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いわさき ちひろ(1918.12.15-1974.8.8) 谷川俊太郎(1931.12.15- )『なまえをつけて』講談社 2018年9月刊  『ひとりひとり』講談社 2020年11月刊  『ちひろダイアリー』竹迫祐子・ちひろ美術館編著 河出書房新社 2021年7月刊 144ページ  Eric Dolphy (1928-1964) "Fire Waltz" (1961.7.16)  日記 2018年11月5日 時雨の雨まなくしふれば真木の葉も争ひかねて色づきにけり 新古今和歌集 582

日記
2018年11月5日
午前0時55分起床 室温15.8度 湿度58%
懸垂10回 スクワット65回

https://bookmeter.com/mutters/178498487

Eric Dolphy (1928.6.20-1964.6.29)
"Fire Waltz" (1961.7.16) 13:36
https://www.youtube.com/watch?v=A0UDvk5Jpac

At the Five Spot (1961)
https://en.wikipedia.org/wiki/At_the_Five_Spot

https://www.amazon.co.jp/dp/B000026DYJ

https://www.amazon.co.jp/dp/B000026DYJ

Eric Dolphy (1928.6.20-1964.6.29)
 alto sax
Booker Little (1938.4.2-1961.10.5)
 trumpet
Mal Waldron (1925.8.16-2002.12.2)
 piano
Richard Davis (1930.4.15-2023.9.6)
 bass
Ed Blackwell (1929.10.10- 1992.10.7)
 drums

Eric Dolphy Discography Project
https://www.jazzdisco.org/eric-dolphy/

https://ja.wikipedia.org/wiki/エリック・ドルフィー
「1961年に
トランペット奏者
ブッカー・リトル
Booker Little (1938.4.2-1961.10.5)
との双頭コンボを組み、
ニューヨーク Five Spot で演奏。
同年10月のリトルの急逝で頓挫。」

ウラジミール・シモスコ、 バリー・テッパーマン
『エリック・ドルフィー』
間章訳 晶文社 1975
https://www.amazon.co.jp/dp/4794951787

Eric Dolphy (1928.6.20-1964.6.29)
"'Round Midnight" (1961.5.8)
George Russell (1923.6.23-2009.7.27)
Ezz-thetic (1961)
https://note.com/fe1955/n/n2278172580f2

Eric Dolphy (1928.6.20-1964.6.29)
"You Don't Know What Love Is" (1964.6.2)
Last Date (1965)
https://note.com/fe1955/n/n75d8967627f0

都立北多摩高校三年生の頃(1972.6- )、
国立市南口朝日通りのジャズ喫茶「喇叭」で
エリック・ドルフィを聴き始めました。
翌年(1973.4- )、
明治大学文学部に入学、
FM東京深夜放送、
油井正一さん(1918.8.15-1998.6.8)の
『アスペクト・イン・ジャズ』
「エリック・ドルフィ特集」
四回をカセットテープに録音し繰り返し聞いて、
『ファイブ・スポット』他、
LPレコードを何枚も購入。その後、
CDの時代になり、何枚買ったのかなぁ。
私のパソコンの
ウィンドウズメディアプレイヤーには、
ドルフィの演奏が
89曲(12時間26分)並んでいます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/油井正一


時雨の雨まなくしふれば真木の葉も争ひかねて色づきにけり
 人麿
 題しらず
新古今和歌集 巻第六 冬歌 582
「時雨が絶えまなく降るので常緑の真木の葉も争いきれず、とうとう色づいたことだ。」
『新日本古典文学大系 11』岩波書店 1992.1 p.176
原歌は万葉集十・作者未詳。人麿集。
真木 杉、檜等の総称。
「時雨」の歌
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ 生没年未詳)
飛鳥時代の歌人。
古今集初出。新古今二十三首。
隠岐での後鳥羽院による『時代不同歌合』では源経信と番えられている。
小倉百人一首 3 「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/柿本人麻呂

https://bookmeter.com/mutters/153791951
2013年の立春、
2月4日から毎日一首づつ読み始めた
新古今和歌集の通読(つぶやき)が
四年かかって終わりました。
https://bookmeter.com/mutters/153744722
全二十巻
春夏秋冬賀哀傷離別羈旅恋雑神祇釈教
1995首
明日から再読
 2017.3.26


