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感 搖 句。

第4話『仰いで天にはじず』

 「見かけない顔よね。」「あなた知ってる?」「何組かしら。」

 暑くなりそうだったから、オーガンジー素材で大きめのスカーフを首に巻き付け、娘の夏波を幼稚園の送ってきた私の背中に向かって聞こえる声たち。

 夏波の担当になる先生と軽く挨拶を済ませ、園庭を通って門に向かう。門の外では、三組ほどのママたちが話し込んでいる。私が通ると、ピタッと合わせたように話を止め、こちらを伺う。私は会釈をし、振り向きもせずに家へ急いだ。

 夏波を迎えに行くと、また複数のママたちが話している。

 「こんにちは。」私はそれだけ言って、玄関に向かう。

 「かなみちゃぁん、バイバイ。」「バイバイ、るりなちゃん。」

娘はさっそく友だちを作ったようだ。子どもってすごいなぁと思う。娘に「お友だちできたの?」と聞くと、「うん。るりなちゃんていうの。」と嬉しそうだった。

 ママたちのかたまりの間をぬうように私と娘は手をつないで歩く。朝と同じように会釈だけしながら。

「転入されたの?」と一人のママが話しかけてきた。

「はい、そうですけど?」

振り向いて答える私。

 5人のママたちが私と夏波を囲むように立つ。ボーダー柄のニット、水玉のワンピース、タータンチェックのチュニック、黒のコットンジャケット、デニム生地のブルゾン。どのママも、上品そうで、優雅な生活をしていそうな雰囲気だ。

 「年中のカモメ組さん?」

 「はい。」

 「ねぇ、あなた、新人なら、自分から挨拶するのが筋じゃないの?」

 小太りでボーダー柄のニットを着た取り巻きが言う。

 「それは失礼しました。西川と申します。よろしくお願いいたします。」

 私はそれだけ挨拶をして、立ち去ろうとした。

 「待ちなさいよ。」

 背が高い、水玉のワンピースを着た一人が私を止める。

 「まだ何か?」

 「何って、あなた、子どもの名前も、旦那さんの仕事も何も言わないわけ?呆れた人ね。自己紹介するなら、それくらい常識でしょう?」

 呆れるのはこっちだ。常識?誰にとっての常識?少なくとも私の常識の中にはない。

 「子どもは、夏波と言います。夏に波で、か・な・み。夫はいません。」

 ママ軍団は、ギョッとしたような顔をした後、侮蔑するように私を見た。

 「では、失礼します。」

私は、その場を離れた。背中に視線を感じたまま、帰宅した。

 

 仕事が忙しいこともあり、幼稚園の送迎ができなくなったので、園バスを利用して夏波は通園するようになった。入園してからしばらくは歩いて送り迎えしていたが、私を見て、ひそひそ話をすることは変わりなかった。正直どうでもいい私は、会釈だけでその場を通りすぎていた。

 園バスの乗り場が一緒のるりなちゃんのママが、その朝教えてくれた。

 「夏波ちゃんママ、ちょっといい?」

子どもたちをバスに乗せた後、手を振り終えた私たちは公園のベンチに移動した。

 「夏波ちゃんママ、園でいろいろ話になってるよ。」

 「どんな話?」

どうも愛想の悪い私を気に入らないと言っているママたちがいるらしく、あることないことを噂しているようだ。

 夫がいないのは私が浮気をしたせいで、離婚させられたから。

 夏波の親権を取れなかったから、逃げるように連れ去って何の縁もない土地に引っ越してきたらしい。

 幼稚園で、行事以外は母親たちとあまり話もせず、そそくさと帰るのは、きっと人に言えないような仕事をしているか、複数の仕事を掛け持ちしているからだろう。

 今も、不倫をしていた愛人が会いに来ているらしく、マンションに男が入っていくのを見た。一緒に歩いているところも見かけた人もいる。

 あまりのくだらなさに私は爆笑してしまった。

 私の爆笑っぷりにるりなちゃんのママには、驚いてキョトンとしてしまった。

 私が真実をるりなちゃんのママに言うと、やっぱりねぇ、と深く頷いた。

 あの5人は、幼稚園のママたちの中で、「自分たちは特別」という意識が強い人たちで、いろいろ口うるさく、嫌み的なことを他のママたちにも言ってきたり、気に入らないママをとことん無視したり、やりたい放題らしい。園外でのことだからと、園でも積極的に注意できないようだ。るりなちゃんのママは、バザーに出す品物について、得意の手芸を活かしたものを出品したら、「ダサい」とバカにされたそうだ。

