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感 搖 句。

第3話『落花、枝に返らず』

 私の住んでいた町の外れに、小さい古い家がある。だいぶ傾きかけたその家には、今は誰も住んでいない。猫の額ほど、と言うにぴったりの庭は雑草が生い茂っている。もうすぐ、この家は壊され、更地にされる予定だと聞いている。人口の多い隣の市より、家賃が安く済むからと転入する人が増えたことで、ラッシュアワーの混雑を解消するため、道路が拡張されることになったのだ。この家は道路になる。

 この家のかつての住人を私は知っている。

 20数年前。私は、町の外れにあった小学校に通っていた。学校までは、家から子供の足で徒歩で、30分ほどかかる。スクールバスはなく、路線バスを利用することはできるが、時間がちょうどよくならないし、何よりも、歩きながら周りを眺め、草花や虫や道端の石まで友だちにするのが私は好きだった。

 学校まであと10分くらいの場所にその家はあった。♪小さいおうち~かわいいおうち~、と私は自分で作詞作曲した歌を口ずさみながら、その前を通っていた。

 その家は、赤い屋根、煉瓦模様の外壁、出窓には植物が飾られて、小さい庭には季節の花や野菜が育っていた。とてもていねいに作られていることを、子どもながら感じていた。

 どんな人が住んでいるのだろう。そう思うことはあっても、知らない家に訪問することは、してはいけないこととわかっている。学校からも、知らない人に付いていったり、知らないところに行ってはならないと注意されていた。

 誰のおうちだろう? どんな人が住んでいるのだろう?

 好奇心を抑えられなくなった私は、とうとうその家のチャイムを学校帰りに鳴らしてしまった。

 ピンポーン。

反応がない。もう一度。

 ピンポーン。

ただチャイム音が家の奥に響くだけ。

「...だ...れ...?」

 家の中から女の子の声がした。

 「こんにちは。お庭を見ても良いですか?」

玄関のドアは開けられることはなかった。

 「...どう...ぞ...」

 その声は、すーっと、ぞ...が聞こえるか否かにフェイドアウトした。いいのかな? いいよね? いいや。

 私は小さい庭で、花を眺め、蜜を吸っている蝶を驚かせた後、帰宅することにした。

 「ありがとうございました。また来ていいですか?」

玄関のドアに向かってお辞儀をしたが、相変わらず、シーンと静まり返ったままだった。

 帰宅すると母が仕事から戻っていて、夕食の支度をしていた。あ、カレーだ‼️と私は嬉しくなって、カレーのことばかり考えていた。今日、あの家に寄ったことは忘れてしまっていて、夕食を待ちながら、大好きなアニメを観ていた。それに、なんだかあの家のことは誰にも言ってはいけない気がしていたから。

 学校の帰りに、その家の庭で、花を見ることが日課になった。相変わらず、女の子も、その他の家族にも会うことはなかった。玄関のチャイムを鳴らして、ドアの前で挨拶をし、庭を眺める。。

 いつも庭の花々はきれいだった。きちんと手入れがされていて、雑草は生えておらず、枯れた花もない。

 気配はいつも家の中から感じられる。私は見られている。そう思うようになった。あの女の子だ。以前に比べ、女の子の気配は、私に対する警戒より興味ではないか、と思うようになった。

 女の子の姿が私の脳裏に浮かぶ。

 短めのボブ...おかっぱとでも言うか。

 白いブラウス。丸めの襟。

 濃紺のジャンパースカート。

 顔以外ははっきりしている。

 私は思いきって、玄関のドアノブを回してみた。

 「こんにちは~。誰かいますかぁぁ?」

シーンと静まった家の中で、私の声が響く。もう一度。

 「こんにちはぁ。一緒に遊ぼう。」

私の頭の中で描く女の子に対し、私は呼びかけた。返事はない。

その時、サーッと私の右肩辺りに、軽く風が吹いた。

 その日以降、女の子の気配を感じることはなくなった。


 小3になって部活動を始めた私は、その家に寄ることがほとんどなくなった。

 先生の研修会のため、学校が午前授業となり、部活もなかったので、久しぶりに、私はその家に寄った。庭で花の世話をする女性がいた。その頃の私の祖母の年頃だろうから、70歳くらいと思う。

 「こんにちは。」

 思いきって話しかけてみた。

 「あなたは?」

 作業用のつばが大きめの帽子を取りながら、不思議な顔をするおばあちゃんに、私は今までの出来事を話した。庭を見せてもらっていたこと、女の子がいるように感じていたこと。

 おばあちゃんは、とても驚いて、まばたきもせず私をじっと見た。そして

 「それは、きっと、私の姉です。」

と言った。

 「え? 姉?」

 「うん。びっくりしたでしょう。でも、それは、私の姉なの。姉は、生まれた時から体が弱くて、よく学校を休んでいたの。私は姉より2つ下で、学校に行けない姉に、学校の話をよく聞かせていました。姉は、いつもニコニコしながら話を聞いていたけれど、本当はとっても学校に行きたかったんだと思います。」

 おばあちゃんの目には涙がたまっていて、一滴、花びらに落ちたと思うと、次から次へと出て、止まらなくなっていた。

 「お姉さんは、今はどうしているんですか?」

不躾な質問をしてしまったと、今なら言い留めることができると思うが、子どもだった私は、ストレートに聞いてしまった。

 「姉は、亡くなりました。9歳だった。」

元々、体が弱かったところに風邪をこじらせて亡くなったということだった。自分がひいた風邪が姉に移り、そのため、姉が亡くなったと、ずっと後悔しているのだという。庭は姉に見せるため、昔はお母さんが丹精されていたが、お母さんが亡くなった今は、自分がやっているのだと言った。

 「あの、私、一度だけ、どうしても会いたくて、おうちの玄関を開けました。一緒に遊ぼうって言いたくて。でも、その日から、女の子がいなくなった気がするの。」

 私の言葉を聞くと、おばあちゃんは泣きながら笑っていた。

「お嬢ちゃんが、遊ぼうってドアを開けてくれたから、きっと姉は外に遊びに行ったんだと思う。ありがとうね、姉を誘ってくれて。」 

 そうか。あの女の子は遊びに行きたくて、誰かを待っていたんだ。今はきっと、たくさんお友だちを作って遊んでいるんだと思う。遠いどこかで。


 次に私がここを通る時には、もうこの場所は道路になっているだろう。

 

 


 


 





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