いわさき ちひろ(1918.12.15-1974.8.8)
谷川俊太郎(1931.12.15- )
『なまえをつけて
 講談社の創作絵本』
講談社 2018年9月刊
福岡市総合図書館蔵書

https://www.amazon.co.jp/dp/4065128005
「いわさきちひろの生誕100年にあたる2018年、
ちひろ美術館(東京・安曇野)では、
「Life」をテーマに、
さまざまな展覧会を1年にわたり開催中。
中でも注目されているのは、
詩人・谷川俊太郎とのコラボレーションで展開する
ちひろさんの新たな世界。
この展覧会の展示にも使われる
谷川さんの新作書き下ろしの詩が、
ちひろさんが描いた子どもたちとともに
一冊の絵本になります。
谷川さんの詩によって命が吹き込まれ、
ちひろさんの描く子どもたちがいきいきと
おしゃべりをはじめます!
子どもたちは絵本を読むお友だちに
「さあ わたしになまえをください」と語りかけてきます。
さあ、みなさんは子どもたちにどんななまえをつけますか?
なにをおしゃべりしますか?
新しい時代に受け継がれる普遍的な作品、誕生です!」

いわさき ちひろ(1918-1974)生誕100年
谷川俊太郎(1931- )
1966~1974年に発表された15枚の子供達の絵を左ページに、
ちひろ美術館(東京・安曇野)展覧会(2018年)で展示された
新作詩を右ページに配した小さな(19×19cm )絵本。

表紙・裏表紙を含めて17人の子供達を
繰り返し眺めていると、
我が家の1980年生まれな娘が小さかった頃を
思い出してしまいます。
可愛かったなぁ。

「わたしはなかないよ
いいにおいがしてるから
これからおいしいものたべるから
おかあさん はやくきて!」
p.8
「あかちゃん」(絶筆)
雑誌
『子どものしあわせ』
1974年

 

読書メーター
いわさきちひろの本棚
登録冊数3冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11337890

谷川俊太郎の本棚
登録冊数18冊
刊行年月順
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091289


いわさき ちひろ(1918.12.15-1974.8.8)
谷川俊太郎(1931.12.15- )
『ひとりひとり
 講談社の創作絵本』
講談社 2020年11月刊
24ページ

https://www.amazon.co.jp/dp/406521761X
「ひとりひとりでいることを余儀なくされているいま、
あらためて胸にせまる谷川俊太郎の詩
『ひとりひとり』。
いわさきちひろの深くやさしい絵といっしょになり、
大切にしたい1冊の絵本になりました。
ひとりでいること。
ひととつながること。
読み進むうちに、しずかな勇気がわいてきます。

谷川 俊太郎
1931年東京生まれ。
1952年初めての詩集『二十億光年の孤独』(創元社)刊行。
詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞など
幅広い分野で活躍している。

いわさき ちひろ
1918-1974 福井県生まれ。東京で育つ。
子どもを生涯のテーマとして描いた。
1977年アトリエ兼自宅跡に、
ちひろ美術館・東京開館。
1997年安曇野ちひろ美術館開館。」

2020年12月11日読了
福岡市総合図書館蔵書

1918年12月15日福井県武生(現在の越前市)生まれで
1974年8月8日に亡くなられた(享年55)
いわさきちひろさんが
1968~1969年に発表された12枚の子供達の絵に、
1931年12月15日東京府豊多摩郡杉並町
(現・東京都杉並区)生まれな
谷川俊太郎さんの
『すき』理論社 2006.5
https://www.amazon.co.jp/dp/4652038518
初出な四行詩・12連を組み合わせた、

『なまえをつけて』2018.9
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/2262405757167384
に続く『講談社の創作絵本』

表紙、
見返し
「ピンクのセーターを着た少女 1970年」、
標題紙
「あざみとコスモスと3人の少女たち 1966年」、
本文の子供達を繰り返し眺めていると、
我が家の1980年生まれな娘が小さかった頃を
思い出してしまいます。可愛かったなぁ。

ひとりひとり
違う目と鼻と口をもち
ひとりひとり
同じ青空を見上げる
ひとりひとり
違う顔と名前をもち
ひとりひとり
よく似たため息をつく
ひとりひとり
違う小さな物語を生きて
ひとりひとり
大きな物語に呑みこまれる
ひとりひとり
ひとりぼっちで考えている
ひとりひとり
ひとりでいたくないと
ひとりひとり
簡単にふたりにならない
ひとりひとり
だから手がつなげる
ひとりひとり
たがいに出会うとき
ひとりひとり
それぞれの自分を見つける
ひとりひとり
ひとり始まる明日は
ひとりひとり
違う昨日から生まれる
ひとりひとり
違う夢の話をして
ひとりひとり
いっしょに笑う
ひとりひとり
どんなに違っていても
ひとりひとり
ふるさとは同じこの地球

https://www.amazon.co.jp/dp/4309750478
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309750477/

「ちひろの絵の中には懐かしい、愛おしい空気が満ちている。
見るものに生きる勇気を与える躍動感。
生涯に描いた1万点の絵画から厳選!

