.J氏の知られざる前半生を、名編集者が明かす。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/植草甚一

目次
序 買物をするファンキー老人
図録 ぼくは散歩と雑学がすき
第1章 下町の商人の息子
第2章 前衛かぶれ
第3章 銀座のモダン青年
第4章 第二の青春雑誌

『東京人』2008年秋から五回連載
「植草甚一の青春散歩」を大幅に改稿、
四倍の量になった本。

私は学生の頃(1973-77)、
晶文社から刊行されていた
植草甚一(1908.8.8-1979.12.2)
の映画やジャズやミステリに関する本を読んで楽しんでいました。

「七十年代にはいり、植草人気がジャズの世界をこえて、ふつうの若者のあいだにまでひろがってゆく。そこから「仙人」や「教祖」化まで、あっというまのできごとだった。

あのいきおいを、いまの目で、もういちどたしかめておきたい。そう考えて大宅壮一文庫の雑誌記事索引でしらべてみたら、没後のものをふくめて95本の関連記事がみつかった。

なかでもっとも早いのが
『日本読書新聞』1961年4月3日号にのった
「人物スケッチ」というコラムで、
筆者は丸谷才一[1925.8.27-2012.10.13]。
意外でしょう。私もびっくりした。

丸谷は、のちに両国回向院での告別式で
葬儀委員長の淀川長治とならんで弔辞を読んだほど、
植草さんとしたしいつきあいがあった。

そのことはもちろん承知していたけれども、
しかし大宅文庫の目録で植草さん関係のトップに
丸谷さんがでてくるとはね。そこまでは予想していなかった。

「植草甚一の本質は何か? 小説の読者だ、とぼくはかねがね思っている。そう、最も洗練された趣味と最も貪婪な読書欲をあわせもつ、小説の読者。
菅原孝標の女にはじまる系譜の輝かしい末裔は、東京中の本屋を毎日のように歩きまわる、この小柄な男なのである。海外の新しい小説を植草さんよりも多く読んでいる人を、ぼくは知らないのだ。」」
p.33「 序 買物をするファンキー老人」

丸谷才一の登場に私もびっくりしました。
丸谷才一は1925年生まれですから、
上記の文章は35歳位の頃でしょうけど、
当時からいかにも丸谷才一らしい文体で書いていますねぇ。

津野海太郎の本を読むのは、
『ジェローム・ロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り』
平凡社 2008.6
『おかしな時代 『ワンダーランド』と黒テントへの日々』
本の雑誌社 2008.10
に続けて、これで三冊目でした。次は

『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』
平凡社 2002.12
を読んでみようと思っています。

追記 まだ読んでません。

津野海太郎(1938.4.6- )
『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』
装幀 平野甲賀
新潮社 2013年11月刊
2014年1月21日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4103185325
新潮文庫 2016年2月刊 解説 中野翠
https://www.shinchosha.co.jp/book/120281/
https://www.amazon.co.jp/dp/4101202818

「全盛期には100万部を超えた国民雑誌『暮しの手帖』。社長・大橋鎭子(しずこ)と共に会社を立ち上げた創刊編集長・花森安治は天才的な男だった。高校時代から発揮した斬新なデザイン術、会う人の度肝を抜く「女装」、家を一軒燃やした「商品テスト」。ひとつの雑誌が庶民の生活を変え、新しい時代をつくった。その裏には、花森のある決意が隠されていた――。66年の伝説的生涯に迫る渾身の評伝。
目次
序 『暮しの手帖』が生まれた街
第一部
第一章 編集者になるんや
第二章 神戸と松江
第三章 帝国大学新聞の時代
第二部
第四章 化粧品で世界を変える
第五章 北満出征
第六章 ぜいたくは敵だ!
第七章 「聖戦」最後の日々
第三部
第八章 どん底からの再出発
第九章 女装伝説
第十章 逆コースにさからって
第四部
第十一章 商品テストと研究室
第十二章 攻めの編集術
第十三章 日本人の暮らしへの眼
第十四章 弁慶立ち往生
あとがき/引用文献/花森安治略年譜・書誌/図版提供」

