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第2のサッカー人生 4年 筑井諄

奥野新大より紹介に預かりました、東洋大学体育会サッカー部 審判代表?の筑井諄です。

いつからそんな肩書きがついたのか分かりませんが、それだけ印象に残るほど審判を多くやらせて頂けたからこそだと思っておきます。そのことも下に書いてありますので箸休め程度に読んでみてください。


~約6年前~
公式戦での帯同のため学年で3人だけ4級を取得させられた。
今思えばこの3人に選んでもらえたことが奇跡だったのかもしれない。


~約4年前~
選手としてプロを目指していたとてつもなく長く、先の全く見えなくなっていた道から逸れることを決めていた。
それでも作られた道は広く地盤のしっかりした道であることも確かであった。当時の監督の言葉を借りるとするならば、多くの大人や友人、仲間、家族、が花道を作ってその地盤をしたから支えてくれていたのだろう。もしくはそこで過ごして目や耳から吸収した栄養素によって成り立っているのだと思う。

-2019年3月23日
引退。
当時は卒団という言葉を使っていたが、今となっては選手人生は「東京武蔵野シティFC U18」で過ごした1095日で終わりとなった。

-2019年
大学に入り高校1年のときにとった資格を温めておいた結果、当時の4年生の審判の先輩と知り合い、当時部に存在しなかった、審判兼マネージャーという立場で入部。

第2のサッカー人生のスタートだ。
審判として生まれ変わるというよりは、脱皮したとでも言うべきだろう。
過去にできた道は充分なものだからだ。


でもそれからが非常に長かった。


審判で活動しているのに、
どこに走ればいいか分からない。
選手のときには走れたはずなのに全然動けてない。
それなりにいいチームでプレーしていて正しいサッカーを学びその感覚は間違っていないはず。
なのにプレーの展開が読めない。
だからそれに合わせた行動が取れない。
マネジメントができない。





途方もなく多い課題に直面し、突然転向した自分にはお先真っ暗だった。


3級で続けていても、帯同で同じ級を取る選手や元チームメイトに、

「俺と同じじゃん」
「変わんねーじゃん」

かなり悔しかった。
虚しかった。
言った彼らは誰も悪くない。だって数字だけ見れば事実だからだ。

それ以外にも審判をしていると説明すると9割方「すごいね」と言ってくれる。確かに母数の人が少ないから希少なんだろう。でも自分にとってはそれすらも辛いときがあった。勝手に自分にプレッシャーをかけていっていた。


それでも自分にできること、少しでもこの気持ちを晴らすためにできることは多くやってきた。サッカー部にいることを使って人よりも倍近くの試合数を経験したり、コロナ期間を利用してジムに通い詰めたり、大学の講義を活かしてトレーニングメニューや栄養を考えたり。多くのことをやった。


その中でも転機だと思っているのが、2021年の年始めのシーズンオフの期間だ。
成人式から1週後くらいからほぼ毎週とある会場に練習試合に行き続けた。

そこでの活動、学びで自分のこれまでのサッカーの感覚が頭で理解され、どこにどう行けばいいのか、何をすればいいのか。

身体に頭に落とし込まれていくのが毎週のように感じられた。
出来るようになることがとても楽しかった。
感覚を言葉にできるようになることが気持ちよかった。


そこからはそれをより深化させるためにそれまで以上の試合数を行った。
自分らしくないミスや力不足で悔し涙を流したり、モヤモヤしたりすることもあったが身体に落とし込んだことを信じるしかないとそれを繰り返した。



そして2022年6月2日ー。
審判の級を獲得してから6年、2級に昇級。
少し報われた気がした。
安心した。安堵の涙を流したのは人生で初めてだった。


(https://www.tokyofa.or.jp/magazine/halftime/common/pdf/halftime59.pdf
東京都サッカー協会審判委員会の広報誌です!
ここで昇級のご挨拶をさせていただきました。)


これと同時に選手で見れなかった景色を見れることに一歩近づいたことへの興奮、これからの期待に座っていて聞いた結果報告にも関わらず試合の時以上に心拍数が上がっているのを強く感じた。



これが達成できたのもかなり多くの試合をできたからだろう。それができたのもこの部活で試合ができたから。そして審判しかしない、できない私をサイコパスだのイシシだのノシシだのわがままボディだのビルダーだの駒場だの、、、いじりながら受け入れてくれた4年生をはじめとした選手やマネージャーのみんなのおかげだ。
そして何より、慕ってくれてるのか、良いように使ってるのか分からないが同じ立場の後輩が二人も居たこと。
彼らが常に私の火を強火にしてくれたこと。
こればかりは自分の強運にも感謝したい。

みんな、ありがとう。

そしてどんなことがあっても審判の夢、活動だけは絶対に否定しなかった家族。これの支えなしにしてこれは達成できてないだろう。



選手とは違い、私はこれからが本当の勝負。
本線に合流する。

目指すゴールは選手のときと変わってない。
異路同帰。



絶対に俺があの舞台に立ってみせる。

これまでの自分を振り返ってしまう文章になってしまいました。読んでいただきますありがとうございます!
ぜひ他の学生審判にも注目してみてくださいね!



次回から、また選手に戻ります。
次は兵働透生です。

お楽しみに!

東洋大学体育会サッカー部 4年 筑井諄

筑井諄(つくい・しゅん)2000年5月5日生まれ
ライフデザイン学部 健康スポーツ学科 所属

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