竹迫祐子
1956年、広島県生まれ。
1984年よりちひろ美術館学芸員。
公益財団いわさきちひろ記念事業団事務局長、同財団理事。
ちひろ美術館(東京・安曇野)主席学芸員。
全国学校図書館協議会絵本委員。」


2021年9月27日 読了
福岡市総合図書館予約2名

私のパソコンのエクセルファイル "生年月日.xls"
大槻文彦(1847.12.22-1928.2.17)

三宅香帆(1994.1.12- )
1074行
には、
いわさきちひろさん
(1918.12.15-1974.8.8)
が記入済みでしたけど、
「いわさきちひろ年譜」
p.140-141
記載事項はほとんど知りませんでした。

「1931年 12歳
 自由な教育方針で知られる
東京府立第六高等女学校(現・都立三田高校)
に入学。」
p.141

1955年1月生まれな私が
『暮らしの手帖』で知った、
大橋鎭子さん(1920.3.10-2013.3.23)
石井好子さん(1922.8.4-2010.7.17)
と同じ学校に通っていたんですねぇ。

「「ママなんて……、人のことなんてわかんないでサ……、
自分の感じばっかり押しつけてサ……」
息子が口をとんがらして、パパにいいつけています。
私は息子の髪型その他が気にいりません。
50歳[1968年?
『わたしのえほん』みどり書房 1969年]]」
p.78

写真
「1968年10月22日
ちひろ49歳、
善明[松本善明 1926.5.17-2019.6.24]43歳、
猛[松本猛 1951.4.18- ]17歳」
p.111
では、息子さんの耳が見えていますけど、
写真
「1972年春
 手前右より夫・善明、愛犬チロと猛」
p.111
では、髪が耳を隠し、
襟の半ばまで伸びています。

私が高校生の頃(1970-72)には、
「髪が、肩までのびて」
吉田拓郎「結婚しようよ」1972.1
https://www.youtube.com/watch?v=7yRN2HF3o8Q
いましたから、
1920・1921年生まれな私のの両親も、
「息子の髪型その他」を
不愉快に思っていたんだろうなぁ。

巻末、
「掲載作品、書籍初出一覧」
「ちひろのことば 出典一覧」
p.142-143
が見事です。

2ページに凝縮されている初出・出典を
全部エクセルに入力して、時系列順に並び変えて、
それを参照しながら、読み直してみたいです。
返却期限までには出来ないでしょうけど。

「カバー表
 スケッチブックを持つ青い帽子の少女
 ヒゲタ醤油広告絵はがき1971年」
p.143

「1951年
32歳
4月、長男猛誕生。
6月より延べ半年余り、
猛を長野県松川村の両親に預ける。
ヒゲタ醤油の宣伝のための絵を描き始める。」
p.141

「1939年
20歳
4月、[家督継承のため]婿養子を迎え結婚、
6月、夫の勤務地満州大連へ渡る。
1941年
22歳
3月、夫の自殺により帰国。」
p.141

「絵に描いたように仲のよい……
と見られていた若夫婦は、その実、
どうしても夫を愛することができず
心を閉ざしたままの妻にも、また、
なすすべのない夫にとっても
辛い日々だった。
1941年1月、それが夫の自死で
突然終止符を打つ。」
p.37

「私は結婚なんて絶対しないわ。
私は絵を描くの。
私はもう絵と結婚したんだもの……」
p.44
「ちひろのことば(1940年代後半)」
p.142

「三十年来私はこんなに人を愛したことはない。
彼がいなくては絵がかけない。
絵をかける状態にしてくれる人、それは善明。」
p.51[日記]
「私の夫は二十三歳の若いコミュニストでした。」
p.52
「『わたしのえほん』みどり書房 1969年」
p.142

「1946年
 27歳
 2月~3月頃、長野県で日本共産党に入党。
 5月、日本共産党宣伝部主催の芸術学校に入学のため上京。
1949年
 30歳
 8月、日本共産党の活動のなかで松本善明と知り合う。」
p.141

上野千鶴子
「「少女」の心を失わなかったひと」
p.16-17

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