 るりなちゃんのママには、言いたい人たちには言わせておいたらいい、私は気にしないから、と答え公園を後にした。


 その日、夏波は幼稚園から戻ってから元気がなくて、沈んでいるように見えた。毎日、園であったことを話してくれるのだが、今日は何も言わず、絵を描いたり、好きな本を読んだりしているが、いつもと様子が違う気がする。

 「ねぇ、夏波、今日は幼稚園、楽しかった?」

 「...うん。」

こういう時の夏波は、とてもわかりやすくて、子どもらしいと思う。うん、と返事はしたが、全く楽しさを感じられない。

 「何かあったな~?言ってごらん。」

夏波はポロポロと涙を流しながら言った。

 「みくちゃんのママが、夏波とは遊んじゃダメって言ったから、みくちゃんが遊んでくれないの。こう君は、夏波にパパがいないから、かわいそうって言うの。」

 私は泣いている夏波を抱き締めて、

「大丈夫。大丈夫だからね。」

と言って、覚悟を決めた。


幼稚園では、年に2回、親と先生たちの茶話会や勉強会がある。チラシをもらった私は、今年2回目の勉強会に私も出席することにした。

 しらゆき第3幼稚園 第56回  父母と職員合同勉強会 『モンスターペアレントにならないために コミュニケーションの大切さ』 講師:星南大学医学部 臨床医療科 心理専攻助手 中津川 冴子 

 モンスターペアレントという言葉が定着してきたこともあるからか、講演会の後のお茶タイムを楽しみにしているかわからないが、50人ほどの親や職員で、多目的室はいっぱいだった。

 司会担当の先生が、会を始めることをアナウンスする。

 「皆さま、お待たせしました。本日は、大変興味深いテーマです。当園の親御さんにはそういった方はいらっしゃらないと思います。ただ、今の世の中いろんな方がいて、過剰に反応してしまうケースも多いと聞いています。そこでモンスターペアレントにならないために コミュニケーションの大切さ』と題しまして、講師に、星南大学医学部 臨床医療科 心理専攻助手 中津川 冴子先生にお話ししていただくこととなりました。では、先生、よろしくお願いいたします。」 

拍手の中、講師が入場する。会場がざわめきに包まれる。

「皆さま、こんにちは。星南大学医学部、臨床医療科の中津川冴子と申します。初めまして...という方は...少ないかもしれませんね。カモメ組の西川夏波の母です。仕事では、旧姓の中津川を名乗っております。驚かれたでしょう? 今日は事例を交えながら、お話をさせていただきますね。よろしくお願いいたします。」

 そう。ザワザワするのは当たり前。それも折り込み済み。モンスターペアレントについて、また幼児の親として何を気を付けるべきかなど一通り話した。

 「では、事例をいくつかお話ししますね。まず、私が過去に体験したことなのですが、初めて会った人に、旦那さんの職業を聞いたりしていませんか?これは相手を値踏みしているのと同じです。また、離婚しているかいないか確認もせず、言いふらすなどもしてはいけないことですが、最もしていけないのは、子どもたち同士の関係を親が壊すことです。」

 会場がシーンと静まり返る。

 「子どもたちが、ママが⚪⚪ちゃんと遊んではダメと言ったり、父親がいないからかわいそうなどと言ったりすることはしてはいけないものです。ちなみに我が家は夫が海外赴任中で、留守ですから、父親がいない家庭と思われる方もいたでしょう。子どもが成長する上で親の影響はもちろん強いものです。ですから私たちの言葉一つひとつに注意が必要です。私は、ママ友という言葉に違和感があります。どうしても薄っぺらい感じがします。子どもの友だちの親とか、⚪⚪ちゃんのお母さん、でよいと思っています。それ以上なら、友だちなんですから。ママ友という言葉が強すぎて、息苦しくなっていませんか?」

 講演会は無事に終了した。あのママ軍団はよほど居心地が悪かったからか、茶話会には参加しなかった。

 「夏波ちゃんママ...あ、中津川先生、講演、楽しかったです。」

るりなちゃんママが話しかけてくる。

 「やめて、先生なんて。」

私は苦笑いで答える。

 「今日はお話しさせていただいてありがとうございました。そして、皆さんにわかってもらえたみたいで良かった、と思ってますよ。これからもよろしくお願いしますね。」

 ここは、子どもたちが主役の場所。

 子どもたちが、楽しみながら社会性を身に付けるところ。

親はサポートで良いのだから。



 

 


 


 

 

 


 

 


 





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