新潮社の季刊誌
『考える人』2010年夏号~2012年秋号連載を大幅に加筆・修正

もう五十五年以上前、
小学生の頃から、母の本棚に並んでいる
『暮しの手帖』を読む(眺める)のが好きでした。

私が大学を卒業する年(1978年)の1月14日(私の誕生日)に
花森安治が66歳で亡くなったことを知った時には驚きました。
もっと年配の方だと思っていましたから。

花森安治(1911.10.25-1978.1.14)
https://ja.wikipedia.org/wiki/花森安治

明治大学文学部卒業、
聖心女子大学図書館就職と
同時に結婚して、
藤城清治が表紙を描いていた
『暮しの手帖』を毎号買っていたなぁ。

「革新的な(と見えた)、長身の「青年公爵」近衛文麿をシンボルに、既成の財閥や政党や官僚組織を解体し、「上御一人(かみごいちにん)」のもとでの強力な国民組織をつくりあげて、腐敗した政党政治の清算や富の平均化や健全な雇用関係や手厚い社会福祉を実現しようという「新体制」にむけた動きがつよまっていった。

そして1940年7月に第二次近衛内閣が成立、同内閣による新体制準備会をへて十月、大政翼賛会が発足する。」p.138

「1941年(昭和16年)の春、花森安治は伊東胡蝶園をやめて、発足してまもない大政翼賛会宣伝部に転職した。」p.143

「いま大政翼賛会ときくと、私たちは反射的に、一国一党のナチス型全体主義国家による強力な統制機関のイメージを思い浮かべる。つまり暗いイメージ。しかし、発足時のイメージはかならずしもそうではなかった。

1936年の二・二六事件、翌37年の盧溝橋事件と、先の見えない閉塞感のうちに閉じこめられていた日本人の多くは、大政翼賛会による「新体制」実現を旗印にかかげた第二次近衛内閣の登場を、どちらかというと熱狂的に迎えたらしい。花森安治も例外ではなかった。」
p.144「ぜいたくは敵だ!」

「民主主義の <民> は 庶民の民だ
僕らの暮しを なによりも第一にする ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ」
p.284
花森安治「見よぼくら一銭五厘の旗」
『暮しの手帖』2世紀8号(1970年10月発行)
(題名の「銭」という字は、実物では「戔」のようです。)


『本の雑誌』2021年4月号
特集 津野海太郎の眼力
本の雑誌社 2021年3月11日発売
2021年4月24日読了
2021年5月12日購入 アマゾン880円
https://www.webdoku.jp/honshi/2021/4-210303134205.html
https://www.amazon.co.jp/dp/4860115163

「特集 津野海太郎の眼力
伝説の大判雑誌「ワンダーランド」を創刊し、ブローティガンを日本に紹介した名編集者にして、黒テントを立ち上げた演劇人。
日本のサブカルチャーを先導した津野海太郎とはいったい何者なのか!? というわけで、本の雑誌4月号の特集は「津野海太郎の眼力」。
ロングインタビューから、八十歳の読書術、津野海太郎をつくった本に津野海太郎がつくった本、そして朋友盟友十三人の「私が知っている津野海太郎」に年譜まで、傘寿を迎えた今も眼光鋭いサブカルの巨人に迫る緊急特集なのだ!
インタビュー/厄介なやつほど面白い! 佐久間文子
おそれても、それほどはおそれない──八十歳の読書術 津野海太郎
津野海太郎がつくった本25冊+3
私が知っている津野海太郎
平野甲賀/片岡義男/小沢信男/室 謙二/高橋悠治/佐藤 信/南陀楼綾繁/疇津真砂子/目黒考二/斉藤典貴/鈴木百合子/髙平哲郎/黒川 創
津野海太郎年譜 川口則弘」

https://kataokayoshio.com/news/news_2021_0309_02
萩野正昭「『アデン・アラビア』から『植草甚一スクラップ・ブック』まで。ポール・ニザンに痺れる若者はいずこへ行ってしまったのか。どうぞ『本の雑誌』をお手にとりください。」

『本の雑誌』を福岡市総合図書館から借りて、
初めて手にして読みました。

1938年4月6日生まれな津野海太郎さんの連載単行本化、
『おかしな時代 『ワンダーランド』と黒テントへの日々』
本の雑誌社 2008.10
『百歳までの読書術』
本の雑誌社
 2015.7
https://note.com/fe1955/n/n818f98daca0d

を刊行当時に読んでますから、
巻頭44ページ「特集 津野海太郎の眼力」を熟読。
読み終えてすぐアマゾンに注文。

1982年初夏・四谷イグナチオ教会での
明治大学文学部恩師小野二郎先生葬儀でしか見たことのない、
平野甲賀さん(1938-2021.3.22)による
「あの頃」p.32

小沢信男さん(1927.6.5-2021.3.3)の
「津野海太郎さんと新日本文学」p.33-34
を読んで、
「人はひとりで死ぬのではない。おなじ時代をいっしょに生きた友だちとともに、ひとかたまりになって、順々に、サッサと消えてゆくのだ。現に私たちはそうだし、みなさんもかならずそうなる。友だちは大切にしなければ。」
『百歳までの読書術』
p.229「友だちは大切にしなければ」
を思い出してしまいました。
1955年1月生まれの私も
「かならずそうなる」んだなぁ。

津野海太郎『最後の読書』新潮社 2018.11
https://note.com/fe1955/n/n818f98daca0d
刊行後も続いているWeb連載の最新回が、

https://kangaeruhito.jp/article/47304
2021年2月22日 35 わが人生の映画ベスト10 その2
以降、更新されていなくて心配です。

追記
https://kangaeruhito.jp/article/293298
2022年2月24日 36 わが人生の映画ベスト10 その3(最終回)

「2020年 「映画ベスト10」を選ぶため、
春から半年で二百本近くの映画を見る」
p.44「津野海太郎年譜(作成・川口則弘)」

『芸術新潮』2021年8月号
第2特集 平野甲賀
新潮社 2021年7月21日発売
2022年5月27日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/B098H3MYCD
https://www.shinchosha.co.jp/geishin/backnumber/20210721/

平野甲賀(1938-2021.3.22)
津野海太郎(1938.4.6- )
「平野甲賀の青春」p.123-126

「私が晶文社に籍をおいたのは1964年から1998年までの34年間。
もしも「そこでのおまえの最大の功績は?」と問われたら、
「平野甲賀を晶文社に引っ張ってきたこと」と、
ためらうことなく答える。」p.124

1955年生まれの私は、
高校生の頃(1970-73)から
晶文社(小野二郎先生 明治大学文学部恩師
1929.8.18-1982.4.26 が1960年に友人と創業)
の本を手にしてきました。

1938年生れな二人(編集者・デザイナー)が作り出した
斬新な書籍を、20歳ほど若い読者は、
それを、今までには無い新しいものだとは知らずに、
それが普通の・当たり前の本なのだとしか思わずに、
本を読み始めていた…、のだなぁ。

「平野の没後、小林信彦[1932.12.2- ]が
『週刊文春』のコラム「本音を申せば」で、
1972年刊の『日本の喜劇人』以来、じぶんの本の装丁を担当しつづけてくれた「平野さんの文字はなんというか、独特の(手工芸的と私は思う)形容しようもないもので、私が五十年弱も頑張ってこれたのはこのおかげもあると固く信じている」としるしていた。」p.125

私は、あの「独特の描き文字」自体を、
あまり好きではありませんでしたけど、
大嫌いという訳でもなく、
晶文社の本の看板スタイルと思い込んでました。
…が、いつの間にか気づいたら、
平野甲賀スタイルの本が
色々な版元から出版される時代になっていました。


津野海太郎(1938.4.6- )
『編集の提案』宮田文久編
黒鳥社 2022年3月刊 256ページ
2022年4月30日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4991126088

「社会のなかにはきっと、「編集」がなしうることがある。そのヒントは、伝説の編集者・津野海太郎がつづってきた文章にひそんでいる――。
晶文社での活動をはじめ出版文化の重要人物でありつづけ、テント演劇の時代からコンピュータの世紀までを駆け抜けてきた著者による、過去を携え、現在と共に呼吸し、未来を見すえる編集論集。

【目次】
編者によるまえがき
第1章 取材して、演出する ほんのかすかでもいい、かれと私とをふくみもつ、しかも、かれや私をこえたものの声が聞こえてくればうれしい
テープ起こしの宇宙/座談会は笑う/初歩のインタビュー術/雑誌はつくるほうがいい
第2章 人とかかわる、固定観念を脱する 「そういうのじゃない雑誌のつくり方はないのかな」
太い指とからっぽの部屋/植草甚一さんの革トランク/編集者としての植草甚一/雑誌のロンサム・カウボーイ
第3章 テクノロジーと歩む コンピューターの世界にもいろんな裂け目がある。裂け目は固定的なものではなく、ひろがったり、ちぢまったり、動的に再編成されている
シロウトがつくったマニュアル/フランケンシュタインの相対性原理/パソコン通信で対話できるか
第4章 変化を編集する、編集することで変わる 新しい本のかたちが生まれる場所にはなんらかの民衆的な運動がある
本の野蛮状態のさきへ/森の印刷所/「世界の書」――アジアの髄からマラルメをのぞく
第5章 複製技術は時を超える いまあるオリジナルの自分が消滅し、それがゆっくりと未来の世界のうちにとけこんでいく
印刷は編集の敵にあらず/子ども百科のつくりかた/晩年の運動/編集者というくせのゆくえ
あとがきにかわるディスカッション(津野海太郎×若林恵×宮田文久)」
宮田文久「実用本位の夢 編者によるまえがき」

1938年4月6日生まれ早稲田大学第一文学部国文科
1962年卒業『新日本文学』編集部
1965年晶文社入社な津野海太郎さんが
1977~2001年に発表した文章18篇と
宮田文久「実用本位の夢 編者によるまえがき」p.7-12 と
津野海太郎・若林恵・宮田文久「鼎談・星座をつくりたい」p.235-255

底本以下四冊
『小さなメディアの必要』晶文社 1981.3
『歩く書物 ブックマンが観た夢』リブロポート 1986.5
『本はどのように消えてゆくのか』晶文社 1996.2
『読書欲・編集欲』晶文社 2001.12

1955年生まれの私は
四冊が刊行された時点で知っていましたけど、
一冊も読んでいませんでした。

津野海太郎さんは、私の明治大学文学部卒論指導担当教授・
小野二郎先生(1929-1982)
https://ja.wikipedia.org/wiki/小野二郎
が、1960年に中村勝哉さん(1931-2005)と
創業した晶文社の最初の社員~編集長でした。

小野先生の葬儀(享年52 四ツ谷イグナチオ教会)で
平野甲賀さん(1938-2021.3.22)と
立ち話をしているのを見かけたことを憶えています。

「[編集の仕事を]きちんと教わったことはないです。
私を晶文社に引き込んだ小野二郎という人物は、
すぐれたウィリアム・モリス学者でもあったから、
モリス流儀の版面設計といった教育は漠然と受けたけど、
実践的なビジュアルのセンスは、あまりない人でしたからね。
印刷所に原稿を渡すときの指定なんか、
そこらへんにある紙に「何ポイントで何行」
と殴り書きするだけ(笑)。」p.242

小野先生は
1962年新日本文学会入会(武井昭夫(1927-2010)推薦)、
1970年『新日本文学』編集長。

以下、発表年月順。
「子ども百科のつくりかた」
『花田清輝全集 第5巻』月報 講談社 1977年12月、
『グラフィケーション』1978年11月号
『小さなメディアの必要』晶文社 1981.3

「森の印刷所」
『月刊エディター・本と批評』1978年11月号
『小さなメディアの必要』晶文社 1981.3

「太い指とからっぽの部屋 [平野甲賀]」
『デザイン』1979年5月号
『小さなメディアの必要』晶文社 1981.3

「本の野蛮状態のさきへ」
『グラフィケーション』1980年3月号、
『月刊アドバタイジング』1981年2月号
『小さなメディアの必要』晶文社 1981.3

「雑誌のロンサム・カウボーイ [片岡義男]」
『月刊エディター・本と批評』1980年4月号
『小さなメディアの必要』晶文社 1981.3

「植草甚一さんの革トランク」
『舢板』1983年[夏]第2号
https://ci.nii.ac.jp/ncid/AN00110050
「San pan サンパン エディトリアルデザイン研究所」
『歩く書物 ブックマンが観た夢』リブロポート 1986.5

「晩年の運動」
『凱風』No.7 1983年9月
『歩く書物 ブックマンが観た夢』リブロポート 1986.5

「雑誌はつくるほうがいい」
『言語生活』1983年11月号
『歩く書物 ブックマンが観た夢』リブロポート 1986.5

「「世界の書」――アジアの髄からマラルメをのぞく」
『日本読書新聞』1984年1月23日
『歩く書物 ブックマンが観た夢』リブロポート 1986.5

「テープ起こしの宇宙」
『新日本文学』1985年12月号
『歩く書物 ブックマンが観た夢』リブロポート 1986.5

「初歩のインタビュー術」
『思想の科学』1989年12月号
『読書欲・編集欲』晶文社 2001.12

「印刷は編集の敵にあらず」
1994年6月 大日本印刷課長研修会講演
『本はどのように消えてゆくのか』晶文社 1996.2

「フランケンシュタインの相対性原理」
室謙二・津野海太郎『コンピューター文化の使い方』思想の科学社 1994.9
『本はどのように消えてゆくのか』晶文社 1996.2

「編集者というくせのゆくえ」
『飛ぶ教室』52号 1994年12月
『読書欲・編集欲』晶文社 2001.12

「座談会は笑う」
『図書』1995年1月号
『読書欲・編集欲』晶文社 2001.12

「パソコン通信で対話できるか」
『ひと』1995年7月号
特集「書くことと繋がること フレネ教育・生活綴り方・コンピューター」
『本はどのように消えてゆくのか』晶文社 1996.2

「シロウトがつくったマニュアル」
『月刊言語』1997年5月号
『読書欲・編集欲』晶文社 2001.12

「編集者としての植草甚一」
『彷書月刊』2001年8月号
『読書欲・編集欲』晶文社 2001.12

「以前、江崎泰子さんたちと『子供!』というインタビュー集をつくったとき、すでに小学生のときから、女の子たちが人間関係――つまり友だちとか親とか先生とかとの関係につよい関心をもっていて、表面に見えるものの裏を読む、さらにそのまた裏を読むといった繊細な技術に習熟しているのにびっくりした覚えがある。

男の子たちはまったくの無能力。女の子たちに一方的に内心を読まれているだけで自分から人間関係の奥ふかいところを読みとろうとする意欲がほとんど感じられない。

そのあとで『家族?』というインタビュー集をつくって、おなじ傾向が大人になってもそのままつづいていることに気づいた。

家族という関係について、特定のとき、特定の場所で、じぶんたちの関係になにが生じたのかを、できるだけ具体的に話してもらおう。そう考えてインタビューをはじめたのだが、男というのは、この手の質問にはまったく対応できない。

仕事をはなれて、ひとりの人間として家族や他人たちとむすぶ関係について、具体的なことがうまくしゃべれれない。じぶんの生活のなかでジックリたしかめてきたという手応えがない。

あまりにむなしいので、やむなく私が試験台になってインタビューしてもらったが、やはりだめだった。私もまた、本やパソコンや仕事についてしかいきいきと語ることができないバカ男のひとりなのだということがよくわかった。」
p.53「初歩のインタビュー術」『思想の科学』1989年12月号
『読書欲・編集欲』晶文社 2001.12

読書メーター 津野海太郎の本棚(登録冊数10冊 刊行年月順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091339

https://note.com/fe1955/n/n818f98daca0d
津野海太郎(1938.4.6- )
『おかしな時代 『ワンダーランド』と黒テントへの日々』本の雑誌社 2008.10
『百歳までの読書術』本の雑誌社 2015.7
『最後の読書』新潮社 2018.11
『かれが最後に書いた本』新潮社 2022.3

https://note.com/fe1955/n/n64cf2b64efe3
小野二郎(1929.8.18-1982.4.26)
『ある編集者のユートピア 小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校』世田谷美術館 2019.4
『大きな顔 小野二郎の人と仕事』 晶文社 1983.4 非売品

https://note.com/fe1955/n/nbda874966ad1
マイケル・ボンド作 R.W.アリー絵
『クマのパディントン』
 木坂涼訳 理論社 2012.9
マイケル・ボンド作 フレッド・バンベリー絵
『くまのパディントン 改訂版 パディントン絵本 1』
 中村妙子訳 偕成社 1987.6
小野二郎(1929.8.18-1982.4.26)
『紅茶を受皿で イギリス民衆芸術覚書』
 晶文社 1981.2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?